魔王殺害事件【第5話】
食堂を出てしばらく歩いた頃。
廊下の隅で、リリスが膝を抱えて蹲っているのが見えた。
「……リリス」
ネビロスが静かに声をかける。
「…………」
リリスはネビロスを一瞥し、また顔を埋めてしまった。
(さっきの涙。そして、今のこの様子。もしかして……今になって、父親の死を実感し始めた……とか、そういうことなのか?)
俺は髪を指にくるくる巻きつけながら、少し考え込んだ。
そして――
「あ、あのさ?」
できるだけ軽い調子で声をかけた。
「今から魔王の部屋を調べるんだけど……もしよかったら、一緒に来るか?」
「……!」
リリスがパッと顔を上げる。
真紅の瞳が、じっとこちらを見つめていた。
(……しまった。この子に対して、”魔王の部屋を調べる”なんて。地雷を踏んだんじゃねぇか?)
「……わかった。私もついていく」
「ああ、そう――って、え!? 来るの!?」
「一緒に来いって言ったの、あなたでしょ?」
リリスは立ち上がる。
そして、ゆっくり俺へ近づくと――なぜか、俺の手を握ってきた。
「えっと……ああ! 握手かな?」
そう言って、繋がれた手を軽く揺らす。
だが――リリスは俺の手を、ぎゅっと握ったまま離そうとしなかった。
「ひょっとして……俺に一目惚れしちゃったとか!? 魔王の娘と勇者の禁断の恋!?」
「…………」
リリスは何も言わない。
ただ黙って俺の手を握り、俯いている。
「……人間様のジョークは伝わらねぇですかっと」
俺は肩をすくめた。
「リリス、大丈夫ですか?」
ネビロスが静かに声をかける。
その声色は、少しだけ柔らかかった。
無表情なやつだと思っていたから、少し意外だった。
「……うん」
リリスは小さく頷く。
「……そうですか。では、参りましょうか」
「はぁ……俺だけ置いてけぼりですかぁ?」
ネビロスは気に留めることなく歩き出した。
俺は小さく息を吐く。
そして、隣のリリスと手を繋いだまま、その後を追った。
* * *
「着きました。ここが魔王様の寝室です」
「魔王の間と比べると、小さな扉だな……まぁ、普通の扉と比べるとでかいけど」
「では、入りましょう」
ネビロスは扉を開け、中へ入る。
俺たちもそれに続いた。
「なんつーか……」
俺は部屋を見渡した。
「普通だなぁ? ぱっと見はだけど」
普通とは言ったものの、かなり豪華な部屋ではあった。
煌びやかなカーペット。
巨大なベッドには、天蓋のカーテンが掛かっている。
天井には小さなシャンデリアが取り付けられ、揺れる炎が部屋を淡く照らしていた。
そして何より目を引いたのは、壁に飾られた一枚の巨大な絵画だった。
「女の……魔族?」
黒い髪に、真紅の瞳。
長い角を生やし、胸には赤い紋様が刻まれている。
背中には、巨大な翼が広がっていた。
「その方は……魔王様の奥様。ヘラ様でございます」
「奥様!?……ってそうか。娘がいるんだもんな」
俺はリリスを一瞥する。
リリスはぼんやりと、その絵画を見つめていた。
(……この城には二人しかいないとか言ってたっけ。あまりいい予感はしないな)
「ちょっと調べたいから……手、いいか?」
俺は繋がれたままの右手を指差す。
「ああ、うん……」
リリスはようやく、俺の手を離した。
「つっても……ここに手掛かりなんてあんのかねぇ」
俺はベッドへ腰掛けた。
思った以上の弾力に、体が少し跳ねる。
「あなたの推理ですと……”無量の黒衣を解かせた何か”があったとのことでしたが。それを探されてはどうです?」
「あー、まぁそうだなぁ。それが何なのか、まったく見当もつかねぇけど」
そこで、ふと二人を見る。
「つーかよ」
ネビロスとリリスを順番に指差した。
「俺は殺してない。この城には、お前ら二人しかいない。ってことは、俺からしたら……お前らのどっちかが犯人ってことになるよなぁ?」
「…………」
「…………」
二人は何も言わない。
ただ静かに、俺を見つめ返してくる。
「かたや側近、かたや娘……何が動機なんだか」
「いえいえ」
ネビロスは、すっと俺を指差した。
「最も動機があるのは、あなたではないですか」
「それを言われると何も言い返せねーよ!!」
俺は深々とため息をついた。
そして、ふと――ベッドの上にいる”それ”に気が付いた。
「う、うわぁ!?」
「どうしたの!?」
リリスが慌てて駆け寄ってくる。
「く、蜘蛛ぉ!!」
ベッドの上で、蜘蛛が蠢いていた。
やたら堂々とこちらへ近づいてくる。
「ちょ、こっち来んなぁ!!」
俺は慌ててベッドから飛び降り、ネビロスの背後へ回った。
「……まぁ、古い建物ですし。珍しいものでもありませんよ」
そう言って、ネビロスは指をパチンッ! と鳴らした。
すると――ベッドの上の蜘蛛が、ぼうっと燃え上がる。
ギィギィと、蜘蛛が呻く音が部屋に響いた。
「ひいぃぃぃ!!」
俺は思わず、ネビロスの体に抱きついてしまった。
しばらくして――音は止み、炎も小さくなって消えていく。
「……もういなくなりましたよ」
ネビロスが振り返り、俺を見る。
「あ、ああ……ありがとう……って!?」
そこでようやく、自分が何をしているのかに気が付いた。
慌ててネビロスから離れようとする。
しかし、足がもつれ――そのまま尻もちをついてしまった。
「いてぇ!?」
「……クッ」
ネビロスが口元に手を当てている。
何かを堪えるように、肩が小さく震えていた。
「クハハハハッ!」
「……え?」
ネビロスが笑った。
こいつがこんな風に笑うところなんて、初めて見た。
「あははははっ!」
リリスまで、俺を指差して笑っている。
俺は自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。
「ま、まぁ別に? やろうと思えば、俺でもやれるし? ほんの少し驚いただけだからね?」
そう言って、人差し指を立てる。
そこへ小さな炎を灯してみせた。
「では、次があればあなたにお任せしますよ」
ネビロスは微笑みながら、こちらを見る。
「い、いやいや! 俺はほら、推理に頭を使わなきゃだから! 魔力は温存したいわけ!」
「……頭を使うのに、魔力を使うってことぉ?」
リリスがいたずらっぽく笑った。
「ああ、そう!」
俺は勢いよく頷く。
「勇者の脳みそは特別製だから! 魔力がないと動かないの!」
(……いや、そんなわけねぇだろ)
自分でも苦しい言い訳だと分かっていた。
リリスとネビロスは、楽しそうに笑っている。
「ま、まぁほら。あれだよ」
俺は額を拭いながら視線を逸らした。
「お前ら、俺が来てからずっと辛気臭い顔してたからさ。ちょっと和ませてやったわけ。あえてね?」
「ふふっ」
リリスが小さく笑う。
俺は誤魔化すように、再びベッドへ腰掛けた。
ふと、例の絵画が目に入る。
(……奥さんか。結婚して、子どもが生まれて。そんで、この部屋で普通に暮らして。それなのに――)
「なぜ、あんなことを……?」
「あんなこと、ですか?」
「ああ、いや。魔王の所業を思い出してな」
「魔王様の所業……」
ネビロスが眉をしかめる。
リリスからも笑顔が消え、表情が曇っていた。
「俺たちにとって、魔王はまさに災害だった。平和な村や町が、何の前触れもなく襲われる。理由は分からない。ある日突然、すべてを奪われる。理不尽に、残虐に……」
「…………」
二人は黙って、俺を見つめていた。
「俺たちは、その様子を何度も見てきた。数えきれない悲劇を」
「ローズ……という方と一緒にですか?」
「ん? ああ、そうだな」
「でしたら……」
ネビロスがこちらへ歩み寄ってくる。
そして、俺の右隣に腰掛けた。
「今一度、聞かせていただけませんか? その方との旅路について」
「えぇ!?」
「私も聞きたい」
そう言って、リリスが俺の左隣に腰掛けてきた。
「いやあの、狭いんですけど……つーかよ」
俺は両隣のネビロスとリリスを、交互に見た。
「お前ら、ローズの話になると、やたら興味示すよな?」
「…………」
「知り合い……なわけねぇよなぁ? なんなんだよ、一体」
ネビロスとリリスは、ただ優しく微笑んでいる。
「いずれ……分かることです」
ネビロスが静かに言った。
「すべての謎が、明らかになれば」
「すべての謎ぉ?」
(……それって、魔王殺害事件のことだよな? ローズとは関係ない……はずなんだが)
「はぁ~。マジで意味わかんねぇ……じゃあまぁ、話すけど。そうだなぁ……」
俺は髪に指を巻きつけながら、少し考え込む。
「”あの村”の話にするか。今した話とも繋がるし」
俺はベッドに座り直した。
その拍子に、三人まとめて、ぽすんと揺れた。




