表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/68

『三つの手紙と三つの嘘』


雨が降り続いていた。

霧雨が世界の境界をゆるく溶かしていく。


嘘と真実の境目も、三人の心の距離も。


奏さんを問い詰めていた響は、今は黙って座り込んでいる。隣には詩先輩が寄り添い続ける。

片手には、持っていることを忘れているのか、クッキーの最後の一枚。


強く握るものだから、かけらがぱらぱらと零れ落ちた。それを払い落すことも忘れ、一点を見つめていた詩先輩が、声を絞り出した。


「響が嘘つきって言うなら、私だってだよ」


その声は、いつもの明るい彼女ではない、別の誰かのように聞こえた。


「奏が全部知ってるって言うなら……思ってること、全部言う」


「私は響が好き。でも、奏も好きなの」


俯いていた奏先輩の眉が、わずかに動いて見えた。


「私は選べなかった。私自身が、奏と同じで選ばれない側の人間だったから。どうしても奏を見捨てられなかった」


「奏が『三人で付き合おう』って言った時、本当は断らなきゃいけなかった……そうしたら、こんなことに、奏にとって、一番酷い選択にならなかったのに」


詩先輩は二人を交互に見ると、静かにうなだれ、視線を落とした。


「平等にしていれば、誰も見捨てないで済む。見捨てられないで済む――はずだったのにね」


詩先輩は自分自身に言い聞かせるように笑った。


「だから私にはアネモネなんでしょ」


「花言葉は……儚い恋・見捨てられた・君を愛す」


「見捨てられたのは奏なのかな、それとも私かな?」


「ね、奏?」


また、誰でもない声で詩先輩はつぶやいてから、からりと虚ろな笑みをこぼした。


「詩さんの嘘。やさしさゆえの」


「それはやがて、奏さんにとって“一番”になれない痛みに変わっていく」

雪乃先輩の言葉は、まるで詩先輩自身の心を代弁しているようだった。


「さっきのクッキー、響さんは迷わず取りました、奏さんは二つに分け、詩さんは自分を後回しにした」

「それも、三人の嘘の、写し鏡に見えます」


「恋って……難しいですね」

わたしだけが聞き取れた先輩の囁き。


「これが二つ目“平等”の『嘘』」


「残るは、白薔薇――奏さんの嘘」

「……聞かせてよ、あなたの考えを」


奏さんは、雪乃先輩の言葉を遮った。薄氷の鋭さは、昨日までとは別人のようだった。

罪の意識や卑屈さを、雨と共に洗い流したようだった。

響の影でも詩さんに寄り添うでもない、奏さんそのものだった。


「私に、人の心を読み解けなんて……奏さんもひどい人ですね……本気で苦手なんですよ」


雪乃先輩の、今にも消え入りそうな声。


「奏さんのお気持ち……わかるとは言いません」

「でも……できるだけ頑張ってみますね」


「奏さんあなたは、双子の響さんばかりに人気が集まることが、ずっと不満だった」


「響に人気があるのは別に、嫌でも不満でもないよ……」


静かで、遠い稲光のような奏さんの一言。


「そうですね……申し訳ありません」


雪乃先輩はそっと頭を下げる。揺れる前髪が表情を覆い隠す。


「あなたは……奏さんは、いつも二番手な事に――ずっと、ずっと傷つき続けていたんですよね」


顔をあげた雪乃先輩は、感情を込めずに言った。逆に、言いしれない悲しみを物語っているようだった。


その言葉に、奏さんが口を開く。


「誰か一人でも、自分を一番として扱ってくれれば、必要としてくれたらそれだけで」


奏さんの痛切な声が、雨音と溶けあった。


「二人を等しく好きと言ってくれていた詩さんに感謝しながら、本心では独占したかった」


「受け入れられないのが怖かった。奏さんの胸を裂くような想い……」


「それが、白薔薇の花言葉に託された」


「私はあなたにふさわしい。心からそう叫びたかった」


「三人でのお付き合いを提案したのは、奏さんですよね」

「“平等”を言い出したのは奏さん自身。でも心の奥底では、花言葉を叫びたかった」


『私はあなたにふさわしい』と。


「それは、言い換えれば、“一番”であるという事……」

「私だけを見てと、そう叫ぶこと」


「それはどんなにか……」


先輩の言葉は、空に溶ける様だった。


「三つめ、それは。奏さんの“欺瞞”の『嘘』」


先輩の言葉は霧の中に染み渡っていく。


「一番でなくてもいい」

「そうやって自分自身を騙す嘘。なんて悲しいんでしょうか」

「私はそれを、嘘とは、言いたくはないです。とても言えません……」


「私はずっと影だった。いらない子だったのよ」


奏さんの悲痛な声はいつまでも部屋を満たしていた。


思えば、あの二通は“姉と妹”みたいだった。封筒は新品とお古、押し花は違う季節を抱いていた。

奏さんと先輩の言葉は三人を、そしてわたしの胸の奥深くを切り裂いた。

覗き込むようなその痛みは、わたしの胸に長く鈍く響いた。

いつまでも読まれない手紙のように――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イラストがあるほうが想像がはかどる方はぜひ
活動報告の

『清心館の天使』日ノ宮雪乃の肖像

『わたし』如月萌花の肖像

『疑似三つ子』三人の肖像

『美術部の二つ星』二人の肖像

をご覧くださいませ。

ブクマ・ポイント評価お願いしまします!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ