第40話
そして二日後――ついに、オフィーリアとブライアンの結婚式の日が訪れた。
朝から空はよく晴れ、昨夜まで降っていた雪もすっかりやんでいる。どこまでも澄んだ青空の下、雪祭りの会場となっている広場には早くから大勢の人々が集まり始めていた。
結婚式は屋敷の中ではなく、雪祭りの広場で行われることになっている。この領地で暮らす人々にも、遠くから祭りを訪れた客たちにも祝ってもらいたい。それがオフィーリアとブライアン、二人の希望だった。
広場の中央には雪で作られた大きな祭壇が設けられ、その周囲を色とりどりの花々と常緑樹の枝が彩っている。祭りのために掲げられていた旗には、今日はフォートリエ辺境伯家とウェインライト伯爵家、そして王家の紋章まで並んでいた。いつもの雪祭りとは違う、華やかでどこか厳かな空気が広場全体を包んでいる。
その頃、オフィーリアは広場に隣接する建物の一室にいた。ここが花嫁の控え室になっていた。
純白の花嫁衣装は、雪のように白い絹を幾重にも重ねた優美なドレスだ。胸元や袖には細かな銀糸の刺繍が施され、光を受けるたびに雪の結晶のようにきらめいている。首元にはルビーのネックレス。結い上げた髪の後ろからは薄いヴェールが長く流れ、その裾には深紅の薔薇の刺繍が施されていた。華やかでブライアンの瞳の色が反映された美しい花嫁姿だった。
「……まあ」
鏡の中の自分を見て、オフィーリアは思わず息を呑んだ。
自分で言うのもなんだが、よく似合っていると思う。
「オフィーリア様……」
後ろに立っていたアンナが声を震わせる。
「とても……とてもお綺麗です」
そう言った途端、アンナの目にじわりと涙が浮かんだ。
「ちょっと、アンナ。泣かないでよ」
「ですが……」
アンナは慌てて目元を押さえる。
「いろいろありましたから。こちらへ嫁ぐと聞いたとき、どうなることかと思いましたし……旦那様ともなかなか……その……恋愛対象の誤解が――」
「アンナ。そこから先は言わなくていいわ」
「はい」
アンナは素直に口を閉じた。
だが、その顔には「旦那様の恋愛対象が男性でなくて良かった」とはっきり書いてある。今ではすっかり笑い話だ。
そこへ扉が開き、キャサリンが入ってくる。
「まあ!」
入ってきた瞬間、キャサリンは両手を頬に当てた。
「まるで妖精ね! 違うわ。美の女神だわ。さすがは私の姪よ!」
「叔母様ったら」
「本当よ。王都中探したって、今日のあなたより綺麗な花嫁なんていないわ」
「それは言いすぎです」
「言いすぎではありませんわ」
キャサリンはきっぱりと言い切ると、オフィーリアの周りを一周した。アンナも同意したように強く頷く。
「後ろ姿も完璧ね」
そう言いながら、キャサリンの目も潤んでいた。オフィーリアにとっても、キャサリンはただの叔母ではない。母を亡くしてからずっと、母親代わりとして深い愛情を注いでくれた人だ。
「ありがとう、叔母様。長い間、お世話になりました」
オフィーリアがしんみりとした口調でそう言うと、キャサリンは一瞬目を見開き、それからいつものように明るく笑った。
「お世話になりました? まだまだ、これからたくさんオフィーリアの面倒を見るわよ。あなたの子供が生まれたら間違いなく、私はこの地に別荘を建てるつもりだわ。それより、お兄様とステファンもあなたを見たがっているわよ」
ほどなくしてウェインライト伯爵とステファンも部屋へ入ってきた。ウェインライト伯爵はしばらく娘を見つめ、やがて少し掠れた声で言った。
「綺麗だよ、オフィーリア」
「ありがとうございます、お父様」
その声に滲む感情に、オフィーリアの胸も熱くなる。隣ではステファンが微笑みながら妹の姿を眺めていた。
「ブライアン卿が見たら、しばらく固まるんじゃないか? 他の男に見せたらもったいなくて隠しておきたい、なんて言いそうだな」
「そこまでですか?」
「そこまでだよ」
「お兄様ったら」
オフィーリアは笑った。
やがて式の開始が近づく。
「では、あとでね」
キャサリンがオフィーリアの手を握る。ウェインライト伯爵もオフィーリアとともに入場するため、時間までは広場の入口近くで待つことになっている。
「オフィーリア様、時間になったらお知らせしますね。私もちょっと広場の様子を見てきます」
アンナもそう言って、皆が部屋を出ていった。
式まであと少し。オフィーリアは一人、控え室に残された。
窓の外からは、広場に集まった人々のざわめきが微かに聞こえてくる。
緊張している。
でも、それ以上に嬉しい。
ブライアンと出会ってから、いろいろなことがあった。
最初はどうなることかと思った。
夫婦になったはずなのに、なかなか距離は縮まらず、傷ついたこともあった。
それでも今は、心から彼を愛している。
そして彼も自分を愛してくれている。
今度は正式な結婚式の場で、もう一度夫婦になるのだ。
そう思ったら、自然と頬が緩んだ。
「……どうせなら、もっと可愛く見えたいわ」
思わず口に出してしまう。
「旦那様が見た瞬間、びっくりするくらい。世界で一番可愛いと思ってくださるくらい……キュートになりたい」
そこまで言った時だった。
ぽわん、とオフィーリアの身体が縮んだ。次の瞬間には純白のドレスもヴェールも消え、床には一匹の金色の子猫だけが残されていた。
「…………え?」
床が近い。
いや、近いどころではない。
完全に目の前にある。
オフィーリアは恐る恐る自分の手を見た。
手がない。代わりに、ふわふわした前足がある。
「…………」
オフィーリアは固まった。
そして数秒後。
「にゃああああああっ!(また子猫になってるー)」
控え室に、悲痛な猫の鳴き声が響き渡った。
オフィーリアは慌てて鏡の前へ走る。
そこに映っていたのは金色の子猫だった。
見覚えがある。
ありすぎるほどある。
「にゃっ、にゃあっ!(どうしよう!)」
嘘でしょう!?
よりによって今日!?
結婚式の直前に!?
オフィーリアはその場をぐるぐると走り回った。
だが、走ったところで人間には戻らない。
「にゃああ……(どうしよう。本当にどうしよう)」
やがて廊下から足音が聞こえてきて、誰かがこちらへ近づいてくる。
オフィーリアはぱっと顔を上げた。
(アンナよね? だったらきっと今の状況を察して、少しくらい式を遅らせてくれるはず。花嫁が式の前に緊張で気分を悪くすることなんて、珍しくないもの)
「オフィーリア?」
ところが聞こえてきたのは、素敵なバリトンボイス。いつもなら嬉しくてたまらないその声に、今ばかりはオフィーリアの耳がぺたりと伏せる。
「もう支度は終わった? 本来なら俺は祭壇の前で待っているべきなんだけど、我慢できなかったんだ。皆には伝えてあるよ。一緒に入場しよう」
(なんだって、こんな時に慣習を変えるんですのー!?)
扉が開き、ブライアンが入ってくる。
そして、室内を見回した。
「……オフィーリア?」
当然、花嫁はいない。
代わりに部屋の真ん中で、一匹の金色の猫が固まっている。
ブライアンも固まった。
数秒間、沈黙が落ちる。
やがて彼はゆっくりと猫へ近づいた。
「……キュート?」
「にゃっ!」
違う!
いや、違わない!
ああ、私はキュートだけどオフィーリアなのよ。
「どうしてお前がここにいるんだ?」
「にゃあ……」
それは私も説明したい。
ものすごく説明したい。
だが子猫の口から出るのは鳴き声だけだ。
ブライアンは不思議そうな顔をしながら、オフィーリアをそっと抱き上げた。
「それに、オフィーリアはどこへ行ったんだ?」
「にゃあああっ!」
ここ!
ここです!
あなたが今抱いている猫です!
オフィーリアは必死で前足を動かした。
だが、ブライアンにはただ必死にじゃれているようにしか見えない。
「どうしたんだ、キュート。今日はずいぶん興奮しているな」
「にゃあっ! にゃああっ!」
違います!
気づいて!
気づいてくださいませ!




