10)リンと家出令嬢02
やっぱり。リンはそう思った。
貴族家の令嬢が単騎でカッチーニ山の山道にやって来るなんて、許されるわけがないのだ。
「お嬢様……」
「そ、そうだわ、リンさん。カッチーニ山について教えて下さる? 越えるためには何時間くらいかかるのかしら? ここではもう秋の気配を感じるけれど、やっぱり山の中は寒いかしら。わたくしの服装ではダメかしらね」
貴族のご令嬢は知らないのだ。
知る必要もない、旅の準備も日程調整も自分で行う必要はないのだから。
「……お嬢様、まず、カッチーニ山は馬では越えられません」
「え?」
「カッチーニ山を越えるための山道は、とても狭くて勾配が急な場所も多くあります。その為、お嬢様が乗って来られた乗馬用の馬では越えることは難しいです」
「で、では、どうやって……まさか、歩いて?」
ベルタは目をまん丸にして、心の底から驚いている。
「勿論自分の足で歩いて越える人も大勢います。騎乗しての山越えは、山アルパカという傾斜のある道を歩くことが得意な騎獣を使います。山道専用の特殊な客車に乗ることも出来ますが、それを引くのも山アルパカです。荷物も山アルパカか、小型のロバの背に荷物を括り付けて運ぶのです」
「まあ、それでは……クオーレと一緒には行けないのですね」
クオーレとは恐らくベルタが乗っていた馬の名前だろう。
「それから、カッチーニ山は慣れた人で七日から八日、不慣れな人や女性の足では十日前後かかります。今は夏の終わり、秋の始まりくらいの季節ですが、山頂付近ではかなり朝晩は冷え込むと聞いていますので、お嬢様の服装では凍えてしまいます。そもそも、衣類の数が足りません」
「まあ……そう、ですの。ええと、山を越えるまでの十日間、どこでどうやって休むのですか? 食事はどうするのですか?」
「山道の途中に宿泊用の小屋があります。管理人のいる小屋が四軒、無人の小屋が七軒。食事は基本的に各自が持って山に入り、基本は干し肉やナッツ、硬いパンなどの日持ちがする物ですね。管理人のいる小屋では宿泊と簡単な食事、水と食料を購入することができます」
「……まさかとは思いますが、男性と一緒に眠るとかではないですよね?」
「基本は雑魚寝と聞いています」
「ざこ、ね? ざこねとは、どのような眠り方ですか?」
「ええと、大きな一部屋に年齢も性別も身分も関係なく、並んで眠るということです」
「まあ! そ、そんな!」
ベルは口元を両手で覆い、体を小さくした。確かに大部屋に並んで雑魚寝をするなど、貴族の令嬢には想像もつかないことだろう。
「正直に申し上げますが、今のお嬢様にカッチーニ山の山越えは不可能かと思われます」
「そ、そんな……」
「まず、物資が圧倒的に不足しています。山越えには衣類、食料、薬品類など、十日分かそれ以上の用意が必要です。お嬢様のお手持ちでは一日、二日分しかありません。それに、貴族のご令嬢様が山小屋で寝泊まりすることは……やはり難しいのではと思います」
足に負ったケガが癒えていないことも理由にあるのだが、リンはそこに触れることはやめた。物理的に無理だと説明して、諦めて貰うのが一番効果的であると判断したのだ。
「……でも、わたくし、どうしても行きたいのです。お祖父様とお祖母様の元へ。リンさん、カッチーニ山をなんとか越える方法はありませんか?」
リンはテーブルの上に置かれた籠から、真新しい包帯と消毒用の薬と傷用の薬を取り出す。
「まずは、カッチーニ山を越えるための荷物を揃え、山アルパカかロバを借ります。それから、護衛をしてくださる傭兵を雇わなくてはいけません。それでも、夜は山小屋で不特定多数の人たちと並んで眠るか、野営です」
「……」
「カッチーニ山を越えることよりも、船を使っての帝都に向かうのが現実的だと思います」
バディーニ港街を中心にしている帝国南部の交通網は様々あるが、海から川へと入り各街へと移動する船路が発展している。カッチーニ山という難所を越えは時間こそ短縮できるものの、危険で過酷であるし、荷物の移動も難しい。対して船路ならば安全であるし、荷物も大量に運ぶことができる……ただし、山越えよりも時間と金がかかる。
どちらが良い悪いではない。人々は自分の都合が良い路を選ぶだけだ。
ただ、貴人は船路を選ぶのが一般的である。
「……それは、そうなのですが。でも、船ではすぐに見つかってしまうのですもの」
「お嬢様、一度お家に戻られてはどうでしょう? 今のままではどうあってもカッチーニ山は越えられません」
薬をつけて包帯を巻き直すと説明し、リンは布団を捲った。
包帯と傷を保護するための布を外し、消毒液をたっぷり含ませた布で残っている薬を拭い取り、傷口を消毒する。
ベルタの足にある傷は足首から膝にかけて斜めにあり、赤く腫れて熱を持っている状態だ。酷い痛みは感じていないようだが、なにも感じていないわけではないだろう。この傷もベルタが無理をすればもっと腫れあがり、痛みを持つ。
「リンさんが言うこと、わかっているのです。でも……わたくしはもう、バディーニにいるわけにはいかないのです」
赤く腫れた傷に薬をたっぷり塗り、保護用の布を当てて包帯を巻く。
「……それでも、このまま行っても行き倒れるだけです。最悪は命を落とします。恐らく、警備隊の人たちも通してはくれないでしょう。危険な状態になるとわかっているのに、行かせるわけにはいきません」
「……」
リンの言葉を聞いたベルタはグッと言葉を飲み込むと小さく頷いた。
バディーニ港街には事情があっていられず、家族に知られることなく祖父母も元へ行きたい。そのためには、船路は使えない。だからカッチーニ山を越えたい、それは理解した。
けれど、現状の装備や体調では難しいことを説明すれば、それは理解できる。このまま山道を越えることはできない。
どうしたらいいのか、ベルタは考え込んでいる様子だ。
「……これからどうするのか、今すぐ答えを出す必要はありません。ゆっくりお休みになって、答えを出してください。それではお嬢様、お休みなさいませ」
「ええ、おやすみなさ……リンさん、ちょっと待って下さる?」
「はい?」
空になった食器と小さなテーブルを持って部屋を出ようとしていたリンは、足を止めて振り返った。
「ど、どうして、わたくしが貴族だとわかったのですか?」
「え?」
「わたくし、ちゃんと平民の服を着ていましたでしょう? 髪も下ろして、装飾品も身に着けていませんでしたわ。それなのに、リンさんはわたくしが貴族だとすぐにおわかりになったのでしょう?」
リンは素直に驚いた。
「……お嬢様、平民はそんな洗練された所作は取りませんし、高価な生地で仕立てた服は着ません。デザインを似せても、生地の良し悪しですぐにわかります」
「あ、そうなの……ですね」
「ブラウスに使われているボタンは高級品です。南部海岸付近で養殖されている白蝶貝の殻から一つ一つ職人の手作業で作られた貝ボタンは、平民には手が出せません」
「えっ……」
「さらにお肌や髪も手入れが行き届いていて、お嬢様のように美しい身なりと所作の女性は貴族とすぐにわかります。美しく若い貴族のご令嬢様は、人攫いに合うことも多いと聞いていますので、十分気を付けませんと」
まさか、自分が平民に見えていると思っていたとは思わず……リンは呆れた感じを隠すにも忘れて、余計なことまで口にしてしまったのだった。
お読み下さりありがとうございます。
評価、ブックマーク、リアクションなどの応援をして下さった皆様、本当にありがとうございます。
引き続きお付き合いいただけますと嬉しいです、よろしくお願い致します。




