穏やかな夜
第一日
朝、マリアは荷物をまとめ、出かける準備をしていた。
「行ってくるね!」
ユリが慌てて駆け寄ってきた。
「お母さん、待って! 僕も一緒に連れていって」
「わかったわ。荷物はちゃんとまとめた?」
「うん」
しばらくして――。
家の中は空っぽになった。
残っているのは、マルスだけだった。
マルスはスマートフォンを取り出し、ジャックに電話をかけた。
「マルスだ。家が空いた。今すぐ来てくれ」
「了解!」
しばらくすると、ジャックがいくつかの荷物を抱えてやって来た。
二人はさっそく作業を始めた。
壁に飾りつけをし、テーブルを並べ、リボンや装飾品を取りつけていく。
そして、少し休憩して息を整えた。
ジャックが言った。
「パーティーを開くのに、こんなに大変だとは思わなかったな」
「俺もだ」
二人は再び作業に戻った。
第二日
二人は一日中、作業を続けた。
テーブルを何度も移動させ、椅子を並べ、さらに飾りつけを増やしていく。
ジャックが飾りの一つを取りつけようとしている間、マルスは椅子の上に立っていた。
「しっかり持ってろよ」
「持ってる!」
「傾いてるぞ」
「お前が間違った付け方をしてるからだろ」
「俺が? ここに付けろって言ったのはお前だろ」
「言い争うなよ」
二人は笑った。
時間が経つにつれ、家は本物のパーティー会場らしい姿へと変わっていった。
第三日
すべての準備を終え、物をそれぞれの場所に置いた。
ケーキは中央に。
その隣にはロウソク。
料理はテーブルの上にきれいに並べられている。
そして、家族写真も目立つ場所に飾った。
ジャックは立ち上がり、周囲を見渡した。
「やっと……終わったな!」
マルスは疲れ切った様子でソファに座った。
「ああ。その通りだ。疲れたな」
ジャックが言った。
「これで、あとは待つだけだ。妻には、みんなを一緒に連れてきてもらうよう頼んである」
「わかった」
夜――。
二人は座って待っていた。
静寂が広がる。
そのとき――。
ピンポーン。
「俺が出る」
「おう」
マルスは玄関へ向かい、ドアを開けた。
そこにはマリアとユリが立っていた。
そして二人の隣には、ユリの五歳の誕生日のときにマリアと一緒にいた、あの女性もいた。
全員が家の中へ入ってくる。
マリアがマルスを見た。
「どうしたの、マルス? なんだか緊張してるみたいだけど」
「緊張? 何のことだ? まあ、入ってくれ」
マリアが中へ入る。
そして、足を止めた。
そこにはケーキがあった。
パーティー用のリボン、ロウソク、テーブルの上に並べられた料理。
壁には家族写真。
そして中央には、大きな数字が飾られていた。
――16。
女性が素早く中へ入り、ジャックの隣に立った。
二人は声を揃えて言った。
「結婚記念日、おめでとう!」
マリアは一瞬、固まった。
そしてマルスを見る。
「マルス……」
「どうした? 気に入らなかったか?」
「違うわ。そういうことじゃないけど……あなたがこんなことをするなんて、全然思ってなかった」
「全然だと!?」
ジャックが割って入った。
「とにかく、祝おうぜ!」
「うん!」
ユリも言った。
「僕も、お父さんがこんなことするなんて思わなかった」
マルスはユリを見る。
「お前までか!?」
そして、みんなでパーティーが始まった。
一緒に食事をし、話をして、笑い合う。
これまでの日々とは、まるで違う空気だった。
夕食を終えると、ケーキを切る時間になった。
照明を消す。
ロウソクに火を灯す。
そして、みんなで一緒に吹き消した。
マルスがケーキを切り分け、みんなで食べ始める。
その後も会話は続き、ジュースを飲みながら楽しい時間を過ごした。
マルスとジャックは、少し離れた場所に座っていた。
ジャックが言った。
「お前の奥さん、映画で成功したな」
マルスは笑った。
「ああ。そうだな。夢を叶えた。日本一の女優になるまで、あと一歩ってところだ」
「でも、彼女のファンにはかなり熱狂的な奴らもいるって聞いたぞ」
「その通りだ。結婚していることが知られてから、毎日のように俺のところへ脅迫メッセージが届くようになった」
マルスは少し黙った。
「中には、俺をナイフで襲ってきた奴もいた。どうやって俺の居場所を知ったのかは分からないがな」
ジャックの目が大きく見開かれた。
「本当か? それで、そいつをどうした?」
「警察に引き渡した」
「何!?」
マルスはジャックを見る。
「どうした?」
「お前、引き渡したのか? てっきり殺したのかと思ったぞ」
マルスは少しだけ笑った。
「俺のこと、何て聞かされてたんだ?」
そして、続けた。
「正直に言えば、昔の俺だったら、そうしていただろうな。でも、今の俺は変わった。もう人を殺すことはしない」
ジャックはしばらくマルスを見つめた。
「本当に変わったな。昔のお前は、俺を見るたびに、殺すつもりなんじゃないかって思ってたくらいだ」
マルスは笑った。
「何? 俺、昔はそんな感じだったのか?」
「そうだよ」
マルスは立ち上がった。
そして、大きなクーラーボックスを取り出した。
「飲み物をたくさん持ってきた。酔いつぶれるまで飲もうぜ」
ジャックが笑った。
「さすがだな。タイミングをよく分かってる」
マルスはクーラーボックスをテーブルの上に置いた。
ユリを除き、全員が飲み物を手に取った。
ジャックが叫ぶ。
「おい、マルス! こっちに来い!」
「わかった。今行く」
マルスは立ち上がった。
テーブルへ向かって歩く。
一歩、また一歩。
そして、たどり着いた。
腰を下ろす。
自分のグラスを手に取る。
そして、それを口元へ運び、飲み始めた。
ジャックが言った。
「これがマルスだ」
マルスはグラスをテーブルに置いた――。
マルスはグラスをテーブルに置いた。
その表情には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
家族の笑い声が、静かな夜の中に響いていた。
誰もが、この時間がずっと続くと思っていた。
しかし――。
この穏やかな日々は、長くは続かなかった。




