気象俱楽部奇譚 エピローグ
それから数日後のことだった。わたしは司書室に駆け込むと先輩に携帯を見せた。
「降雨アプリが誤作動ばかりになっちゃったって」
わたしはケイから聞かされたことを先輩に早く伝えたくて授業終わりにすぐ司書室にきたのだった。
先輩はそんなわたしをじろり、と見つめると
「またフィールドワークかしら」
なんだかがっかりしたような言い方をした。
「ほら、今も快晴なのにアプリでは雨になってるんです」
先輩とまた相合傘で外出、そんなことを考えているわけではなかった。
けれど、雪乃先輩の、探偵の助手として異変を見逃すわけにはいかなかった。
「清心館だけ雨になってるわね」
先輩はわたしが向けた画面をじっ、と眺めながらそう呟いた。
「校内だけで済みそうね。荷物はそのままにしていきましょう」
先輩はそれだけを言うと、いつものレースの傘だけを手に取った。
「日焼けは厳禁。乙女だもの」
昇降口には忘れ物のハンカチが置かれていた。
先輩はそれにそっと手を触れるとそのままにしておいた。
「遺失物に届けますか?」
先輩は首を振るとそのままそこにハンカチをそっと置き去りにした。
昇降口を出ると、そこにだけまるで散水ホースで水を撒いたかのような一筋の雨。
傘を持ってきていてよかった。先輩はそういうと屋上を振り返ってからわたしを傘に入れてくれた。帰宅中の学生たちの中にも相合傘をしている人たちが見てとれた。
「雨、振ってますね?じゃあアプリ通りってこと……でしょうか?」
先輩はわたしの言葉を聞いているような聞いていないようなふわり、とした瞳のままで校舎の外に出る。先輩は、二人で最初に確認した百葉箱に向かっているようだった。
そこにも白いハンカチが一つ。先輩はそれを指先だけで撫でると呟いた。
「恋する少女じゃなくて、科学の目が盲目になるなんて」
「すっごく皮肉めいていて、こういうの大好きだわ」
先輩は心からおかしかったようで、口元を押さえてくすくすと笑い続けている。
「じゃあ科学部室と屋上にいきましょうか」
「教えてあげないとかわいそうだからね」
科学部室は混沌そのものと言った様相を呈していた。
どうして予測データがずれるのか、誰にもわからない、そんな言葉が室内を飛び交っている。
科学部の生徒は、なぜだか皆同じような眉毛の上までの前髪に腰まで伸ばした黒髪の女の子たちばかりで、クローンのような一種不気味さを感じさせるほどだった。
「科学部の皆さんこんにちは」
雪乃先輩は開け放たれたドアを二度ノックすると声をかけた。
「急にデータエラーが出て困ってると思って」
最初はノックした先輩に目も向けなかった部員たちが一斉に顔を向けた。
その動きもなんだかわたしには怖くて一歩下がって先輩の影に隠れてしまう。
「濡れたハンカチ」
これだけ言えばあなた方ならお分かりでしょう。
「誰かが、きっと恋のおまじないとして広めたんでしょうね」
「昇降口にも、非常階段のそばにもあったわ」
部長らしき人物が、振り返ると、部員たちと頷きあった。
数人の生徒がわたしたちの隣をすり抜けるように駆け出してゆく。
沈黙の時間が落ちた。
しばらくして、部長らしき(この人も黒髪姫カットだった)が歩みでてくると軽く会釈した。
「まさか百葉箱に濡れたハンカチをかけられて温湿度センサーが狂わされてるなんてね」
「昇降口をはじめ学内のほとんどの機器がエラー数値を出しておりました」
「ありがとう、白の天使様」
科学部の部長はうやうやしくそういうと部員と一緒に正確な動作で一礼をした。
その動きの奇妙な均一さにあの百の光点が重なるようだった。
わたしは今更ながらに気づいた。
昇降口の塗り直された白ペンキの部分は柱に偽装されたセンサーだったんだ。
先輩は最初から気づいていたのだろうか。きっとそうなんだろう。わたしは落ち込んでしまって何も言えなくなってしまった。
「いえ、いいんですよ。今年の文部科学大臣賞は科学部でしょうかね」
「でも天使様はやめてくださいね」
先輩は笑顔でそう言った。
「私たちにはもっと大きな目標がございます。けれど学校の名が高まるのは白の天使様の名が高まるのと同じく我々にとっては素晴らしいことです」
先輩の困惑顔を前に変わらない物言いで科学部の部長が答える。
「屋上の散水ホースはなるべく早く回収したほうがいいと思いますよ」
「アプリのエラーを認められなくて実力行使、嫌いじゃないですけどね」
「先生方にばれてしまったら大変だから」
先輩は感情を込めずに続けた。
科学部員たちは顔を寄せ合って相談している。その表情は心底悩んでいるようだった。
「十分データは取れました。けれど、濡れハンカチが恋の成就アイテムという噂はいかがいたしましょうか」
「別の噂を流したらどうでしょうね」
先輩は悪戯っぽく笑った。
「どんな?」
「それを考えるのは私ではないですよ」
「科学部らしい諧謔趣味があれば良い都市伝説を思いつくことでしょう」
先輩は感心しきり、というように付け加えた。
「諧謔とは?」
部長はわかっていないようだった。
「ふふ、これは希商倶楽部でしょう?それを気象装置でやるなんて」
先輩は最後に口の端だけで微笑んだ。
「私、とっても感心していたんですよ」
気象倶楽部奇譚 完




