第2話
1972年、日本はユリ・ゲラーの超能力ブームに湧いた。
スプーンを超能力で曲げるユリ・ゲラー。テレビでは特番が組まれ、ユリ・ゲラーが生中継でスプーンを曲げたり、止まった時計に手を触れて動かしたりした。
スプーンを曲げるのは腕力でも手品でもなく、超能力だ。この不思議な力に日本中が熱狂した。
だが日本の小中学生たちの中にもスプーン曲げできる子供が現れた。マスコミは彼らを追いかけ、テレビに出演させた。
その中にわたしもいた。
当時、小学生だったわたしもテレビに出てスプーンを曲げたことがある。
多くの日本の少年少女たちが同様にテレビ出演し、スプーン曲げを披露したが、一番人気があったのは室野和孝という少年だった。
室野少年は複数のスプーンを同時に曲げられた。屈んで背中越しにスプーンを投げて曲げるのが、彼の定番のスタイルだった。
ところがしばらくしてマスコミの超能力ブームもマンネリ化したある日、とんでもない事件が起こる。
テレビ特番「超能力は本物かインチキか 徹底検証」がゴールデンタイムに放送された。
その番組の中で屈んだ室野少年が床にスプーンを押しつけて曲げ、背中越しに投げる映像が流れた。
特番のMCは「これで超能力がインチキであることが証明されました」と番組中に連呼した。
この特番は視聴率30パーセントをたたき出した。
マスコミの超能力ブームはこの特番を機に完全に冷え切り、わたしたちスプーン曲げの少年少女たちはだれもマスコミから相手にされなくなった。
わたしは小学校で男子生徒から「インチキ超能力者」と罵られ、いじめにあった。登下校中に彼らに石を投げられたこともある。
スプーンは曲がるのに、超能力は使えるのに、くやしくて悲しい思い出だ。
中学校に進学したある日、奇妙な手紙を受け取った。
差出人は室野和孝。
手紙はこんな感じではじまっていた。
「突然、お便りします。私はスプーン曲げ少年の室野和孝です。
この手紙は、ぼくと同じようにスプーン曲げでテレビ出演した少年や少女に送っています。この手紙を読んでいるということは、あなたもスプーン曲げができるはずですね」
手紙を読んでいくと、例のテレビ特番で室野少年が床にスプーンを推しつけて曲げたのは、もともとディレクターの指示だったという。
当時、連日のテレビ出演で睡眠時間が減り、室野少年は極度の疲労でスプーン曲げができない状態だった。
ところがテレビスタジオは時間制で使用しており、予定した時間内に撮影を収録しないと別の番組班が来てしまう。だから時間内にスプーンを曲げるよう室野少年はディレクターから強要された。
室野少年は「今日はできません」と答えると、ディレクターは怒り、床にスプーンを推しつけて曲げるよう指示した。
室野少年は「そんなのインチキじゃないですか」と言うと、ディレクターは超能力が本物かどうかはわれわれにはどうでもよく、視聴率が取れる番組を作ることが重要だと長々と説教した。
そこで室野少年はディレクターの指示にしぶしぶしたがったというわけだった。
「今にして思えば睡眠不足だとぼくがスプーン曲げができないことを彼らが知っていて、わざとあんなやらせを企んだのだと思います」
手紙にはそんなふうにも書いてあった。
スプーン曲げの超能力ブームはテレビ局にとり、視聴率を稼ぐ恰好のネタだった。
ところが二年もすると視聴者もスプーン曲げに飽きてくる。そこでテレビ局としてはスプーン曲げは終わりにして別のネタに切り替えることにした。
ところが最後に”スプーン曲げ番組”の有終の美を飾る意味で、スプーン曲げがインチキだったという特番を企画して、視聴率を稼ごうと企んだ。
室野は手紙でそう説明していたがこれはわたしにも納得がいく話だった。
「この手紙をあなたに送ったのは、ぼくの仲間になっていただきたいからです」
手紙の最後を室野はこんな文章で締めくくっていた。
室野は『エスパラダイム』というサークルを立ち上げるので、それにわたしも参加してほしいとのこと。
『エスパラダイム』は、スプーン曲げの少年、少女が集まり、互いに切磋琢磨して超能力を磨き上げるサークルだった。
翌日、わたしは室野に返事を書いた。『エスパラダイム』の参加を希望した。
最初、『エスパラダイム』は月に1回程度、みんなで公民館に集まり、勉強会を開いた。
わたしたちは超能力関係の本、占いの本、オカルトの本、宗教の本などを読破した。
室野は学校の先生のように黒板のある部屋でみんなにゼナカードの講義をしたこともあった。
この他、わたしたちはみんなで座禅を組んだり、ヨガや気功をやった。田舎の民宿に泊まって早朝、滝行に行ったこともあった。
そのうちに室野和孝はグループのリーダーを黒木次郎に譲り、自らはあまり『エスパラダイム』に参加しなくなった。
黒木が新リーダーになると『エスパラダイム』の活動は一転、ただの懇親会になった。食べ歩きやファミレスでだべったりするだけの集まりだ。
黒木は同じメンバーの英恵と結婚し、カフェバー『ホロスコープ』を開店すると、必然的にこの店が『エスパラダイム』の本拠地になっていった。
それでもメンバーが大人になると、それぞれスピリチャル関連業界の仕事についていった。
黒木は女性雑誌に西洋占星術の占いを連載するようになったが、あるとき自分から連載をやめた。
なぜ連載をやめたのか。うわさでは黒木は総理大臣専属の顧問占い師になったとのことだ。
科学万能の現代においても、多くの国の国家元首や宰相は、高額のギャラを払って一流の占い師を雇っている。
これはわたしたち『エスパラダイム』の間では常識だった。




