21)リンと高貴なお坊ちゃま02
「リンは休みの日はないの?」
朝食のチーズオムレツを口に運びながら、アンジェロはカボチャのポタージュスープを運んで来たリンにそう尋ねた。
リンを絵に描いた湖に誘いたいのだが、休日はいつなのか? そういう意味なのだと言われ、リンは嬉しくなる。
「すみません、私にはっきりと休日はないのです。ここにいらっしゃるお客様のお相手をするのが仕事ですので」
「……むー」
アンジェロは唇を尖らせ、不満を目いっぱい表現した。子どもらしい分かりやすい態度だ。
「坊ちゃま、リンさんを困らせてはいけませんよ。旦那様たちからも、皆の仕事を邪魔してはいけないと言われましたでしょう?」
「わかってるったら。でも、屋敷の皆は交代で休みの日があるのに……リンはないの」
「申し訳ありません、お夕食の片付けをして翌日の準備が終わるまでは動けないのです。その頃にはもう夜になってしまっているので……」
「むむー」
「私も残念です。一度、アンジェロ坊ちゃまの描かれた絵の場所を見てみたいです」
アンジェロは今までに何枚もの絵を描いている。中でも、ここから三十分ほど歩いたところにある湖が一番のお気に入りのようで、一番沢山描いているのだ。
自分の気に入った景色をリンと一緒に見たい、分かち合いたいと思ってくれたことが嬉しい。
今日の夕食はアンジェロが大好きだというテリヤキ味のミートボールをメインにし、デザートはりんごのゼリーにしようかなんて思うくらいには嬉しかった。
「すっかりリンはあのお坊ちゃまに夢中だな。メニューでわかる」
「確かにー、甘い味付けの料理が増えたね」
「あと、可愛くて綺麗な盛り付け」
アンジェロがミケーレと共に出かけている昼食時、ルカやパウロたち警備隊員たちに指摘されてしまう。どうやら、夕飯に子ども向けのメニューが増えているようだ。
揶揄われているだけで、誰も本気で言っているわけではないとは分かっている。甘めのテリヤキ味は彼らも好きな味だからだ。
でも、こうやって揶揄って笑う意地の悪い男どもより、可愛く拗ねる少年の方を優先してしまうのは、仕方がないことだ。とリンは思う。
* * *
夕食の片付けが終わり、明日の朝食の下準備も済ませたリンは厨房の火を落とした。
この後、クッキーやビスケットなどの菓子類を作ることも多いのだけれど、在庫を見る限り今日は作らなくても問題なさそうだと判断する。
リンはエプロンを外し、髪を纏めている三角巾も外した。
「……リン、リン、仕事は終わった?」
「え? ……アンジェロ坊ちゃま、お休みになったのでは?」
時刻は午後九時半過ぎ、アンジェロはミケーレと共に夢を見ている時刻のはずである。キッチンにやって来たアンジェロは外出用の服に外套を身につけていた。
「リン、外へ行こう。ほら、ほら、早く!」
「アンジェロ坊ちゃま」
「今日はいい天気だから、星が綺麗に見える!」
スカートの端をぐいぐいと引かれ「行こう」と何度も言われ、リンは肩を竦めて頷いた。
季節的には早いが、夜の山は思っている以上に冷え込むことがあるため、冬用の上着を羽織り、マフラーを首に巻く。大きなポンポンの付いた帽子をアンジェロに被せてから、一緒に外に出る。
コマドリ亭の全面にあるウッドデッキに座り、二人で夜空を見上げれば空一面に宝石をまき散らしたかのような星空が見えた。月が出ていない分、星がはっきりと見える。
「……綺麗」
「だろう? こんなきれいなのだから、一緒に見たかった」
セリフだけ聞けばまるで口説かれているかのようだが、隣にいるのは少年で〝綺麗だから一緒に見たい〟という純粋な思いから出て来たものである。
「そうですね、ありがとうございますアンジェロ坊ちゃま。こんな綺麗な星空を見るのは、初めてです」
「……えへへ、僕もリンと一緒で嬉しい」
少し寒いのだろうか、アンジェロの頬が赤くなっている。
「あ、そうだ! リン、こっち!!」
アンジェロは勢いよく立ち上がってウッドデッキから飛び降りると、そのままカッチーニ山の山道へ向かって走り出す。あっという間の出来事だ。
「ま、待ってください!」
リンが立ち上がる間にもうアンジェロは山道入り口にまで移動し、振り返って「リン、早くー!」と手を振る。そして山道に入った。
紺色の外套、淡い灰色の帽子が夜のカッチーニ山に飲み込まれる。
「アンジェロ坊ちゃま!!」
リンはアンジェロを追った。
夜の山道は危険だ。ただでさえ山を越える道は険しいというのに、周囲は夜の闇に包まれていて何も見えない。さらに、山に住む野生動物の殆どが夜行性だ。カッチーニ山にはクマやオオカミ、トラといった大型の動物も暮らしている。
「……? どうした、デッキで星を見てたんじゃないの?」
詰所の窓が開きパオロが顔を出し、奥で雑誌を見ていたルカが顔を上げる。
カッチーニ山の山道横には警備隊の詰所兼宿舎が建っている。二十四時間、詰所には警備隊員が常駐して山道とそこを行き来する人たちを見守っているのだ。
しかし、アンジェロは体が小さいため詰所の窓下を通り抜けてしまう。
「あ、アンジェロ坊ちゃんが山道に入ったの! 連れ戻さなくちゃ!!」
それだけを言うと、パオロとルカの返事を待たずにリンはアンジェロを追った。
もう姿が見えない。
アンジェロが纏っていた外套は濃紺で、夜に溶け込んでしまう色だ。リンが被せたポンポン付きの帽子は淡い灰色であったため、その方が目立つだろう。
小さくアンジェロの名前を繰り返しながら、恐らく通っただろう山道を進む。
きっと、カッチーニ山の山道脇にあるのだという湖に向かったのだろう。アンジェロはリンと一緒に行きたがっていた。けれど、リンには仕事があり昼間明るいうちに行くことができない。
ならば、夜仕事が終わってから行けばいい。そう考えたに違いないのだ。
「アンジェロ坊ちゃま……」
山道は落ち葉に覆われ、歩きにくい。何枚も重なった葉は足を乗せると滑るのだ。葉の下に隠れた木の根に足を取られ、転びそうになる。
「どこなの」
「リン、待て! 一人で行くな!!」
輝く魔石を入れてある魔石カンテラを持ったルカが追いかけて来て、転びそうになるリンを支えた。
「ルカさん……」
「おまえまで行方が分からなくなっては困る。あのお坊ちゃまが心配なのはわかるが、自分も同じ立場になるかもってことを考えろ。大丈夫だ、ジュリオ隊長たちも来て探してくれる」
「……湖に、いると思うのです。探して、探してください!」
リンはルカの制服を強く握った。
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