聖歌ロックンロール エピローグ
ステージを降りたわたしは裏手に入って力なく椅子に腰掛けた。
こんなに緊張したのは、あの薔薇を持って登校した日、それ以来かもしれなかった。
肩で息をするわたしに雪乃先輩がそっと肩に手を添えた。
それから、仮面を両手でうやうやしく取り外してくれた。
先輩の指先にわたしの汗が滴となって落ちて手を汚してしまう。
やめてください、自分で取れますから、そういう間もなく、気にするでもなく先輩はわたしの前髪をそっと指先で拭った。また汗の滴が先輩の指で跳ねた。
「とっても素敵だったわ、私の小鳥」
先輩は詩的な表現でわたしを褒めてくれた。
私の小鳥という響きに先輩の微かな独占欲が見て取れるような気がした。
嬉しかった。誰の為でもない。先輩のために歌ってよかった。そう思えるのだった。
けれど口は別の事を言ってしまっていた。
「……わたし、酷い声でした。全然、美しくなんてなかったです」
先輩がせっかく褒めてくれたのに、どうしてこうネガティブな事を言ってしまうのだろうか?中学の時のトラウマのせい?どうやったら自己評価を上げることができるんだろう
最近、少しづつ自分のことが好きになりかけていたのに先輩の隣を歩きたい。そう思ったばかりだったのに。
先輩は優しく微笑んで言った。
「いいえ。完璧な賛美歌だったわ。神様ではなく、あなた自身を讃えるためのね」
「後夜祭の高木さんの歌も楽しみね」
ステージの後、全員が学校指定のジャージに着替え終わっていた。
先輩のジャージ姿を見るのは初めてで、なんだか不思議な違和感があった。
高木さんの体調はもう平気で心配するようなことはなさそうだったけれど、それでも先輩がこだわったものだから、改めて、高木さんの事を調査することにした。
先輩はゆったりとした仕草でお茶をカップに注ぐ。鮮やかなピンク。
それを、ライブ前の時と同様に指先をつけると舌先に触れさせた。
わずかに顔をしかめると先輩は軽音同好会のメンバーに言った。
「家庭科室に行って重曹をもらってきて」
いつもならわたしに頼むのに、わたしはまだ肩で息をしていて、足も震えて一歩も歩けそうになかった。その様子を見て取ったのだろう。見回すとドラムの子が控え室から駆け出してゆく。
五分ほどして重曹の入ったビニール袋を手に取って戻る。
先輩はそれを手に取ると、慎重に、少しづつお茶に入れてゆく。
重曹が足されるごとに鮮やかなピンクが淡いブルー、黄緑と変化してゆく。
「マロウブルーね。美声のハーブと呼ばれるお茶よ」
「それにクエン酸を入れ過ぎてしまった。高木さんが喘息の持病があるとは知らずに」
「想いが強過ぎちゃったのね」
その声にリードギターの子の顔色が変わった。
「わ、わたしが入れちゃったんです。味も確かめずに……」
高木さんはギターの子の頭をそっと胸で抱き留めた。
大丈夫だよ、そう言わんばかりに。
わたしは問いかけた。
「つまり、外部の妨害じゃなくて、気遣いが生んだ事件ってことですか?」
「そういうことになるわね」
「ライブも盛況で良かったわね。きっと後夜祭ではもっと盛り上がるわ」
先輩は笑って言った。
「その時は私たちは観客に徹しておくけれどね」
その日の帰り道、わたしたちはある噂話の中を歩くことになった。
「軽音部やばかったよね」
「あの仮面のボーカル誰!?」
「コーラスもすごかった。伸びのある声で」
なんだか、くすぐったくて、恥ずかしくて、わたしはまた髪の毛を引っ張る癖が出てしまった。やっぱり癖の矯正って難しい。
先輩はハミングをしながらわたしの隣を歩いている。
「また、いつか歌ってね」
「わたしの小鳥さん」
先輩は光あれの歌詞をそっと口ずさんでいる。
秋の夕暮れがその横顔を紅く染め上げている。
一陣の風が吹いた。
風は運んでゆくのだろう。先輩の歌声を。
わたしも先輩に続いて歌った。舞台とは役割を変えてコーラスを。
二人の歌声は世界のどこまでも旅していくに違いない。
なぜだかそんな確信を持ってわたしは夕陽の眩しさに目を細めた。
聖歌ロックンロール 完




