06)リンと異国の元男爵令嬢01
宿泊客を迎えたコマドリ亭は賑やかだ。
夕方にやって来たのは女性ばかり三人。そのうち二人は各地にある教会や修道院に所属する修道騎士で、修道院に向かう女性を護衛しているのだといった。
護衛対象である女性は頭から足の先まですっぽりと外套で覆われていて、女性であることしか分からなかった。けど、どう見ても訳ありだ。
リンはお客様の細かな話は聞かない。人にはそれぞれ事情があるのだ。ただ、お客様が話したい、聞いて欲しいと願うときは聞く。そして、聞き置くのだ。
通常通りリンは彼女たちを二階の客室に案内して、風呂やトイレの使用法を説明した。
彼女たちは二週間ぶりだというお風呂を堪能し、隣の雑貨店に洗濯を大量にお願いしてから夕食を取る。
夕食は鶏の腿肉を塩コショウと酢で照り焼きにして、葉野菜のサラダと刻んだパセリと粉チーズ合わせた粉吹きイモ、野菜スープとパンだ。
一般的な一人前よりは多く盛り付けたつもりだったが、彼女たち(特に修道騎士の二人)はペロリとたいらげスープとパンのお代わりまでした。
お客様の笑顔と良き食べっぷりはリンの癒しであり、達成感を味合わせてくれる大切な要素。美味しい、と言ってたくさん食べてくれてリンはとても満足だった。
夕食が終わり、片付けを終えるとコマドリ亭は静かな夜を迎えた。
七時に夕食を食べに来た警備隊員たちはすでに警備宿舎兼詰所に戻っているし、修道騎士と女性は宿泊用の客室にすでに入って休んでいる。
リンは一人、キッチンに残っていた。
明日の朝食の仕込み、午前中に販売するお弁当の仕込み、売り切ってしまった焼き菓子は今夜の内に作っておかなくてはならない。
リンは野菜を刻み、きのこをほぐし、ベーコンを切り分けてスープを作りながら、小麦粉と砂糖を計量する。
一人黙々と作業をしていると、二階から人が下りて来る音がして顔を上げた。そこには、修道騎士の二人が護衛している女性が立っている。
「……お手洗いなら右側の壁沿いです」
「いえ、その……お水をいただけますか?」
「はい、こちらへどうぞ」
女性は小麦色の髪を緩い三つ編みにして左肩から垂らしており、分厚い木綿の色気ゼロの夜着を着てショールを羽織っていた。
カウンター席にゆっくり座る。彼女の紅茶のような赤味のある瞳は、興味深そうにリンの手元を見つめる。キッチンテーブルには、切り分ける前の状態になっているチーズクラッカーの生地。
「……」
リンは手早くぬるいくらいの砂糖入りホットミルクを作ると、湯冷ましと一緒に女性に出した。
「どうぞ。お腹の中から温まると、よく眠れます」
「ありがとう。作業を見ていてもいい?」
「構いません」
リンはチーズクラッカーの生地を正方形に切り分けると、フォークで穴をあけてからオーブンに入れた。クラッカーは薄いのですぐに焼けるのがいいところだ。
「……私ね、修道院に行くの」
「そうですか」
「ジェメッロ島って知ってる?」
「修道院がある島だと聞いたことがあります、男子と女子それぞれの修道院があるとか」
「そうなの。双子みたいにそっくりな形をした島が二つ並んでいてね、東側の島に女子修道院、西側の島に男子修道院があるんだって。私は……その真ん中にある管理島に入る予定なの」
女性はそう言って、ホットミルクを少しずつ口に含んだ。
「修道院っていっても、お金の管理や事務処理があるの。当然よね。今は修道院で過ごして五十年っていう修道士が担っているのだけれど、そろそろ引退で……その代わりが私なのですって」
「……そうなのですか」
「管理棟で修道院の運営管理をしたら、ジェメッロ島から出ることは許されないけど私と赤ちゃんは生きていていいって言われたの。もし断れば死罪って言われたら、了解するしかないじゃないのよねぇ?」
オーブンがチリンと音をたて、クラッカーの焼き上がりを訴える。リンがオーブンを開けると、香ばしいチーズと小麦の匂いが室内に広がった。
「私、死罪相当の罪を犯した罪人なの。けど、私が死ぬのが嫌だっていう偉い人がいて、お腹に赤ちゃんもいるし、国を離れて修道院に行くようにって、その人から言われたの。でも、その、正直に言うと……実際に死んじゃった方がよかったなって思ったりするわ」
「どうしてですか?」
「そうなんだけど。私が好きになった人、赤ちゃんのお父さんなんだけど、その人は……もういない。とても身分が高い人だったから、その責任を取らなくちゃいけなかったのだって。凄く悲しくて、苦しくて、絶望するってこういうことだと思い知ったの」
焼き上がったチーズクラッカーを大きな皿に並べ、次の生地を天板に並べてオーブンへと戻す。
「でも、赤ちゃんのためにも、私が生きてしっかりしなくちゃって思うのだけど……また不安になったり怖くなったりして。でも、そんなことじゃいけない、ダメだって思い直して元気を出すんだけど、でもまた不安になって。それを繰り返しているの」
少しずつホットミルクを口にしながら、女性はリンに語り掛けているようで自分に言い聞かせている。
「味見、してみてください」
リンは焼けたクラッカーを小皿に乗せると、女性に差し出した。
ホットミルクの入ったカップを置くと、女性はチーズクラッカーを口に運ぶ。パリッと小気味よい音が響き、女性は「美味しい」と目を丸くした。
「不安になったり、それじゃあだめだって奮い立ったり。今はそういう気持ちになることが多いんだと思います。でも、それ、仕方ないと思います」
「え?」
「だって、初めてお母さんになるんですよ。旦那様もいない、頼れる人もいないとなれば不安だし怖いに決まってます。でも、きっとあなただけじゃない、皆程度の差こそあれ同じようなことを思うと思うのです。初めてのことって、なんでも怖いじゃないですか。だから、自分をダメだなんて思わずに周囲の人の話を聞いたり、頼ったりしたらいいと思います。皆さん、先輩お母さんなんですから」
「……ええと、あなた、十六、七歳?」
「はい、十七歳です」
女性は苦笑いを浮かべ、ホットミルクを飲み干した。
「私より三つも年下なのに、ずっと年上の人をお話ししてるみたい」
「平民ですから」
「あら、私だって父に引き取られて男爵家に入るまでは平民だったのよ? それなのに、私が十七歳のときとは全く違うわ」
今度はリンが苦笑いを浮かべる。
十代後半の若い娘の姿をしているのに、酷く大人びた物の考え方をするとはよく言われる。それが誉め言葉であるのかどうか、よくわからないでいるリンだ。
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