13)リンと家出令嬢05
コマドリ亭のスイングドアが動き、カルロとその後ろに少し年下だろう青年が続いた。
「アルベルタ、探した……まさか、カッチーニ山を越えることを考えていたなんて、想像もしてなかった。ミラト村から船に乗ったか、長距離馬車に乗ったんじゃないかって……探してたんだ。まさか……こっちだったとは……」
カルロは金髪碧眼の美青年だったが、髪も服もくすみ疲れた印象を受ける。自分で言っている通り、船路や安全な陸路の出発地点やその周辺で婚約者を探していたのだろう。
「……婚約解消届けの署名はして参りました。今更わたくしを探して、なにをさせようというのでしょうか? イレーヌ様への謝罪ですか?」
「馬鹿な! 誰が婚約解消をするなんて言ったんだ」
「バディーニでは、誰もがそう言っておりました。カルロ・アリオスト辺境伯子息はイレーヌ・アルファーノ子爵令嬢と婚姻を結び、将来はお二人がバディーニを中心としたこの地域を治めるのだ。おめでたいことだ、と」
「なっ! そ、そんな……」
カルロは顔を真っ青にし、後ろに控えた青年は両肩を竦めて首を左右に振った。カルロは噂話を知らず、控えの青年は知っていた様子だ。
「……お客様、ご注文は?」
「そんなわけないだろう? 私がイレーヌと結婚するなんて、あり得ない」
「そうでしょうか? 従兄妹同士、幼い頃から交流があって親しい関係だと聞いております。お互いが初恋なのだとも」
「はぁ? 確かに、イレーヌと私は年が近い従兄妹同士であったから、交流はしてきたし親戚としての関係もある。だが、それだけだ」
「……お客様、ご注文は?」
「それはアリオスト辺境伯令息様だけが思っておられることでしょう」
「アルベルタ、誤解だ。その呼び方も止めてくれ、いつものようにカルロと呼んでくれ」
「バディーニの街に暮らす人たちも、アルファーノ子爵様、子爵夫人様、ご令嬢様、子爵家に仕える使用人たちも、皆さま揃ってアリオスト辺境伯令息様が私との婚約を解消し、ご令嬢様と婚約を結び直すのだと思っておられますよ」
「……そんな、馬鹿な、ことが……」
「……お客様、ご注文がないのでしたら、お帰り下さい」
リンはキッチンから出ると、青から白へと顔色を変えたカルロと呆れた様子の控えた青年の腕を掴むと、引き摺るようにして外へと放り出した。
「お帰り下さい」
カルロは呆然としているが、控えていた青年は「ちょっと、待て!」と入り口前に立ち塞がる。
「なにか?」
「話しをさせてやって欲しい。令息はずっとアルベルタ嬢を探してたんだ、寝る間も惜しんで。やっと見つかって、話ができるんだ。だから、頼む」
「話しって、なんですか? あ、領主様のご令嬢と結婚して子爵になるから、婚約を破棄するというお話ですか? それとも、お嬢様には愛人になれっていうお話ですか?」
「そんなわけないだろ!」
カルロの後ろに控えていた青年は、バディーニ警備隊の隊員でルカと名乗った。黒髪碧眼のこれまた美青年だ。バディーニ警備隊の入隊条件には、容姿端麗であることという項目があるのではないか、とリンは思う。
「では、なにをお話するのでしょう? お嬢様は婚約をやめる書類に署名された、それならば、それが全てではないでしょうか」
呆けていたカルロはルカを下がらせてリンの真正面に立つと、真顔を作った。
「誤解なんだ、私は……アルベルタ以外と結婚するつもりなんてない」
「領主様のご令嬢様と親しい関係でいらっしゃるとか。恐らく、親戚であるという以上に、親しい関係だと周囲が思うような距離感だったのではないですか? そうでなくては、使用人たちや街の人間はご令嬢様が婚約するなんて噂はたてませんよ」
「……それは、その、イレーヌは従兄妹で、妹のような存在だったんだ。だから」
「ご令息様にとっては妹でも、ご令嬢様は違っていたのではないですか?」
「……は?」
カルロは目を大きく見開いた。従姉のイレーヌはカルロにとっては妹のような存在だ。それ以上でもそれ以下でもない。親戚として家族としての情はあっても、異性としての気持ちは向かない。それはイレーヌも同じと信じて疑ったことなどなかったのだ。
「お嬢様がケガをしたという事故について、お嬢様からは無関係だと仰っています。どうしてご令息様はお嬢様を信じなかったのですか?」
「私は、アルベルタを信じて……」
「お嬢様がロープに傷を入れて、ご令嬢様を傷つけたと決めてかかり、ご令嬢に謝罪するように言ったそうですね。何故ですか? お嬢様がそんなことをする人だと思っていたのですか?」
「……」
俯き、カルロは唇を噛んだ。
「どうして、お嬢様を信じなかったのですか?」
リンの問いかけに対して、カルロはなにも答えることができなかった。
「信じることも出来ない、話し合うことも出来ない、そんな相手との結婚は無理だと思います。……お帰りください」
「……カルロ、一度帰ろう。お嬢さん、騒がせて申し訳なかった。アルベルタ嬢を頼む」
ルカはリンに一礼すると、カルロを引きずるように警備隊詰所兼宿舎の裏にある厩舎に向かって行く。厩舎に馬を預けているのだろう。
リンは二人が馬に乗り、バディーニに向かって走り出すのを見送ってから店内に戻った。
「……申し訳ありません。余計なことを、してしまいました。言わなくてもよいこともたくさん言いました。その、頭にきてしまって」
さやから豆を取り出す作業に戻り、リンは謝罪する。自分でもやり過ぎたと、まずかったと思っている。けれど、カッとなった気持ちを抑えることができなかった。
「いいえ。ありがとう、リンさん。嬉しかったし、すっきりしたわ。あんな風に怒ってくれて、庇って貰ったの……初めてでした。本当に嬉しかった」
ベルタの瞳からポロッと涙が溢れた。笑顔なのに、涙が止まらない。
「……ありがとう、リンさん。リンさんは私より四つも年下なのに、しっかり意見が言える人なのね、凄いわ」
「その、ここで暮らしていると色々あるのです。それよりもお嬢様、まだお祖父様とお祖母様のところへ行くつもりがありますか?」
リンは未使用の小さなタオルをベルタに差し出してから、からっぽになったさやを片付けつつ問いかけた。
ベルタの婚約者であるカルロは、婚約をやめるつもりはない様子だ。だけれど、それはカルロの気持ちであってベルタには関係がない。
「そうね、……お二人の所へ行きたいわ。婚約のことも、バディーニやアルファーノ子爵家での生活、イレーヌ様との関係にも疲れてしまったから。ここで今までのことを思い返して、これからのことを考えていたのだけれど……まだ、すぐには答えが出そうにないの」
「わかりました。では、お声がけしたときにすぐ出発できるよう、お仕度をお願いします」
「え?」
ベルタは小首を傾げ、リンを見つめた。
* * *
コマドリ亭からベルタが旅立ち、その一週間後に警備隊員二人がバディーニ港街に戻り、新しい警備隊員が三人やって来た。
警備隊長であるジュリオの指導を受け、彼ら三人が山道入り口の警備隊員としての仕事に慣れてき始めた頃……警備隊員が一人追加される。
黒髪碧眼の美青年は帽子を取ると一礼し、言った。
「……ルカです。よろしくお願いします」
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