気象俱楽部奇譚03
3
わたしは慌ててケイにさよならを言うと先輩を追いかけて日傘を開いて差しかけた。
「もうちょっとで焼け死んじゃうところだった」
先輩は大袈裟なことを言うと掃除の担当はどこ?
そう言って傘の下でくるり、と回った。
わたしは、思い切って先輩の手を取って案内する。
そこは一般教室棟、外階段下の木陰の中だった。
「こんな人気のない場所で日傘の影に連れ込むなんて。もかちゃんったら」
先輩はいたずらっぽく笑った。
キス、していいんですか?
当然そんなことを聞けるわけもなく、二人握った日傘の取っ手をそっとずらして指が触れ合うようにするのが精一杯だった。
一陣の風が吹いて、傘が煽られる。わたしたちは両手で傘を握りしめると不意に身を寄せ合う格好になってしまう。
本当にキスできちゃうかも。そんな距離だった。
わたしは心の中を知られないように足元に意識を集中しながら百葉箱まで先輩を案内する。掃除用具入れの裏、忘れ去られたように立つ清心館の百葉箱は、白ペンキが剥げかかり、まるで時代から取り残された骨董品のようだった。
それは白いポストのようで、小さなスリットがいくつか開いている。
わたしがその隙間に目をやると、湿った木の匂いに混じって、わずかに金属質な熱気が鼻をついた。
暗い箱の奥で、不釣り合いな緑色のライトが規則的に、まるで生き物の脈動のように明滅をしている。
埃を被った木棚の中に鎮座していたのは、名刺ほどのサイズしかない透明なプラスチックに包まれた基盤だった。
小さな鍵はついていたけれど、ロックしているように見せかけているだけで鍵はかかっていなかった。先輩は、そっと鍵を取り外すと扉を開けた。
「光って見えたのはこれね?」
中にはLEDが明滅する小型の機械が一つと伸びたケーブルは百葉箱の裏側に隠されるようについていたソーラー充電器に接続されていた。
一般教室棟の外階段下、忘れ去られたように立つ百葉箱は、二人並んで屈み込むには少し窮屈だった。
「ねえ、萌花ちゃん。光っていたのはここ?」
暗い隙間を覗き込もうと、雪乃先輩が顔を寄せてくる。空気を含んだ銀色の髪が、わたしの頬をふわりとくすぐった。
途端に、甘い薔薇の香りが鼻腔を満たす。夏の湿気を帯びた空気の中で、先輩の肩とわたしの肩が触れ合い、そこだけがひんやりと、けれど確かに柔らかな体温を持っていた。
「あ、はい……この奥の、緑色のランプです」
声が裏返らないように答えるのが精一杯だった。薄暗い箱の奥で明滅する無機質な光よりも、すぐ隣で規則正しく上下する先輩の胸の動きや、真剣な横顔のシルエットばかりを、わたしは目で追ってしまっていた。
日傘の下で肩を寄せ合っていた時よりも、ずっと近い。もし今、誰かがこの裏側を覗き込んだら、わたしたちはどんな風に見えるのだろう。そんな邪な想像が頭をよぎって、わたしは自分の顔が急激に熱を持つのを感じた。
「七々瀬さんなら、きっとこの機械の正体がわかるはずだけれど……」
雪乃先輩は携帯を取り出しかけて、ふと動きを止めた。
「でも、その前に私たちだけでもう少し考えてみましょうか。せっかくの滅多にないフィールドワークだもの」
先輩は楽しげに笑うと、百葉箱の裏側に這う細いケーブルを指でなぞった。
「萌花ちゃん、この機械にはデータを送るためのアンテナらしきものがないわ。それに、こんな小さなバッテリーで、学校中のWi-Fiを探して常時接続するのは不自然よ」
「じゃあ、どうやってデータを集めているんですか?」
「おそらく『親機』が学内のどこかにあるのよ。この子たちは末端のセンサーに過ぎない。集めた情報を、もっと電波の届きやすい場所に置かれた大元の機械に飛ばしているはずだわ」
先輩は立ち上がると、パラボラアンテナを探すように校舎の屋上を見上げた。
「科学部や地学部のような、特殊な機材を屋上に設置できる権限を持った部活。そして、最近不自然な電子部品の予算申請を出している場所……。ふふっ、なんだか七々瀬さんに聞くべき質問が変わってきたわね。行きましょう、萌花ちゃん」
「七々瀬さんを連れてくればここで聞けたのにね」
「でも、それじゃあせっかくのデートが台無しかな」
先輩はまた生徒会長の名前を口にする。
わたしはまだ会ったことはないけれど、一年の頃からの知り合いのようだった。
わたしが知っている噂だけでも、生徒会長の七々瀬さんは自前でロケットを飛ばしてしまえそうな、そんな知識を持っていそうな才女だった。
「萌花ちゃん、写真をいろんな角度から撮っておいて。それからこの連絡先に送ってね」
「わたしに一枚のメモを手渡した」
「一年前からカバンに入れっぱなしだったんだけど、忘れてると言うのも悪いものじゃないわね」
先輩は笑った。
「全然知らない人からいきなりメッセージ来て会長びっくりしませんか?」
「私からの依頼って言えば平気だから」
先輩は悪びれるでもなく傘をくるり、と回した。
私も傘の取っ手を握っていたものだから、ワルツのように位置が入れ替わる。
「あっごめんなさい。今送ってくれてるのに」
完全に無意識の行動だったようでしきりと謝ってくれたのがなんだかおかしかった。
「送りましたよ」
「あっ返事が来ました」
「四角い金色のメッシュがついたチップは温湿度センサーだね」
「なかなか芸術的といって良いよ」
ポコンポコンと携帯がリズミカルな音を立てるとその度に、七々瀬先輩は細かいパーツ群を解説してくれる。そして長文が届いた。
『絡まり合う細い配線。その先には、指先ほどの小さな四角いチップ――温湿度センサーが、外の空気を貪欲に吸い込むように外側を向いて固定されている。基盤の脇には、厚みのあるリチウムイオンバッテリーが、銀色の肌を鈍く光らせていた。 百年近くこの学園の四季を見守ってきた木箱の腹の中に、最新のディープラーニングへと繋がる「神経」が、寄生虫のように深く、静かに根を張っていたのだ』
ポコンまた音を立てる携帯。
「なんてね、小説っぽく言ってみた。自前でサーバを立てて天候のメッシュ計測を行なっているとみたね」
七々瀬先輩からそれきり返事は来なかった。




