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翌日の朝。
軽い二日酔いのようで、あたしは微かに頭痛を感じながら、布団の中から身を起こした。
隣には林檎が、だらしない格好で寝ている。
パジャマの襟もともはだけて、ふくよかな胸の谷間があらわになっていた。
かけ布団も足で押しのけたのか、足もとにぐじゃぐじゃになって転がっている状態だ。
「林檎ったら、風邪ひいちゃうよ? それに、いきなり男性陣が部屋に入ってきたらどうするのよ、まったく……」
あたしは独り言をつぶやきながら、林檎の襟もとを正し、布団をかけ直す。
「……う~ん、なにか冷たいものでも飲んで、頭をすっきりさせようかな」
台所へと向かい、残っていたオレンジジュースをのどに流し込む。
ふう。全身に染み渡っていく冷たさが心地よい。
でもまだちょっと、頭痛が残ってるな……。
ふと時計を見ると、九時半過ぎ。もう朝と呼べる時間ではないのかもしれない。
とはいえ、ここ最近のだらけた生活を考えれば、珍しく早起きしたと言えるだろう。
仕事をすることもなく、ぼんやりと過ごしているあたしは、昼過ぎに目覚める日が多かったのだ。
微妙に頭痛は残っていたけど、酔っ払った上、明け方近くになってから眠りに就いたにしては、寝起きの感じもそれほど悪くはなかった。
「んん~~~~っ!」
軽く、伸びをする。
窓の外から、チュンチュンとスズメの鳴き声が聞こえてきた。
「ちょっと散歩にでも、行ってこようかな」
そう考えたあたしは部屋に戻り、のそのそとした動作で着替え始める。
「……あら? ひまわり、出かけるの?」
ばさりと厚いかけ布団から身を起こした林檎が、寝ぼけまなこをこすりながら話しかけてきた。
「あっ、起こしちゃった? ごめんね。ちょっと、散歩に行こうかと思って」
散歩。それはあたしの日課。
そして、毎日ではないものの、頻繁に足を運んでいるのが、さくらちゃんの入院している病院だった。
それは昨日、林檎にも話してあった。
「……さくらちゃんのところにも行くの?」
「うん。三日間行ってないから、さくらちゃんも寂しがってるかと思って。なんてね」
どちらかといえば、あたしのほうがさくらちゃんの顔を見て安心したい、という思いが強かったのかもしれないけど。
もちろん、さくらちゃんのお母さんと顔を合わせるのは、やっぱり心苦しい思いがある。
だけどどういうわけか、今日のあたしは無性にさくらちゃんの笑顔が恋しくなっていた。
林檎と海斗くんという、懐かしい顔を見ることができたからだろうか。
「あっ、そうだ。林檎も行かない? 海斗くんも一緒に。さくらちゃんもきっと喜ぶと思うよ!」
あたしはパチンと両手を合わせ、努めて明るく提案する。
「う~ん……、やめておくわ。彼女のお母さんに合わせる顔がないもの」
沈んだ表情で、林檎はそう答えた。
そっか……。
親戚のあたしですら、さくらちゃんのお母さんとお話するのは、気兼ねしてしまう部分がある。
だからこそ、病院に毎日顔を出すのをためらっているくらいなのだ。
林檎が尻込みしてしまう気持ちも、よくわかった。
無理矢理引っ張って連れていくこともないだろう。
そのうちきっと、林檎のほうから会いに行く気になってくれるはずだ。
それまで、待つことにしよう。あたしは、そう考えた。
「ん……。それじゃあ、あたし、行ってくるね。留守番、よろしくね!」
「はいはい、行ってらっしゃい」
あたしは林檎を残し、マンションの部屋を出る。
海斗くんと白亜さんもまだ寝ているみたいで、寝室を出てから玄関を閉めるまで、あたしと林檎以外の声も物音も、まったく聞こえてはこなかった。
☆☆☆☆☆
病室に着くと、さくらちゃんはぐっすりと眠っていた。
お母さんの姿もない。
あたしは、さくらちゃんのベッドの横に置かれたままになっていた丸椅子に、そっと腰を下ろした。
手を伸ばせば、さくらちゃんの寝顔に手が届く距離。
お母さんがここに座って、看病していたに違いない。
さくらちゃんのお父さんは忙しい身のようで、なかなか病院には顔を出せないらしい。
だからあたしは、ほとんど会っていない。
思えば昔、よくさくらちゃんの家に遊びに行っていた頃にも、ほとんど会った記憶はなかった。
ただ、専業主婦であるさくらちゃんのお母さんは、忙しいお父さんを支える役割でもある。
あたしと同様、生活保障も受けてはいるだろう。とはいえ、それだけで家族三人が問題なく生活できるわけではない。
ましてやさくらちゃんは、こうしてずっと入院している身なのだ。その入院費も必要となってくるだろう。
政府が入院費もすべて負担していれば問題はなかったのかもしれないけど、さくらちゃんの両親はそれを断った。
まったく保障を受けていないわけではないみたいだけど、政府が負担するお金は結局、国民の血税からまかなわれることになるし、あまり多くは受け取れないと、そんなふうに考えているようだ。
そのため、さくらちゃんのお父さんは必死に働いている。
そしてお母さんはそんなお父さんを支えるため家事もしっかりとこなし、さらに家と病院を行き来してさくらちゃんの看病をする、という日々を送っている。
かなり疲れているに違いない。
ここ最近、会うたびに明るく話しかけてはくれるけど、その表情の奥に疲労の跡が見え隠れしていることに、あたしは気づいていた。
毎日ちゃんと病院に顔を出して、さくらちゃんの相手をしたり、お母さん自身ともお話したりして、少しでも疲れを軽減させてあげるべきなのかもしれないな。
あたしはベッドで眠っているさくらちゃんに視線を向ける。
安らかな、可愛い寝顔だった。
整ったリズムで呼吸を刻んでいる。
さくらちゃんは精神的に壊れてしまった。
完全にというわけではないにしても、突然心がどこか空の彼方に飛んでいったような状態に陥ってしまう。
さくらちゃんをこんなふうにしてしまった政府に、あたしは怒りの念が湧き上がってくるのを抑えられなかった。
だからといって、どうすればいいのか。
政府に復讐したところで、さくらちゃんの精神がもとに戻るというわけではない。
無力なあたしには、なにもできはしないのだ。
「う……ん……」
不意にさくらちゃんが寝返りを打ち、かけ布団がめくれて、肩の辺りのパジャマがあらわになった。
あたしはそっと布団をかけ直す。
――よく寝てるわ。今はゆっくり寝かせてあげるべきよね。
そう考えたあたしは静かに立ち上がり、そのまま病室をあとにした。




