05)リンと異国の元王子様03
隣にある雑貨店、通称ツバメ屋で買ったという古着のシャツとズボンはアウグストには大きかった。ズボンの裾を捲り、シャツの袖を捲らなければならなかったけれど、それは洗濯されて石鹸と日光の香りがして、素直に気持ちの良い服だと思えた。
アウグストの汚した客車を掃除したのだという護衛傭兵たちは疲れた様子で、リンがサービスだといって出したお茶とチーズクラッカーを食べている。
「……うーん」
リンはカウンター席に座ったアウグストを見て、首を傾げた。
「どうかしたかい?」
「いえ、あなた様の体調で肉や油は体が受け付けないだろうと思いまして。今ある食材で出来るものを考えていたのです」
「……あ、いや、食事は大丈夫だ。水を貰えれば、いい」
ラーラを亡くしたと聞いてから、食欲は全くないし、パンやスープを口に入れても味はしない。砂を噛んでいるようだ。そのため、食事量は本当に少ない。
「ダメです」
想像したより強く否定され、アウグストは驚いた。
「食べなくてはいけません。辛くても、悲しくても、あなた様は今生きているのですから」
「……しかし」
アウグストの世界は滅んだ。ラーラが失われた世界になど、生きている意味がない。
ラーラのいる場所に行きたいと願った、それには死ぬしかない。自らを殺す行為は法律で禁じられているが、間接的にはできる。一番簡単にできそうだったのは、食べないことだ。
味覚を感じなくなったことも、そうしろと言われているような気がした。
「ダメです。しかしもお菓子もありません」
リンは根菜のスープを火にかけ、保冷室から昨日の残りご飯を取り出す。コトコトと優しい音をたてはじめたスープの中にご飯と刻んだきのこを入れ、醤油と塩で味を調える。
冷たかったご飯が温まりスープを吸ったところで、溶いた卵を流し入れてふわりと仕上げた。
「どうぞ。具沢山のスープご飯です。熱いので、気を付けてゆっくり食べて下さい」
目の前に出された大きな深皿には、小さく刻まれた種類豊富な野菜ときのこと米がスープを含んで柔らかくなり、その上にふっくらとした卵が乗ったスープご飯が盛られている。強制的にスプーンを握らされ、『残さず食べろ!』とばかりにリンに睨まれた。
「……ありがとう」
わざわざ自分用の食事を用意して貰った礼を述べると、アウグストは木製のスプーンをスープご飯に差し入れる。大量の湯気と共に野菜の煮込まれたスープの香りが立ち昇った。
「うわー、いい匂いさせてんなぁ! ねえ、お嬢さん、このチーズのクラッカーって売ってないの? 美味いから買いたい」
「ありますよ。あと、トマトとハーブ味もございます」
「え、そっちも買ってく!」
護衛騎士たちの飲食代、動物たちの水代、クラッカー代、アウグストの入浴代と食事代、リンに諸々の会計を頼み、クラッカーの入った袋を受け取る様子を眺めながらアウグストはスープご飯を口に入れる。
温かい、そして味がした。
ニンジン、ダイコン、イモ、ネギ、キノコ、入っている野菜は皆甘い、米はコクのあるスープを含んで崩れそうになっている。ここまでうま味の強いスープを口にしたのは、生まれて初めてだ。
「……美味い」
自然にそう呟いた。
「おう、美味そうだもんなぁ、それ。お嬢さん、このお坊ちゃんが食ってるもの残ってないの? 俺も食いたいよぉ! 本当に美味そうなんだもん!」
「……クラッカー、食べていらっしゃいましたよね」
「それとこれは味が違うから、別腹」
「そんなにたくさんは作れないですよ? スープの残りが少ないので」
「おお、やったー!」
リンと護衛傭兵の会話を聞きながら、アウグストはゆっくりとスプーンを動かす。
温かくて美味しい、体に染みる旨さのあるスープだ。とても美味しい。
この美味しいものをラーラにも食べさせてやりたい。一緒に食べたい、そう思う。
小さな木造の家だ、二階なんてものはない平屋の小さな家。居間と食卓を兼ねたテーブルに並ぶのは、野菜と雑穀を煮込んだスープと野菜の酢漬け。肉や魚なんて全く入っていない、素朴な料理と常備食。だが、スープは出来たてだし、常備食も手作りだ。
テーブルには椅子が三つ。自分とラーラと、二人によく似た小さな子ども。家族三人で食卓を囲み、同じものを一緒に食べる。
アウグストの目尻から、涙が零れた。
今の光景はアウグストの頭の中で想い浮かべたものであり、現実ではない。けれど、まるでそこに実際あったかのように思い浮かべることができた。
いつか、教育係の誰かに言われたのだ『殿下、頭の中で事実のように思い浮かべることができなければ、それは現実させることはできないのですよ』と。
ならば、この幸せな光景を……現実にできればいいのに。
次から次へと涙が零れたが、アウグストはスプーンを動かし続けた。このスープご飯を食べている間だけは……幸せな食卓が頭の中にずっと思い浮かべることができたから。
泣きながら食事をするアウグストを見ても、リンはなにも言わず護衛騎士用のスープご飯を作っていた。
* * *
遠い国の元王子様と三人の護衛傭兵がコマドリ亭に寄ってから二ヶ月ほどが過ぎた。
アウグストがジェメッロ島の修道院に入って一ヶ月が過ぎた頃である。そろそろあの元王子様も修道院での生活に慣れたか、ダメになったかのどちらかだろう。
リンの目にアウグストは悪い人には見えなかったから、修道院で穏やかな生活を送ることができていたらいいと思う。
誰もいなくなった店内でレモン水を飲み、大きく息を吐いた。
季節は夏の終わりに入り、朝晩は涼しさを感じる。そろそろブラウスを半袖から七分袖のものに変えようかと考えながら、ランチタイムの後片付けを終えてひと息ついていた。
今日は昼前に山へ入るキャラバン隊が三つもやって来て、リンの準備したお弁当や焼き菓子を全て買い上げ、日替わり定食を全て平らげて行ってしまったのだ。
売上的には嬉しいが、作り置きしておいた焼き菓子類も全くないので、大量に作らなくてはならないのが憂鬱である。
「よしっ」
憂鬱だが、自分で作る以外にないので作業に取りかかることにした。ここでは頼れるのは自分だけなのだ。
レモン水を飲み干し、キッチンに入るとリンは乾燥した豆類を水に浸け、ニンジンや玉ネギといった野菜を刻み始めた。今夜と明日の日替わりランチ用のスープを準備し、明日のお弁当用の支度もしなければならない。それが終わったら、焼き菓子の制作だ。
キッチンで準備をしていると、壁掛け時計が夕方五時を知らせた。
二時間後には、この山道入り口の警備隊員たちが夕食を食べにやって来る。夕食用のサラダを盛り付けていると、スイングドアが開いた。
「すまない、一晩の宿と今日の夕食と明日の朝食を三人分、頼めるか?」
時間はずれのお客様に、リンは「はい」と返事をした。
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