『木崎奏――灰かぶりの白薔薇・三つ目の嘘』
三日目の放課後。
奏先輩の宣言通り、目の前には『契約恋愛』の三人。
誰も口を開こうとしない。
テーブルの中央には赤いコンフィチュールが載った高価なクッキーが並ぶ。
その沈黙は、まるで閉じられたままの封筒のようだった。
詩先輩は、まず皿を響先輩の前に押し出す。
響は当然のように、一番大きく鮮やかな一つを手に取ると、ためらいなく口へ運んだ。
次に響は、奏さんの前に皿を置いた。
まるで餌付けするような気安い仕草だった。
奏先輩は自分の皿に置かれたクッキーを見つめて、しばらく躊躇った。迷った末、奏先輩はそれを半分に割り、小さな半分を口にした。
その後で、残った半分を詩先輩へ渡した。
その仕草はどこか申し訳なさそうで、自分より詩先輩を気遣っているようだった。
詩先輩は、受け取った半分だけを口にし、響の前に皿をそっと戻した。
机の下で、わたしは指先で一つ、二つと膝に軽く触れた。
響が食べた枚数、奏先輩に分けた枚数、奏先輩が詩先輩に渡した量……
こうして目の前で繰り広げられた分配。
それはあまりにも歪で、三人の関係性をそのまま表しているように思えた。テーブルに置かれた皿は空になり、描かれた繊細な絵がよく見える。
雪乃先輩は何も言わない。
三人共にこれからどうするのか、そんな困惑を示し始めた時だった。
奏さんが三通目の手紙を取り出してテーブルに置いた。
響と詩先輩も、手に持った封筒を、その隣に並べた。
三つの白が横一列に揃った。
最後の一通は、封が開け放たれていた。
奏さんが送り手だと、証明しているかのように。
たった今、降り出した新雪のように、足跡一つない無垢な封筒だった。
雪乃先輩は、手袋をしてないのが不思議なくらい慎重な手つきで、ゆるやかに手紙を取り出した。
同じ言葉が書かれた便箋。
『嘘つきは誰?』
違うのは、小さな白薔薇。
花言葉は『私はあなたにふさわしい』
けれど、違うのはそれだけではなかった。
花びらには灰がかかっていて、それはまるで灰かぶり姫の物語を思わせた。
煤のような臭いが鼻をかすめ、数週間前の図書室の事件が胸に蘇る。
わたしの胸を押しつぶす、灰色の記憶。
焼け焦げたお屋敷が瞼の裏に蘇った。
奏さんの独白を思い出す。
ずっと選ばれないでいる、その痛みを。
わたしなんかが選ばれるわけはないという、その言葉を――
雪乃先輩が呟いた。
「白薔薇、とても象徴的ですね……それにこの灰が意味するもの……」
雨音を縫うように、奏さんが言った。
「響も詩もわかってるでしょ?」
「手紙は……私が出したのよ」
「奏、やっぱりあんた!」
「部が全国目指してる大切な時期に!」
「わかってんの?」
「こんな事のために」
響の手が一瞬、奏さんへ伸びそうになった。
詩先輩は何も言わずに制止した。
やはり、気づいていたのだろうか。
「こんな事って何?私にとっては一番大切なの!」
詩先輩は心痛の様子で黙ったままスカートを握りしめている。
「この話が解決しないと、部の方だって続けていけない!でもね、私は嘘つきじゃない!」
「何……言ってんの?」
響の声が凍りついた。
「手紙は私が出したって言ったでしょ!?全部、知ってるって言ってんの!」
奏先輩の声は叫び声に近かった。
「何よ……奏、あなた……もしかして知ってたの?」
時間は重く、その流れを止めたようだった。
「……あれが嘘だって言うなら。認めるよ」
響は震える声で言った。
「雪乃さん、あなたはどう?響の嘘……わかる?」
奏さんの誘うような声に、雪乃先輩は目を閉じたまま、考え込んでいた。
悩んでいるでも、言い淀んでいるでもなく、ただ悲しさがそこにはあった。
「響さんの『嘘』」
「添えられていた花がカスミソウ」
「花言葉は感謝、無垢、純粋な心」
先輩は呟いた。
「響さん、あなたは三人のお付き合いの中で、自分だけ楽しければいいと言っていた。けれどお話の中で、あなたは奏さんをずっと気遣っていた」
雪乃先輩はテーブルに三つの押し花を綺麗に並べながらそう言った。
「響さんは表面上の態度は自由奔放ですが、本当は、奏さんを第一にしているように思います。無垢と感謝……」
「それが奏さんの響さんへの気持ちだとすると……」
「そしてそれが『嘘』と言う事なら……」
「響さんは恋人を、奏さんに譲ったのではないでしょうか」
響先輩の唇が揺れた。否定しなかった。
「……ごめん。あんたが、知ってたなんて」
「奏さんはお姉さんに感謝はしていた……」
「けれど、その無垢な『嘘』は奏さんを傷つけるには十分だった……お下がりを譲られることを望んでいなかった」
「これが一つ目。響さんの“無垢”の『嘘』」
雪乃先輩の言葉に、思わず口をはさんでしまう。
「一つ目ってどういう事ですか?」
困惑しながら尋ねるわたしの口に、軽く手を当て、遮る仕草をする。雪乃先輩の視線の先には奏先輩。その表情は、怒りに震えているようだった。それとも、悲しみだろうか?
響が口を開いた。
「私だってね、お姉ちゃんとして、出来ることをしてあげたかったんだ。私だけがモテるのが悪い?それって私にどうこうできる問題?」
「確かにそうだよ――譲ったよ。しかも、初恋の人を」
怒りが次第に膨らんでいるのが伝わった。
静かな口調が激昂に近づいてくる。
「なんなんだよ……人様にこんな……恥をさらしてさ!奏もさ!なんでもっと早く言ってくれなかったの!」
その声は、奏さんにそっくりだった。
冬が訪れた瞬間のような冷たさだった。




