11)リンと家出令嬢03
翌日、リンはいつものように起き、いつものように開店準備を行い、いつものように警備隊員たちに朝食を提供し、いつものように朝一番でカッチーニ山へ向かう人たちに水とお弁当や焼き菓子を販売した。
朝一番の忙しさが過ぎ去った頃、ベルタ用の食事を用意していると本人が宿泊部屋から食堂へでて来た。ゆっくりだったが、歩くことができるようになっている。顔色も悪くなく、熱が出ている様子もなくて、リンは安心する。
「おはようございます。そちらのテーブルにどうぞ、今、朝食をお持ちします」
「おはよう、お願いね」
店の一番奥にある四人掛けのテーブル席にベルタは座った。
「昨晩はよくお休みになれましたか?」
「ええ、お陰様で。体のだるさもなくなり、足の痛みも消えましたの。きっとあのお薬のお陰ですわね」
「それは良かったです」
鍋の中で温まっているのは、ニンジン、キャベツ、玉ネギなどの野菜を細かく刻んで鶏肉とベーコンを加えて作ったスープ。味付けは塩コショウのみで、野菜の甘みたっぷりの優しい味だ。
深皿にスープを盛り付け、クルミの入ったパンを薄めに切りチーズをのせて炙ったパンを添えて、ベルタのテーブルに運ぶ。
「食事の後、お薬を飲んでください」
「……あのお薬、苦いのですよね」
「良薬は口に苦し、と申します」
ベルタはスープを口に運び「美味しい」と小声で呟き、とろけたチーズの乗ったパンに手を伸ばす。食欲があるようで、リンは再び安心する。人間、食欲があれば回復している証拠だ。
「あの、リンさん」
「はい?」
キッチンに戻り、使用済みの食器を洗っているとベルタがリンに視線を向けていた。
「数日、ここに滞在することはできるのでしょうか?」
「……はい、可能です。一泊素泊まり八千ベル、朝食夕食付なら一万ベルでお泊りいただけます」
元々、ここコマドリ亭は休憩所という名の食堂兼宿泊所である。一階の奥に宿泊用の一人部屋が二部屋、四人部屋が二部屋用意されており、料金さえ支払えば好きなだけ宿泊できるようになっている。だが、実際に宿泊する者はあまりいない。ここから一時間も歩けばビゴン村に到着するし、そこから二時間も行けば目的地であるバディーニ港街だからだ。
「では、昨晩のお代を含めて宿泊と三回のお食事代を三日分お支払いしますわ。明後日まで、ここにいて色々と考えたいのです」
「……承知しました。三泊と朝晩のお食事代で三万ベル、昼食代三日分で三千ベル。合計三万三全ベル、お願い致します」
ここには何もない。観光地でも保養地でもないのだから当然だ。あるのは、豊かすぎる自然と小さな休憩所と雑貨店、山道を護る警備隊員と山道を通って行く人たちだけ。
何もなさ過ぎて、考え事をするには適しているのかもしれない。それにお代をいただけるのなら、何日宿泊してくれても問題はない。
ベルタは前払いで三万三千ベルを支払い、「リンさんのお仕事を見学させてください。邪魔はしませんから」と微笑み、ここにいる間はリンの側にいると宣言したのだった。
特別なことはなにもしないので、見ていても面白くないだろうと思うのだが……ベルタの望むままにすることにした。受け取った料金の中には、サービス代も含まれているのだから。
リンはほぼ一日、キッチンに立っている。
警備隊員たちと自分の朝食、昼食、夕食、休憩所に立ち寄って食事をしていく人たちへの食事、持っていくためのお弁当、クッキーやビスケット、シリアルバーなどの焼き菓子など、作る物が多いのだ。
ベルタはカウンターに座って、飽きもせずスープを作り肉や野菜の下拵えをし、焼き菓子を準備するリンを見守っている。
リンが夕食の支度をしながら、明日のお弁当の準備をしているとベルタは感心し呟いた。
「凄いわ……」
「なにが凄いのでしょう?」
「なにって、リンさんの手よ」
「手?」
「リンさんの手にかかると、野菜や肉があっというまに料理に変るのですもの。まるで魔法のようだわ。小麦粉がクッキーになって、肉はフライになって、葉野菜はサラダになって、根菜はピクルスになるのよ? 本当に凄いわ」
ベルタの目はキラキラと輝いていて、感心しながら楽しんでいる様子がうかがえる。まあ、貴族のご令嬢にしたら、料理は使用人の仕事であって無縁だ。物珍しいのだろう。
「……男の人は、きっとリンさんのように料理が上手な女性を望まれるのでしょうね」
「平民の男性なら、料理上手という部分も結婚相手に求める技能として重要になってくると思います。でも、お嬢様のお立場なら、そこは関係ないのでは?」
そういうと、ベルタは俯き首を左右に振った。
「帝都にいるような令嬢にとっては、料理は使用人の仕事。でも、地方では違うことも多いの。お菓子作りや簡単な手料理を作る令嬢は多いのです。手作りのお菓子を差し入れる、なんてよくある話ですわよ」
聞けば、ベルタは料理全般が苦手なのだという。家の方針もあり、マナーや家政、令嬢としての教養(音楽、刺繍、詩作、絵画など)を学び身に着けることを優先とされ、お菓子作りなどは学ばなかった。
「わたくし、それでいいと思っていました。お食事もお菓子も料理長たちが美しくて、美味しいものを作ってくれるのだもの……だからそれでいいと。わたくしのすることは、家政であり社交。夫になる方を支えて、母となって子どもを育てていくことだと」
「それは、貴族令嬢として正しいと思います」
「そうね。でも、夫になる方は……もっと家庭的なことも出来る女性が良かったようなの。それに、わたくしの足はこんなになってしまいましたし」
ベルタはかなり美しい令嬢だ。
シンプルなブラウスとスカート姿。髪は下ろしただけで、装飾品は全くつけていない。けれど、目を引く美しさがある。
その証拠にベルタより少し年上だろう若い警備隊員二人は、食事のときにベルタを見てはソワソワと落ち着かない様子を見せる。美しい女性を見かければ、独身男性が落ち着かなくなるのも仕方がないことだろう。
「……」
リンは干したオレンジの皮を混ぜ込んだオレンジティーを淹れ、焼き上がったばかりのナッツクッキーをベルタの前に出した。今にもベルタの大きな瞳からは涙が零れそうだ。
「……あ、ありがとう」
そのままリンは籠に入った豆と深皿を持って、ベルタの向かいに立つ。そして、分厚いさやから豆を取り出しては皿に出していく。
ベルタはさやから出てくる緑色の豆を見つめながら、小さな声で言った。
「リンさんの意見を聞いても、いいかしら?」
「私でよければ」
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