ロックンロール聖歌06
事の起こりは文化祭当日十三時三十分。ステージ本番三十分前。
高木先輩たち、軽音同好会の曲をいくつか作ったわたしたちは、その縁もあってステージ裏で準備を手伝っていた。
わたしたちはアンプをステージに運んだかと思うとケーブルを束ねてテープ留めをしたり、そんな雑用をこなしていた。
なんと雪乃先輩はこれはどこに?そう聞きながらスピーカーを一生懸命運んでいる。
軽音同好会の人たちは雪乃先輩のお手伝いに恐縮しながらも、珠の汗がポタリと落ちるところまで様になる先輩の姿に釘付けのようだった。
同好会はたった四人だったけれど、いかにも陽キャといった風情で本番前の興奮を楽しんでいる。舞台映えする派手なメイクをお互いに確認し合ったり、ドラムスティックを選んだりしながら。そんな中わたしと雪乃先輩は、影のようにお手伝いをしていく。
事件が起こったのはその時だった。
ボーカルの高木さんが、手渡されてたドリンクを手落とした。
カランと重い金属音に続いて、液体のこぼれる音がステージ裏に響いた。
喉を抑えながら、持病の喘息の発作が、と苦しそうな声で伝える高木さん。
ドリンクを一口舐めた先輩はわずかに顔を顰めたけれど、特に問題はない。
そう言うように首を横に振ると
「原因究明は後回しね」
「もし同好会の邪魔をしそうな人たちがいたら少しだけ考えておいて」
そう問われた同好会のメンバー三人は困惑顔だった。
さっきまでの興奮が別の緊張へとすり替わってゆく。小声で言葉を交わしながらも、漏れ聞こえてくるのは、特に妨害されるような謂れはなさそう。それだけだった。
雪乃先輩は周りを軽く見回すと
「それよりも高木さんがこの様子じゃボーカルは無理そうね」
高木さんは手持ちのネブライザーを必死に吸っていたけれど、もう五分前に迫った本番に出るのは難しそうだった。
「代わりの当てはあるの?」
雪乃先輩の素朴な、そして冷酷な質問に部員たちは目を合わせて会話しているようだった。そしてバンドは最低構成人数しかいないようだった。
高木さんがボーカル。それ以外にリードギター、ベース、ドラムスの四人編成。
一人欠けたらどうしようもない、と言うのが誰も口にしなかったけれど、結論のようだった。
「あ、あの如月さん」
そう言ってきたのはベースの女の子。
「私のことわかる?土屋。中学同じだった」
髪型にメイクまでまるで変わっていて、全く気づかなかった。
わたしはその事を詫びると土屋さんに向き直った。
「大丈夫、中学の時はクラスも別だったし」
土屋さんはそれだけを言うと、わたしの方に向き直った。
「如月さん、中学の時、合唱でソロパート歌ったでしょう?あの時の歌声、とっても素敵だったのを今思い出したの」
彼女が何を言いたいのかわたしは咄嗟には理解できなかった。
あのソロパートはわたしにとって黒歴史そのものだったから。
当時のわたしは、『断る』と言うことができなかった。クラスでソロパートを立候補、または推薦で決めることになった時、クラスは大揉めに揉めた。
わたしはなぜだか推薦されてしまったのだった。いや、何故だかはわかっている。わたしが何も言わない子だとそう思われていたからだった。そしてその時わたしは思われている通りに何も言えなかった。進まない時計の針の音と、早くやるって言えよ、そんな声なき声に言われるがままにソロパートを歌うことになってしまったのだった。
その事をここ、清心館の今、状況がこんなに差間迫っているときに言われるとは思ってもみなかった。
土屋さんは続けた。一瞬視線が雪乃先輩を覗き見るようだったのは気のせいだろうか?
「それに如月さん高木先輩と一緒に歌詞を作ってくれたんだよね?」
わたしは黙って頷いた。そして高木さんが何を言いたいかもわかってしまった。
あの時のソロパートのように、わたしにボーカルをやってほしいと言いたいのだろう。
「確かに歌詞作りには協力したけど……あんな派手な歌詞、合唱とは全然違うよ」
わたしはそっと雪乃先輩を覗き見た。
もしわたしが断ったら、雪乃先輩が歌うのだろうか?
先輩は良く鼻歌やハミングを歌っているけれど、歌はどうなんだろうか?
ステージ映えはしそうだった。
わたしは、雪乃先輩にお願いしたら、そう伝えようとして言い淀んだ。
だって、雪乃先輩がステージに立ったら、それは軽音同好会じゃなくて、雪乃先輩のステージになってしまうと思ったから。それは先輩自身も望んでないだろう。
わたしは、声にならない声で唸りをあげながら考え込んだ。
高木さんが掠れた声でお願いしてきた。
「萌花ちゃん、一緒に曲作ったあなたがもし、歌えるなら」
そこまで言うと激しく咳き込んで、背中をさすってもらっている。
バンド、ステージ、ボーカル。全く予期していなかった様々な言葉が頭の中を駆け巡る。
止まっているように思えた時間も、ステージまで残り三分になっている。
わたしはまだ、結論を出せなかった。
その時、雪乃先輩がどこから取り出したのかヴェネチアンマスクを取り出してきた。
「ねえ、萌花ちゃんこのマスクと衣装でどうかしら?」
「それに合唱のソロを任されたっていうお声も聞いてみたいし」
先輩はまたいつもの悪戯っぽい声音でわたしにお願いをしてきた。
土屋さんは数曲の歌詞が書かれた紙をわたしに手渡してくる。
一曲はわたしも一緒に協力した『光あれ、歪みあれ』だった。
聖書を引用しながらロックにアレンジした歌詞。
あの一日は、無茶な事をするな、そう思ったけれど、楽しい思い出としてわたしの中でキラキラと輝いていた。
紙をめくると、また違う歌詞。わたしは悩んで悩んで悩んだ結果一言だけを絞り出した。
「わ、わかりました。で、でも一曲だけを条件にしたいです」
わたしが手伝った一曲だけを歌うことの条件にした。
だって、わたしなんかにこんな派手な歌が歌えるわけはなかったから。
アリス先輩と高木さんは筆が乗りに乗ったようなそんな踊るような歌詞たち。
がっかりする同好会のメンバーを手でそっと抑えるポーズを取ると雪乃先輩は部屋の隅に移動してどこかに連絡をした。
しばらくして戻ってくると
「後夜祭に生徒会がステージの時間を捻出してくれるそうよ」
ワッと沸き立つ三人。高木さんもほっとした様子で深呼吸をしている。
じゃあ、もう本当に時間もないし、衣装合わせしましょ。
ドラムの二年生が高木さんが着ていた衣裳を慎重に脱ぐとわたしに手渡した。
ステージ裏には演劇部が使う大型の姿見と着替え用のカーテンがあってわたしはその中で着替えた。色んなところにジッパーがついていて、どれを開ければ着用できるのかさっぱりわからない。関係ないポケットに何度も腕を突っ込んでからなんとか革のジャケットを身につけた。
着替えのブースから出ると、先輩はその豊かで長い髪を綺麗に編み上げていた。
「先輩、どうしたんですか?」
萌花ちゃんが着替え終わったなら、わたしに少し更衣室を使わせて。
先輩はそれだけを言うと、さっきまでわたしが使っていたブースのカーテンをそっと開けた。数分して出てきた時には、まさに黒い聖母とでも言わんばかりの衣装になっていた。
誰の目も引かずにはいられない、いつもの髪は黒いヴェールに隠されていて、衣装も黒一色のワンピース。
先輩は少し照れながら言った。
「萌花ちゃんだけを生贄には出来なかったから」
「私もコーラスで参加する」
先輩は断固とした決意を持った様子でそう言い切った。




