第41話
オフィーリアは必死になって訴えたが、ブライアンにはやはり鳴き声にしか聞こえていない。
「どうしたんだ、キュート。久しぶりに会えたから嬉しがっているのかな? それにしても不思議な猫だね。いつもどこにいるんだい?」
「にゃああ……」
駄目だ。
このままでは本当に結婚式が始まってしまう。
オフィーリアは焦りながらブライアンの腕の中でもがいた。
「おっと。降りたいのか?」
床へ下ろしてもらうと、オフィーリアは必死に考える。
言葉が使えないなら、別の方法で伝えるしかない。
何かないだろうか。
自分がオフィーリアだと、ブライアンにわかってもらえる何か。
けれど、いくら考えても思いつかない。とうとうオフィーリアは諦め、その場にぺたりと座り込んだ。
「にゃあ……」
(もう嫌。どうしてよりによって今日なの?)
オフィーリアは両前足で顔を覆おうとして、そのまま頭を抱えるように丸くなった。
妖精に向かって心の中で叫ぶ。
(これのどこが妖精の贈り物ですの! まったく酷い呪いだわ!)
返事はない。
当然だ。
悪戯な妖精は、来て欲しい時には絶対に現れない。
オフィーリアはますます腹立たしくなった。
ブライアンがしゃがみ込み、心配そうに覗き込む。
「そんなに落ち込んでどうしたんだ?」
(どうしたもこうしたもないわ。このままでは花嫁不在の結婚式になってしまう……しかも花嫁は会場から消えたのではなく、猫になって控え室にいるのよぉー)
オフィーリアはちらりと時計を見た。
残り時間は、もうほとんどない。
胸の奥が一気に冷たくなる。
「にゃ……」
終わった。
本当に終わったかもしれない。
ここにはわざわざ駆けつけてくれた貴族たちもたくさん列席しており、国王夫妻までいるのだ。領民たちも、雪祭りに訪れた観光客も、みんな広場で待っている。
そして何より、ブライアンが心配している。
オフィーリアは情けなくなった。
「キュート、本当に大丈夫か?」
「にゃあ……(大丈夫ではありませんわ)」
「オフィーリアを探しに行った方がいいかな。まさか……誘拐? あり得るぞ、俺の妻は美しすぎるからな。あの愛らしさは男を魅了する」
「にゃっ、にゃっ、にゃおん!(誘拐じゃないですってば!)」
オフィーリアは慌ててブライアンの靴にしがみついた。
「本当に変な日だな。花嫁はいなくなるし、キュートは突然現れるし」
ブライアンまで頭を抱えだしたそのときだった。
ぽわん。
「え?」
ブライアンが目を見開き、オフィーリア自身も驚いた。
視界がぐんと高くなりふわふわした前足が消え、代わりに白い手袋に包まれた人間の手が現れた。純白の花嫁衣装をまとったオフィーリアに戻ったのだ。
ブライアンはそのままオフィーリアを見下ろしながら固まった。
「……オフィーリア? ……今の猫は?」
「私ですわ」
「……」
また沈黙。ブライアンの表情が少しずつ変わっていく。
「キュートがオフィーリア?」
「ごめんなさい。実はそうなんです……」
オフィーリアは気まずそうに目を逸らした。内緒で湖に行ったことを白状しなければならないようだ、とオフィーリアは観念した。しかし、時計をまた見て、はっとする。
「旦那様! そのお話は後で! 皆様、しびれを切らして待っていますわ!」
ブライアンも時計を見る。
「……本当だ」
「ですから今は、とにかく行きましょう!」
「いや、でも今のはかなり重要な――」
「後で全部お話しします!」
オフィーリアは必死だった。
ここで説明を始めたら、本当に参列者を心配させてしまう。
「わかった。後で必ず聞かせてもらうよ」
ブライアンはまだ何か言いたそうだったが、改めて彼女の姿を見つめた。
純白のドレスにルビーのネックレスがきらきらと輝く。雪景色の中でひときわ映える、花嫁のための装いだ。
「旦那様?」
「……最高に……綺麗だ」
ようやくそれだけ口にした。
オフィーリアの頬がぱっと赤くなる。
「本当に?」
「ああ。君に恋をするのは何度目かな。見る度に心を揺さぶられるよ」
オフィーリアは恥ずかしさと嬉しさで、ますます頬を赤くした。
こんな大事な時に猫になってしまったことも、正体がばれてしまったことも、何一つ予定通りではない。それでも、ブライアンに綺麗だと言ってもらえた。あとはただ、大切な人と並んで祭壇へ向かうだけだ。
祭りの広場に隣接する建物を出ると、澄み切った冬の空の下に、真っ白な世界が広がっていた。
広場の中央には雪で作られた祭壇に向かう。周りには大勢の人々がいた。オフィーリアが姿を現した瞬間、ざわめきがふっと静まった。無数の視線が一斉に自分へ向けられる。
二人はゆっくりと歩き始める。雪景色の中で鮮やかに映える二人の姿は互いの色をどこかに身につけている。二人が並ぶと、沿道からため息のような声が漏れた。
「まあ……なんて綺麗なの」
「辺境伯様も素敵だわ」
「お似合いだな」
やがて、どこからともなく拍手が起こった。
それは瞬く間に広場全体へ広がっていく。
「おめでとうございます!」
「辺境伯様! 奥様! 末永くお幸せに!」
次々と飛んでくる祝福の声。少し離れた上座には国王夫妻の姿もあった。国王は満足そうに何度も頷き、王妃は両手を胸の前で合わせて、少女のように目を輝かせていた。
「あのドレス、素晴らしいわ。やはり見に来て良かった。オフィーリアもとても綺麗だわ!」
王妃が感激したように呟く。
「うむ。白いドレスにルビーはよく映えるな。ブライアンの瞳の色そっくりではないか」
国王夫妻もまた、楽しそうに二人の晴れ姿を見守っていた。
一方、オフィーリアは次々と向けられる祝福の声に、にこやかに手を振っている。
大勢の人々の視線を浴びることには慣れているので、優雅で落ち着いた物腰が美しい。とてもさっきまで子猫の姿であたふたしていた人物とは思えない。
ブライアンは前を向いて歩いているものの、さっきから何度もオフィーリアへ視線を送っていた。
「旦那様?」
ブライアンは少し照れたように笑う。
「さっきも言ったけれど、本当に綺麗だから目が離せない」
オフィーリアの頬がまた熱くなる。
「皆様が見ていらっしゃいますわ」
「知っているよ」
「では、前を向いてくださいませ」
「努力する」
オフィーリアが思わず笑うと、ブライアンも笑った。
降り積もった雪が陽光を反射し、辺り一面が眩しいほど輝いていた。
その白い世界の中を、大切な人たちの祝福に包まれながら進んでいく。
オフィーリアはふと思った。
ここへ嫁いできたばかりの頃には、こんな未来までは想像していなかった。
政略結婚なのだから、できるだけ夫とうまくやっていこう。
そう考えてこの土地へやって来た。
ブライアンを初めて見たときには、思っていたよりずっと素敵な人だと思ったし、できることなら好かれたいとも願った。
けれど、こんなふうに心から愛し合い、大勢の人々に祝福されながら並んで歩く日が来るなんて、あの頃の自分はまだ知らなかった。
今ではこの土地も、ここで暮らす人々も、隣を歩く夫も、すべてがかけがえのないものになっている。
祭壇の前までたどり着くと、二人は向かい合った。
歓声が静まり、広場に穏やかな静寂が訪れた。
ブライアンの赤い瞳が、まっすぐオフィーリアを見つめる。
オフィーリアもまた、エメラルドの瞳で彼を見返した。
甘く見つめ合う二人は誓いの言葉を述べ、熱い口づけを交わしたのだった。
完
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