07)リンと異国の元男爵令嬢02
「……ありがとう。少し気が楽になったわ。周りの人に頼ることも大事よね、下町ではみんな助け合って生活していたのを忘れてた。私、まずは修道院に行って赤ちゃんを無事に産む。それから、仕事をしながら赤ちゃんを育てる。小さな目標をたてて、それに向かって頑張るわ」
「それがいいと思います」
「ミルクとクラッカーをありがとう、美味しかった。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
リンに見送られ、ラーラは部屋に戻った。
客室はベッドが一台、小さなテーブルと椅子、物置棚があるだけ。飾りらしいものといえば、物置棚に置かれた一輪挿しに活けられた白い花くらい。殺風景な部屋だけれど、シーツは洗い立てで清潔だったし、布団や枕は日に干されてふわふわだ。
あのリンという女性が一人で準備を整えてくれたと思うと、ありがたさを一層感じた。
ゆっくりベッドに横になり、まだ全く変化のないお腹を擦る。
ラーラの胸の内はあの日からずっと、不安と恐怖と悔しさと怒りで満たされていた。
あの日というのは、ラーラの愛したアウグストが毒杯を賜ったと聞かされた日のことだ。しかも、アウグストがもうこの世に居ないのだとラーラに伝えたのは、筆頭公爵家の令嬢エヴァンジェリーナだった。
アウグストと引き裂かれ、ラーラが押し込められた部屋にやって来た白銀の髪に菫の瞳を持つ美女は、いつものように黒髪碧眼の護衛騎士を引き連れて「殿下は廃嫡され、毒杯を賜り天の国へ旅立ちましたの」と言ったのだ。まるで、親しい友人とのお茶会で会話を楽しむかのように。
そのとき、微笑むエヴァンジェリーナを見てラーラは確信した。薄々感じてはいたものの、確信も証拠もなかったので確信が持てなかったことだ。
「……そうですか」
「あら、泣き叫んだり悲しんだりしないのですか?」
「それをする前に、お尋ねします。……自分の思い通りになって、満足ですか? 殿下や私、私の家を踏み潰して、自分の想いを叶えて気が済みましたか?」
ラーラの言葉にエヴァンジェリーナは笑顔を止め、控えていた護衛騎士は剣に手をかけて一歩前へと踏み出した。だが、それを止めたのは令嬢だ。
「あなた様は最初から王太子妃に、アウグスト様の妃になるつもりなんてなかったんじゃないですか? そこの護衛騎士さんと結婚して、貴族として生きるためにどうしたらいいか。それを何年も前から考えてきたんじゃないんですか?」
「……どうして、そう思ったのかしら?」
「あなた様と護衛騎士様が想い合っているから、ですよ。二人で想いを遂げるためには、貴族という立場を捨てるのが一番簡単です。でも、生まれたときから高位貴族であったお二人は貴族でなければ生きていけない。しかも、あなた様は王太子妃で次の王妃と望まれているお立場。どうしたら、貴族籍を捨てずに一緒になることができるかを考えた」
一番安全で確実な方法が、婚約者である皇子の有責による婚約の解消。そして、生家である公爵家の跡取りになって婿を迎える立場になること。
王太子の気持ちに応えることなくただ義務的な婚約者となり、適当な令嬢と王太子を出会わせて恋仲になるよう仕向ける。そして、王太子の有責にて婚約破棄。王太子は廃嫡、令嬢は追放なり処刑なりで始末。
空席になった新しい王太子と王太子妃の席には兄夫婦を座らせ、自分は次の公爵家当主の席に座る。そうすることで父公爵や親族を納得させて、侯爵家出身である護衛騎士を婿に迎えることが可能になるのだ。
「……違いますか?」
「いいえ、違わないわ。……そうね、あなたに言われるまでわたくしは理解していなかった。私の生家を筆頭とする派閥と、父の冷酷さを」
エヴァンジェリーナは手にしていた細工の美しい扇を閉じ、目を伏せた。
「私との婚約を失くした後の殿下がどうなるか、考えなかったわけではないわ。王族という籍から離れて伯爵位くらいの爵位を貰って、あなたと結婚して生きていく、私の予想ではそうだった。あなたは貴族のマナーをしっかり学んでいたし、学校の授業も王家での教育でも結果を出していたから。けれど、現実は違った」
「……」
アウグストは廃嫡されて毒杯を煽った。ラーラの生家は消え両親は平民になり領地に去り、ラーラ自身は罪人として修道院に送られる。
「殿下を殺して、私を踏み潰して、お兄様夫婦は新しい王太子夫妻になり、お父様は次期国王の父であり未来の王子王女の外祖父になり、自分は恋した相手と公爵家を継ぐ。あなた様のお家を筆頭とする派閥は力を増す。満足ですか?」
「……」
「満足ならいいです。せめて、他人の命を踏み潰して自分の一族を上へ押し上げて、自分の想いを遂げた、それだけは忘れないで下さい。二度とお会いしません。さようなら、お幸せに」
ラーラは平民らしく床に両手と額を擦り付ける。
元々は下町に生まれて育ったラーラだ、理不尽な目に合うことも言われることも知っているし、貴族に土下座することも当たり前だ。屈辱でもなんでもない。
エヴァンジェリーナが護衛騎士と想い合っていることについて、ラーラはなにも思わない。誰かを好きになることは、自然なことだから。だからと言って、何をしていいわけではない。
そこはラーラ自身にも当てはまることだ。
好きになったから、次の国王になる人の隣に男爵家の庶子がいて良いはずがない。だからこそ、認めて貰うために頑張って学んだ。マナーも外国語も社交術も、必死になった。
けれど、公爵家と公爵家を支持する派閥と王家によって、愚かな恋をした王太子と男爵令嬢は排除される。庶民が見たのは所詮夢であったという現実を国内に突きつけ、真に王と王妃に相応しい人物を国に頂くために。
「……ラーラさん。明日の朝、二人の修道騎士が訊ねて来ます。彼女たちと一緒に行動してください、お願いします」
額を床に擦り付けたままでいるラーラにそう言って、公爵家の姫は出て行った。
きっと、エヴァンジェリーナはラーラを生かすつもりなのだろう。そんなことをするつもりなら、アウグストも生かしておいてほしかった。ラーラから最愛の人を奪わないでほしかった。
結果として、ラーラは修道騎士たちと行動を共にし、今コマドリ亭にいる。移動直前に妊娠がわかったからだ。
時間が流れていく中で、胸に合った怒りや悔しさは薄れていったけれど、不安や恐怖は消えなかった。けれど、リンと話しをして、優しい気配りを受けてさらに薄れた気がする。
「……そうね、大丈夫、きっと、なんとかなるわ。大丈夫よ。だって、私は平民としても貴族令嬢としても頑張ったのだもの。修道院で修道士としてだってやっていける。平民ほど忙しなく働かなくてもいいし、貴族ほど腹の探り合いもしなくていいのだもの。大丈夫、きっと」
ラーラは目を閉じ、眠りに落ちる。
夢も見ないでぐっすり眠れば、生来の性格故か前向きに考えて行動しようと、素直に思えるようになっていた。
翌日、修道騎士たちとラーラはコマドリ亭を後にした。
スープと目玉焼きとパンの朝ごはんをしっかりと食べ、ハムとチーズ、レタス、ニンジンラペを分厚く挟んだサンドイッチ弁当と、チーズクラッカーとシリアルバーもしっかり購入して。
食欲があるのなら、大丈夫だろう。
無事にジェメッロ島の修道院に到着できますように、無事に元気な赤ちゃんが生まれますように、そう願いながらリンは彼女たちを見送った。
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