17)リンと新米調薬師01
カッチーニ山南山道口は山を切り開いて円形に作られた平地だ。
中央に井戸、山道左脇に警備隊詰所兼宿泊所、少し離れた右脇に休憩所兼食堂の〝ペッティロッソの宿り木〟・通称コマドリ亭と、雑貨店〝ロンディスの巣〟・通称ツバメ屋が並ぶだけの小さな休憩場所だ。
時刻は一時過ぎ、コマドリ亭はカッチーニ山を越えるためにやって来た商人や傭兵などの旅人を送り出し、静かな時間を迎えている。
リンはビスケット作りの準備中だ。
「……あの、すみません。営業していますか?」
濃い茶色のスイングドアが開き、店内を見回しながら一人の旅人が入店する。声からしてまだ年若い女性であろうとリンは思った。
「はい、やっております。お食事と軽食とお茶のご用意があります、水筒への補給と乗って来た山アルパカなどへの水もこちらで」
「あ、ありがとうございます。ええと、乗って来たアルパカのお水と私の水筒にもお願いします。それと……食事をお願いします」
「お昼は日替わりメニュー一種類のみで、本日は鶏肉と青菜のクリーム煮、ブロッコリーと卵のサラダ、ステック野菜の甘酢漬けにパンかライスが選べます。お代は千二百ベルですが、よろしいですか?」
リンはメニューの説明をしながらクリーム煮の入った鍋のフタを開けた。すると店内にミルクと野菜が煮えた甘い香りが広がる。
「はい、お願いします。……えっと、ライスで大も……」
女性が言う言葉を遮るように〝ぐううううう〟とお腹が鳴る音が響く。
「あ……すみません。一昨日、持っていた食料を食べ尽くしてしまって、それからなにも食べてないのでお腹がすいちゃって」
「かしこまりました。すぐにご用意します」
女性はフードを深く被って俯くと、カウンター席の最奥に着いた。
お腹が鳴ってしまったことが恥ずかしいらしく、女性はフードを被ったまま周囲を何度も見まわしてなかなか旅装を解こうとはしない。
深皿にたっぷりとクリーム煮を盛り付け、炊き立てのご飯も皿にたっぷり盛り付ける。ブロッコリーと卵のサラダの入った皿と野菜の甘酢漬けの小皿を添えれば、本日の日替わりメニューの完成だ。
「お待たせしました。本日の日替わりです」
「ありがとうございます」
リンが食事を運んでいくと、女性はようやくフードを外して顔を見せた。
想像リンが想像していたよりも年若い女性だ、年は十五か十六といった感じだ。栗色の髪に若草色の瞳、肌は白い……けれど手袋を外した手や爪は青や緑といった色でまだらに染まっている。染まった手首には緑色の皮ブレスレットが揺れた。
「あ、すみません。手、汚れていて見苦しいですよね。家族にも汚いって言われてたんですけど、これ洗っても落ちなくて……」
「見苦しくなんてないですよ。ええと、染色職人さんか、調薬師さんでしょうか?」
リンが温かいお茶をカウンターに出しながら聞くと、女性は目を大きく見開いていた。
「あれ? 私不勉強なので他に手が染まってしまう仕事を知らないのですが……」
布や糸を染める染色職人、様々な生薬を合わせて薬を作る調薬師を生業にしている人たちは、数多くの植物や鉱物などを扱うため手がそれぞれの色に染まってしまうのだ。洗えば色は薄くなるだが、翌日にはまた仕事をするため常に手指や爪には色がついている。
「い、いいえ。私、調薬をしています。……まだ、三級調薬師で新米なのですけど」
「その若さで調薬師の資格を持っているなんて、凄いです。努力されたんですね」
この国では様々な仕事に関して資格試験があり、命や将来を左右するような仕事に関しては特に難しい試験に合格しなくてはならない。調薬師もそんな難しい資格試験のある職業だ。
一番下が三級で新米、駆け出しと呼ばれる。それでも、調薬科のある学校を卒業する、もしくは卒業見込みであることと学科と実技の試験に受からなくては名乗れない。合格率は三割程度と、なかなかに狭き門だ。
「……」
若草色の瞳が揺れ、みるみる涙が盛り上がって零れる。
「えっ、あのっ……ごめんなさい、勝手なことを」
突然の涙にリンは慌てた。素直に調薬師の資格を持っていることが凄いと思ったし、資格取得のためにたくさん努力したのだろうと思った、それを口にしただけだったのだ。
「い……いえ、ありがとう、ございます。……そんな風に、言って貰えたのは、初めてで……嬉しくて……」
ティーナと名乗った若き調薬師はしばらく涙が溢れて止まらず、リンの差し出したおしぼりで何度も目元を押さえた。
「こんにちは、お弁当はまだありますか?」
「いらっしゃいませ。サンドイッチのご用意があります、本日はハムカツサンドとオムレツサンドの二種類です」
うれし泣きだだとはいうが、大粒の涙をこぼすティーナのことが気にかかる。しかし、他の旅人の相手をしないわけにもいかず……リンは後ろ髪を引かれる思いで居住まいを正す。
「では、ハムカツを二つ、オムレツを一つ、それと……このジャムクッキーを一つください」
「三千二百五十ベルになります」
二十代半ばから後半だろう夫婦に、五歳くらいの少女の三人家族だ。これから徒歩でカッチーニ山を越えるのだろう。
リンはサンドイッチとクッキーを包み、代金と引き換えに手渡した。お釣りを用意してると、昼休憩に入ったのだろうルカが来店して隅のテーブル席に着いた。
「おねえちゃん、どうしてないてるの? どこかいたいの?」
少女はカウンター端で泣いていたティーナに声をかける。
「え、あ。大丈夫よ、どこも痛いところはないの。嬉しいことがあってね、涙が出ちゃったのよ」
「そうなんだー、いたいじゃなくてよかったー」
少女が微笑み、ティーナもつられるように微笑む。
「心配してくれて、ありがとう」
「どういたしましてー」
若い夫婦と少女がリンとティーナに手を振ってコマドリ亭を出て、広場を抜けカッチーニ山山道に入っていく。
まだ幼い子どもを連れて徒歩での山越えは大変だろうが、無事に山を越えて欲しいとリンは願う。
「……無事に山を越えられるといいですね」
同じことを思ったらしいティーナの呟きに「そうですね」とリンはルカの昼食を用意しながら返す。
「なんだかとっても羨ましい光景でした……お父さんお母さんに娘さん、家族で一緒にいられる。山越えは大変ですけど、家族一緒なら頑張れると思うんです」
ティーナは大きく鼻をすすると、少し冷めてしまった鶏肉と青菜のクリーム煮を大きな口を開けてかき込んだ。
「……美味しい。こんなに温かくて美味しいものをいただくのは、初めてです。山越えでは干し肉やナッツばかりで、学校の食堂で出された昼食は量だけはあるんですけど、正直美味しくなくて」
「でも、家で出されるものが一番美味いだろう?」
ルカはリンの用意したサラダのブロッコリーにフォークを突き刺しながら、そう言った。リンはそれに苦笑いを浮かべ「それは当たり前です」と返した……のだが、ティーナは首を左右にふる。
「いいえ、この料理の方が何倍も温かくて、美味しいです」
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