聖歌ロックンロール02
司書室に司書の先生がいらっしゃる。
そんな当たり前の光景がわたしには初めてで何も言葉を発することができない。
雪乃先輩が言うには昨年は御影先生がいる状況も多かったとのことだった。
先輩は慣れた手つきで御影先生にお茶をサーブしていてその様子を見るのも新鮮だった。
先生はわたしたちの話を聞きながら、ノートPCで何やら書類を優雅な仕草でありながら、一心不乱に打ち込んでいる。
そうかと思うと、わたしたちのどんな小さな話し声にも反応するようで、細かく相槌を入れてくる。地獄耳、と言うのはこう言うことを言うんだな、持ち込まれた厄介な問題も相まってわたしは少し重い気持ちでそう思った。
これまでのいきさつを雪乃先輩は御影先生に話し終わると御影先生は頷いた。
「日ノ宮さんのやりたいことはわかったわ」
御影先生が高木さんに問いかけたのは、ただ一言だった。
部屋の空気が一瞬で静まり返る。そんな緊張しなくていいのよ、そう言うように御影先生は微笑んだけれどわたしたちは何も言えなかった。
アリス先輩は御影先生の空気には慣れっこのようで少し考えてから言った。
「つまりぃ、聖書の引用がたまたまロックならオールオッケーてことね?」
アリス先輩は先生をものともしない、清心館の生徒としてはギリギリまで崩した日本語でそう言った。
「そういうことです。文化祭でロックの演奏許可を取るお手伝いはできません」
「だって、それって全然面白くもないしロックでもないでしょう」
先輩は依頼を受けると決めてから心から楽しそうに呟いた。
「けれど、聖書の引用がたまたまロックの音に乗っていれば……」
「それって、とっても、とっても面白いことになると思いませんか?」
雪乃先輩は御影先生、高木さん、アリス先輩の順に視線を移した。
その瞬間、アリス先輩と御影先生、それに雪乃先輩の目が正面からぶつかり合った。
そう思ったのはわたしだけみたいで、御影先生は目を閉じるとふっと微笑んだ。
「そうですね。それなら……誰の文句も出ない、とは言えませんが私の方からシスター方にも話を通すことは可能でしょう」
「で、でも本当にそんなことが可能なの?」
話が思った方向に進んでいないことに少し焦りを感じたのか高木さんは狼狽えている。
「ですから、御影先生とアリスさんを呼んだんですよ」
博覧強記で知られる雪乃先輩が聖書ではアリス先輩に力を借りると言うことはアリス先輩は相当なものなのだろうか?
「私は聖書はそれほどでもなくてね」
雪乃先輩は高木さんに安心していいのよ、静かな瞳はそう言っているようだった。
名前を出された御影先生は、あとは生徒の自主性に任せると言わんばかりに仕事に集中しているように見えた。
しかし、画面に向かったまま、ふと思い出したようにぽつりと呟いた。
「『我は火を地に投ぜんとて來れり』……なんて。いかにもシスターが眉をひそめそうですが、ロックの響きとしては悪くないかもしれませんね」
大人の余裕と、生徒の反抗を裏で楽しむようなその一言を残し、これ以上の手助けはしないと心に誓ったように、御影先生は完全に仕事の世界へと戻っていった。
「つまりぃ、聖書からネタを出すのがアタシの役目ってことでオケ?」
「そうよ、アリス。あなたの知識を借りたいの」
「で、曲ってどうやって作んの?」
アリス先輩はこの場の誰が聞いても最もだと言わんばかりの質問をした。
高木さんはしばらくの間天井を見つめてから呟いた
「うーん、やっぱサビかな?サビが決まらないと曲は出来ないかも」
アリス先輩は腕を組み、高木先輩を見た。
「で、高木ちゃんはどんなモヤモヤぶつけたいわけ?」
「さっき雪乃さんにも言ったんだけど私、中学の頃ちょっといじめられててさ」
司書の机に腰掛けた御影先生には聞こえない程度の声で高木先輩は呟いた。
「学校では汝の隣人を愛せよ、なんて言ってるのに何もしてくれなかった」
聞こえてないはずの御影先生のキータッチにわずかな乱れがあったのは気のせいだろうか?
「学校の押し付けてくる『調和』とか『秩序』ってのが気に入らない」
「 私はただ音楽をやりたいだけなのに、守ってくれなかったくせに」
「今度は波風立てるなって押さえつけられるのが我慢ならないんだ」
「なるほどね」
アリス先輩がニヤリと笑う。
「なら『平和の聖歌』に見せて、実は分断の歌ってのはどう?」
「マタイ五章『平和ならしむる者、神の子と稱へられん』」
雪乃先輩は、淹れたての紅茶を優雅に一口啜ると、静かに首を振った。
「それだけなら完全に優等生の聖歌。少しお行儀が良すぎるわね」
「早いって、雪乃。こっからが本番なのさ。直後にこれを置いてね」
アリス先輩が不敵に笑う。
「マタイ十章『平和にあらず、反つて劍』」
高木先輩がバンッと手を叩いた。
「それ最高! 平和を守る少女から“偽の平和を裂く少女”になるってことね!」
高木さんも人並み以上に清書には詳しいようだった。
「えっと……」
わたしは文語訳はあんまりなんだけどな、そう思いながらもつい口にしていた。
『平和ならしむる者と呼ばれた』
『けれど、わたしたちの喉には剣があった』
『平和にあらず、反って、剣』
……歌詞にするなら、そんな感じでしょうか?」
「如月さん……萌花ちゃんでいいか!天才! それ採用!」
高木先輩が身を乗り出してメモを取り始める。
「でも、ただ暴れたいわけじゃないんだよ……」
「そりゃ、私だってまだ許してないし怒ってる。昔の事も、今回のことだって」
高木さんはソファに座り直してから自分の気持ちを少しずつ吐露していく。
「いじめに対してだけの歌なんてのもちょっとダサいっていうかさ」
「私以外にも皆にも共感できる歌詞にしたい」
「隠してる恋とか、言えない怒りとか、あるでしょそう言うの」
「そういう高校生らしい等身大の感情も肯定したい」
高木さんが言い終わるか終わらないかのうちにアリス先輩は即座に聖書を誦じた。
「なら伝道の書三章七節っしょ。サビもこれがいいかもね」
『愛するに時あり、憎むに時あり』
『戦ふに時あり、和ぐに時あり』」
「あら」
雪乃先輩がカップを置き、意味深な視線をわたしに向けた。
「愛するに時あり、恋するに時あり……良い歌詞になりそう。萌花ちゃんはどう思う?」
「貴女は今、どの『時』の中にいるのかしら?」
「えっ!?」
先輩の急な割り込みに、わたしの顔は一瞬で沸騰したようになってしまった。
「わ、わたしはっ、今は『歌うに時あり、ですよ』!」
「雪乃先輩も変な茶々入れないでもっと真剣に考えてください」
「アリス先輩に任せっきりなんて、らしくないですよ」
わたしは誤魔化しきれたか自信ないままにまくし立てた。
「いいねそれ!『生きて歌う時は今』って繋げたいかも!」
高木先輩の勢いでわたしの動揺は有耶無耶にされたけれど、心臓はまだ早鐘を打っていた。
アリス先輩は目を閉じて一瞬考え込むと
「次はイザヤ四十五章七節。『光をつくり又くらきを創造す』」
アリス先輩が次々と手札を切ってゆく。
本当に聖書のほとんどを誦じているようだった。
「普通なら光=神聖、正しさだけど、神様は影も創った」
「なら、私たちの日陰の感情だって肯定されていいはずっしょ」
「さすがアリス、実に美しいわね」
雪乃先輩が目を細めた。
「隠された感情も、祈りのうちにある……。品があって、とても清心館らしいわ」
その言葉がわたしの脳裏をよぎり、密かにノートの隅にその言葉を書き留めた。




