14)リンと辺境伯家のご令息01
バディーニ港街はカルロにとって叔父が治める美しく活気のある港街である。
大小様々な船が出入りし、文化や異国の珍しい品が早くに入って来る場所であるため、この街に滞在するのが好きだった。
叔父の子である従姉妹たちは四人全員が女性で、幼い頃は共に遊んだが。長じてからは節度のある関係にはなったが、仲はよいままだ。共に祭りを見て回ったり、お茶とお菓子を楽しんだり、ときには演劇や絵画展などに行くこともあった。それも、婚約者ができるまでのことで、今は季節の挨拶や誕生日を祝い、夜会で会えば会話を交わす程度になっている。
カルロはアルファーノ家の叔父叔母、従姉妹令嬢たちとの関係に疑問を持ったことはない。
彼女たちには一人を除いて皆婚約者がいるし、カルロ自身にもいるのだ。貴族として、貴族の血を引く者として正しく歩んでいるつもりだった。
婚約者であるアルベルタはタスカ子爵家の令嬢で、通っていた魔法学校の先輩が「妹だ」と学校祭に連れて来ていたときに出会い、恋をして、恋人関係になり、父に頼み込んで婚約を申し込んで貰った。
南部地方を治めるアリオスト辺境伯家の子息といっても、カルロは三男で継ぐべき爵位がない身である。貴族学校を卒業し、成人年齢に達すれば平民となる立場だ。
最初タスカ子爵家からの反応は良いものではなかった。だが、何度も訪問してお願いし、手紙をだし、本気で想っているのだと伝えた。
一年近く続けた結果、お互いがお互いを伴侶として望んでいることが伝わり、最終的には婚約を認められたのだ。
そんなころだ、カルロが次のアルファーノ子爵候補として名前が挙がった。しかしそれは、アルファーノ子爵家にカルロが婿入りする形ではない。
カルロがアルベルタを妻とし、ふたりが次代のアルファーノ子爵夫妻になる形での候補だった。
決して、アルファーノ子爵令嬢イレーヌとカルロが結婚する形での候補ではないのだ。
「……だから、俺は」
だから、アルベルタが婚約解消届けに署名し、姿を消すなど夢にも思っていなかった。
いつだって、どんなことがあったって、アルベルタは自分の隣にいると……思っていたのだ。
カッチーニ山南山道入り口にある木で建てられた休憩所。そこにいたアルベルタの様子、そして自分に豆を飛ばし、目の前に立ち塞がった若い管理人の言葉は驚きと衝撃でしかない。
――話しって、なんですか? あ、領主様のご令嬢と結婚して子爵になるから、婚約を破棄するというお話ですか? それとも、お嬢様には愛人になれっていうお話ですか?
――領主様のご令嬢様と親しい関係でいらっしゃるとか。恐らく、親戚であるという以上に、親しい関係だと周囲が思うような距離感だったのではないですか? そうでなくては、使用人たちや街の人間はご令嬢様が婚約するなんて噂はたてませんよ。
――お嬢様がケガをしたという事故について、お嬢様からは無関係だと仰っています。どうしてご令息様はお嬢様を信じなかったのですか?
「カルロ、まずは現状を確認しなくては。承知していなかった話があるだろう?」
「あ、ああ。そうだな、アルベルタはあそこにいるとわかったのだしな。調べなければ」
リンに言われた言葉に衝撃を受け思考停止になっていたカルロは、頬を両手で叩いて気合を入れると馬に速度を上げるよう指示を出した。
* * *
バディーニ港街の東側には貴族街がある。この街区には貴族の別邸が多く立ち並んでおり、その中に領主館であるアルファーノ子爵邸含まれる。
領主夫妻と四人の令嬢が私的生活を送っていた屋敷で、現在は三人の令嬢たちが嫁ぎ、夫妻と末娘のイレーヌが暮らしているのだった。
カルロは領主館にイレーヌを訊ねると、中庭でお茶をしている席へと招かれる。
「ようこそいらっしゃいました、カルロ様」
「先ぶれもなく、申し訳ありません」
「いいえ! カルロ様ならいつでも大歓迎ですわ。もっとまめにお立ち寄りくださいませ」
イレーヌは満面の笑顔でカルロを迎え、侍女たちもテキパキともてなしてくれる。
美しく整えられた中庭には豪華な設えのパーゴラが作られており、秋に花を咲かせる蔦薔薇がピンクやオレンジ花を咲かせていた。パーゴラの中央に置かれたティーテーブルには、甘い香りの紅茶とバターと砂糖をたっぷり使った焼き菓子が並ぶ。
今まではこれが当たり前だった、イレーヌとカルロは従兄妹同士で幼いころから交流がある。辺境伯本家の令息であるという扱いを受け、使用人もそれを承知して動く。
しかし、リンの言葉が頭の中に響いた。
親戚であるという以上に、親しい関係だと周囲が思うような距離感だったのではないのか?
「カルロ様、どうなされたのですか? 難しいお顔をしていらっしゃいます。……あ、もしかして、あの婚約者様がなにか?」
「イレーヌ……」
「こんなことをいうのはいけないことなのでしょうけれど、わたくし、あの方がカルロ様の伴侶となることに不安がありますの。あの方は子爵家のご出身ですけれど、特別秀でたものがある家でも、歴史がある家でもないですし」
まるで人形のように愛らしい容姿を持つイレーヌ。やや幼い印象もあるが、素直で愛らしい存在だと思っていた。けれどそれはあくまで、親戚としてだ。
「カルロ様がお父様の後を継いで次のアルファーノ子爵となる、その伴侶としてはいろいろ足りていないと思うのです。貴族女学校の成績も上位ギリギリだったと聞きますし、お顔立ちはまあまあお美しいですけれど、おケガもなさって……あのケガでは跡が残るでしょうし、ちゃんと歩けるかどうか……」
周囲に控える使用人たちも、イレーヌの言葉を肯定するように小さく頷く。
「イレーヌ」
「まあ、わたくしったら、申し訳ありませんわ。今はまだ、カルロ様の婚約者はあの方ですのに。そういえば、あの方がバディーニを出て行かれたと聞いたのですが本当ですの?」
「ああ、本当だ」
「まあ! カルロ様との婚約がなかったことになったっていうのも、本当でしたのね」
大変だわ、そういいながらもイレーヌは満面の笑顔でティーカップに口をつけた。
本当に大変だと思っているのなら、こんな顔はしないだろう。カルロは俯き、膝に置いた手に力を込めた。
いかに自分の目が曇っていたのか、自分の視界が狭かったのか、自分のとった行動が愚かだったのか……自己嫌悪で吐き気がしそうだ。
「カルロ様?」
紅茶の甘い香り、焼き菓子から香るバターの香りが……カルロの胸を一層不快にさせていた。
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