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09)リンと家出令嬢01

 ここカッチーニ山の南山道入り口は円形に開けた平地だ。


 山道入り口左横には警備隊詰所兼宿泊所と馬房があり、常時三~五人の警備隊員が交代で二十四時間詰めている。


 現在は隊長のジュリオ以外の二人は若手の警備隊員が所属している。ここは若手警備隊員が数か所を巡る研修地でもあるため、三ヶ月の研修勤務を終えると別の勤務地を希望して去っていく。


 広場中央には井戸、右側には休憩所〝ペッティロッソの宿り木〟・通称コマドリ亭と、雑貨店〝ロンディスの巣〟・通称ツバメ屋が並ぶ。二軒の裏手には小さな畑と井戸、果物の木が二本ほど植えられている。


 コマドリ亭を切り盛りするのは、リン。


 ツバメ屋を切り盛りするのはウイカという二十代半ばの女性で、彼女の二歳になる娘ミーナが家族と暮らしている。ウイカの夫でミーナの父親は、警備隊隊長であるジュリオだ。


 基本、この場所は山道に入る者、山道から出て来た者が一時の休息をとり、不足の買い物をして通り過ぎていく、そんな場所である。


 昼を過ぎ、山道に入って行く人たちがひと段落したときだった。


 馬が駆ける蹄の音が広場に響く。


 円形の広場に入って来たのは、大きな黒に近い茶色の馬だ。その背には濃いカーキ色の外套を纏った人がしがみ付いている。ローブの端から白いブラウスに落ち着いたオレンジ色の服がチラチラと見えた。


「おい! 馬を制御しろっ」


 隊長のジュリオが声を張り上げるも、乗っている人は動かない。振り落とされないようにしていることで精一杯のようだ。


「ウイカ、ミーナ、リン、中に入ってろ!!」


 馬は興奮状態のまま無軌道に走り、広場中央にある井戸手前で急停止すると、後ろ足二本で立ち上がり大きく嘶いた。


「あっ!」


 ほぼ垂直になった馬の背から、乗っていた人物が落ちる。


 振り落とされた人物が馬に踏み潰されないよう、ジュリオが馬に飛び乗り、部下二人が振り落とされた人物を回収して安全な場所へと移動させた。


 馬もジュリオに制され、フンフンと鼻息を荒くしながらも落ち着きを取り戻す。ホッと安堵の空気が広場全体に広がる。


「リンちゃん、この人……女の子なんだよ、頼める?」


「あ、はい。客室を開けますね」


 若い警備隊員二人がぎこちなく運んでくる様子を見守りながら、リンはなにが必要になるのかを素早く頭の中でリスト化していった。




 馬に乗っていたのは二十歳前後の女性で、彼女は高熱を出して意識を失っていた。どうやら、馬に乗ってここまでやって来る前に発熱していたようだ。


 熱の原因は移動の疲労や慣れないことをしたストレスもあるだろうが、ウイカと共に服を改めたときに見つけた左足にある傷が原因だと思われる。未だ癒えていない傷は、赤く腫れて熱を持っていた。


「熱冷まし薬と消毒薬、傷用の薬と包帯を持って来るね」


「お願いします」


 ウイカは女性を夜着に着替えさせ、傷を確認すると急いで店に戻って行く。


 リンも氷水の入った桶とタオル、水差しを用意し、その後夕食の準備や明日のお弁当や日替わりランチの下拵え、山道を抜けてやってきた人たちの相手をしながら忙しく立ち回った。


 忙しかったせいでやや放置気味になってしまったが、警備隊員たちに夕食を出してからリンは宿泊室を覗く。すると、ドアの開く音なのかリンの足音のせいか、はたまた食堂から聞こえる人の声のせいか、女性が目を開けた。


「……こ、ここは?」


「ここはカッチーニ山の南山道入り口にある休憩所です。お嬢様は馬に乗って山道入り口まで駆けていらしたのですが、馬が暴走しておりましたのを警備隊員が抑えました」


「あ、ああ……そうだわ。ここに来る途中、大きなヴェルデオオカミに会って、馬が驚いて走り出してしまったの」


 馬はオオカミから逃げるために女性の制御を無視して走り出した。訓練されている馬であったため、道なりに走り続けて山道入り口に辿り着いたようだ。


「今、お嬢様は足のおケガや疲れ、色々あったことから熱が出ています。かなり下がりましたが、今夜はゆっくり休んでください。私はこの休憩所の管理人をしています、リンです」


「……リン、さん」


「はい」


「わたくしは……ベルタ、と呼んで下さい」


 リンはレモン水を飲ませ、スープを持って来ることを告げて宿泊部屋を出る。


 どう見ても、ベルタは訳ありの貴族令嬢だ。


 腰まで伸びたストロベリーブロンドの髪、濃い菫色の瞳、整った顔立ち、きめの細かな白いもち肌。そのどれも手入れが行き届いている。


 身に着けていたブラウスも、デザインは平民風だったけれど使われている生地は高級品だったし、ボタンは全て螺鈿細工にも使われる白蝶貝から作られる貝ボタン。オレンジ色のスカート生地も高級品、ベルトもブーツも高級革から作られて、羽織っていた外套もそこらの平民では買えないような代物だ。


 馬も立派だし、馬につけてあった荷物鞄、その中身も全て裕福な貴族令嬢でなければ持つことができないものばかり。


 その彼女が、お供もつけず単騎で馬を駆けて山越えの山道入り口にやって来るなんてあり得ない。貴族令嬢の外出は侍女や護衛が必ず付き添うし、騎馬ではなく馬車を使うものだ。


 十中八九、訳ありの家出。


 リンは深皿に豆のスープをよそい、砂糖とレモン果汁で煮た桃のコンポートを小さく切って皿に盛り付けると、ベルタの元へ戻った。


「お腹がからっぽでは薬が飲めませんので、できるだけ召し上がって下さい」


 ベッドの上で体を起こし、背中にクッションを詰め込んで体を支えると、リンはベッド上に小さなテーブルを用意し、その上にスープと桃のコンポートを乗せる。


「……トマトと豆のスープね。わたくし、トマト味好きなの、嬉しいわ」


 ベルタはゆっくりとスープを口に運び、美味しいと微笑んだ。


 貴族のご令嬢の口に合うものができているのか心配だったが、ベルタは皿のスープを全てお腹に納め、桃のコンポートも完食。その後に飲んだ熱冷ましの薬に苦さに顔をくしゃくしゃにしたが、レモン水に蜂蜜を落としたものをガブ飲みして口の中を落ち着かせることに成功した。


「お着替えをさせていただいたとき、清拭もさせていただきました。就寝前に再度傷の消毒だけさせてください」


「ありがとう、リンさん」


「それで、ベルタお嬢様はこれからどのようなご予定でしょうか?」


 空になった食器をトレイに回収し、ベッドに置いたテーブルを片付けながら尋ねれば……ベルタは口をギュッと引き結んだ。そして言った。


「わたくし、カッチーニ山を越えて、王都に行く予定よ。母方の祖父母が王都の北東にいらっしゃるから、そこを目指すわ」


「……おひとりで、ですか?」


「ええ、わたくし一人で参ります」


 ベルタはそう宣言すると、大きく頷く。


「……お母様のご実家に向かわれていることを、お嬢様のご家族はやお付きの方々は承知していらっしゃいますか?」


 リンのその問いかけに対して、ベルタは笑顔を浮かべたまま何も返事をしなかった。

お読み下さりありがとうございます。

評価、ブックマーク、リアクションなどの応援をして下さった皆様、本当にありがとうございます。

引き続きお付き合いいただけますと嬉しいです、よろしくお願い致します。


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