第35話
一方、王都では、国王がフォートリエ辺境伯家から届いた招待状を開いていた。
「なんと……辺境領で改めて結婚式を挙げるそうだ。王都の大聖堂を使えばよいものを、なぜあちらで……」
そう言いながら読み進めていた国王の眉が、ふいに上がった。
「ほう。雪祭りに合わせて結婚式を挙げるということか。領内の古城を模した巨大な雪の城に、ブライアンの像もあるらしい。あいつは我が国の英雄だからな。それくらい作られて当然か」
さらに招待状へ目を落とす。
「物語の登場人物や動物の雪像も並ぶのか。雪でここまでやるとは……なかなか面白い趣向だな」
隣のソファに座っていた王妃が、ぱっと目を輝かせた。
「まあ、素敵! 私、一度そんなものを見てみたいですわ」
「しかし、かなり遠いぞ」
「だからこそではありませんか。王都では、めったに雪を見ることなどありませんもの」
王妃はすでに行く気になっているようだった。
「それに、オフィーリアの花嫁姿も見たいですわ」
楽しそうに微笑んで続ける。
「キャサリンのことですもの。きっと王都でも評判になるような、素晴らしいウェディングドレスを仕立てさせるに決まっています。それを見ないなんて、ありえませんわ」
「ずいぶん言い切るな?」
「キャサリンが実の娘のように思っている姪の結婚式に手を抜くはずがありません。陛下、ぜひ参列いたしましょう」
「……そこまで言うなら、行ってみるか」
国王がそう答えると、王妃は嬉しそうに微笑んだ。
そして国王夫妻がフォートリエ辺境伯家の結婚式へ赴くらしいという噂は、瞬く間に王都の貴族たちへ広がっていった。
王都では滅多に見ることのできない一面の雪景色に、巨大な雪の城、雪像、そして辺境伯夫妻の結婚式。
「それなら私たちもぜひ」
「雪祭りというものを一度見てみたいわ」
そんな声が次々と上がり、雪祭りは思いもよらぬ規模へ膨らみ始めていた。
招待状こそ届いていないものの、ギルモア男爵家にも、オフィーリアの結婚式と大々的に行われる雪祭りの噂は届いていた。
「フォートリエ辺境伯夫人は領地経営にも携わっているそうだぞ。雪祭りは一か月後から二週間。雪で作ったいろいろな像があるとか……夜には灯りもともすそうだ。いやあ、なかなか大したものだな」
新聞を読みながらギルモア男爵が感心すると、向かいに座っていたリディアが露骨に顔をしかめた。
「お父様、私の前でオフィーリア様を褒めないでよ。アルったら、まだあの人に未練があるのよ。この前の夜会でも、よりを戻そうとしていたんだから」
「未練なんてない!」
少し離れたソファで、各地の名所や催しを紹介する雑誌を読んでいたアルフレッドがすぐさま反論した。
「だったら、どうして雪祭りの特集をさっきから三回も読んでいるのよ!」
「祭りに興味があるだけだ!」
「オフィーリア様の結婚式の日と重なるお祭りよ。ずっと見ていたらこっちの気分が悪いわよ!」
「うるさいぞ! もっと可愛げのある女だと思っていたのに、結婚してみれば怒ってばかりだ」
「誰のせいよ! 私はロズウェル侯爵夫人になれると思っていたのよ! それなのに、どうしてあなたがうちへ婿入りしてくるの! うちは裕福じゃないのよ。だから私は、お金持ちの家に嫁ぎたかったのに、アルはとんだ厄介者だわ」
アルフレッドの顔が引きつった。
「……つまり、ロズウェル侯爵家の金だけが目当てだったのか?」
「当たり前でしょ!」
「僕を好きだと言ったよな!? 嘘だったのか?」
「好きだったわよ。お金持ちで侯爵家の跡取りだったあなたが!」
「二人とも、いい加減になさい!」
とうとうギルモア男爵夫人が声を上げた。
二人が同時に黙る。
夫人は疲れた顔でこめかみを押さえた。
「アルフレッド様がいらしてから出費は増えるし、リディアとは毎日のように口喧嘩、あなたはあなたで婿殿が来たから領地経営が楽になるなどと言って仕事を押しつて……屋敷で寝てばかり。アルフレッド様は領地経営の才覚はないから、相変わらず貧乏よ」
「いや、それはだな。最近腰が痛くて……」
「嘘をついてもだめです!」
男爵はしゅんと黙った。
「そもそもリディア。婚約者のいる男性のところへ毎日のように勉強を教わりに行くなんて言い出した時点で、私たちも止めるべきだったわ」
「今さら言うの?」
「今だから言っているのよ! まさかこんなことになるなんて……」
夫人は大きなため息をついた。
誰も彼も、自分に都合のいい未来になると思っていたのだ。
リディアは裕福なロズウェル侯爵家へ嫁ぎ、アルフレッドは可愛らしく従順な妻を得てロズウェル侯爵となる。ギルモア男爵は立派な婿を迎えて領地経営が楽になり、男爵夫人は商才のある婿によって家が裕福になるか、さもなくばリディアに玉の輿に乗ってほしいと考えていた。
ところが蓋を開けてみれば、リディアは望んだ侯爵夫人にはなれず、アルフレッドは慣れない男爵家暮らし。男爵夫妻には、毎日喧嘩する若夫婦が一組増えただけだった。
「それで?」
男爵夫人がアルフレッドの雑誌を指さした。
「まさか、雪祭りへ行くなどと言い出しませんわよね?」
「……王都の貴族も大勢行くらしいし、社交のためにも――」
「行きません!」
今度はリディアと男爵夫人の声がきれいに重なった。
アルフレッドは黙って雑誌をテーブルへ置いた。
「行けるわけがないでしょう? 我が家はキャサリン様から良く思われていないのですよ。しかも、結婚祝いの贈り物すら満足に用意できません。のこのこ顔を出したところで、恥をかくだけです!」
返す言葉もなかった。
もしあのままオフィーリアと結婚していれば、今頃彼女の隣に立っていたのは自分だった。
だが、その未来を自ら捨てたのもまた、自分自身だった。
今やオフィーリアは王国最強とうたわれる辺境伯に愛され、大勢の人々に祝福されようとしている。
一方の自分は、望んでもいなかった男爵家で、金のことで妻やその両親と罵り合う毎日だ。
雑誌に載った華やかな雪祭りの記事が、ひどく遠い世界の出来事のように見えた。
かつて、キャサリンから言われた言葉が蘇る。
『長く商いをしていると、ときどき不思議に思うことがあります。誰もが欲しがるほどの宝を手にしているのに、その価値がわからない方がいらっしゃるのよ』
あのときは理解できなかった言葉の意味を、今になって嫌というほど思い知らされる。
自分は最高の宝を、自らの手で捨ててしまった。
そして今、その宝はもう二度と取り戻せないのだ。
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