第29話
オフィーリアが王都へ戻ってから、さらに何日かが過ぎた。
ブライアンは執務机に向かいながら、何度目かわからないため息をつく。
「……はあ」
その様子を、執事は黙って見ていた。
オフィーリアがいなくなってからというもの、ブライアンはずっとこの調子である。それでいて、自分から連絡を取ろうともしない。
(まったく……)
とうとう見かねた執事は、王都と辺境を頻繁に行き来している顔馴染みの商人に、オフィーリアの様子をそれとなく尋ねた。そして得られた情報を報告するため、執務室を訪れた。
「旦那様。奥様のことで、少々お話がございます」
ブライアンの手が止まった。
「……オフィーリアの?」
「はい。王都ではキャサリン様の商会を手伝い、夜会にもお顔を出していらっしゃるそうです」
「そうか」
元気にしているらしい。それだけは安心した。
「それから、数日前の夜会では、以前の婚約者であるアルフレッド卿と、バルコニーでお話しになっていたそうでございます」
「以前の婚約者?」
「はい。奥様には幼い頃からの婚約者がおりました。王立学園卒業時までは婚約されていたようです」
「……そうなのか」
「そのアルフレッド卿が、奥様のあとを追ってバルコニーへ向かわれたそうで」
「なぜ元婚約者がオフィーリアを追う?」
「私に聞かれましてもわかりませんね。ただ、奥様はとても可憐で愛らしいので、声をかけたくなったのでしょう」
自分が望んだことではないか。
オフィーリアには王都が似合う。そこで才能を生かし、自分よりふさわしい男と出会えばいい。
そう思って送り出したはずなのに、元婚約者の話を聞いただけで腹立たしい。
「……よかったではありませんか? 旦那様のお望みどおり、奥様は王都で新しい人生を歩まれるかもしれません。そのうち元婚約者とよりを戻すかもしれません」
「それ以上言うな」
執事はしばし黙ったあと、口を開いた。
「坊っちゃま」
「……その呼び方はやめろ」
「今日だけは、そう呼ばせていただきます。幼い頃からお仕えしておりますが、ここまで歯がゆい思いをしたのは初めてでございます。もう悩んでいる場合ではありません」
執事はきっぱりと言った。
「好きでもない男性を、夫婦の寝室へ誘う女性がどこにおりますか? まして奥様ほどの方であれば、旦那様が気に入らなければ、もっと早くにさっさと出て行ったと思いますよ」
「…………」
「奥様は、こちらでの暮らしを嫌がってなどおられませんでした。使用人にも領民にも心を配り、旦那様とお話しになるときには、いつも嬉しそうにしていらっしゃいました」
「だがキャサリン様が迎えに来た時、抵抗もせずあっさり帰ってしまったではないか」
「奥様ご自身が『帰りたい』と坊っちゃまにおっしゃいましたか? 坊っちゃまは奥様に本心を聞いたことがあるのですか? 自分の気持ちを伝えたことは?」
答えられなかった。
「奥様のお気持ちを確かめもせず、ご自分一人で『王都へ帰るほうが幸せだ』と決めておられたのでしょう? お見送りもせず、引き留めもせず。奥様のほうこそ捨てられたと思われているかもしれませんよ」
「……そうなのか?」
「私に聞かないでください。聞く相手を間違えています」
「厳しいな」
「坊っちゃまがあまりにも情けないからでございます。あれほどの奥様はもう現れませんよ」
「…………」
「何も聞かずに身を引くことが、本当に奥様のためなのでしょうか? まあ、坊っちゃまがあっちの趣味なら仕方がありませんが……」
「あっちの趣味? なんのことだ?」
「女性には興味がないとか、そういうことですよ。まさか……」
「つっ……そんなわけあるか!」
大いなる勘違いを一蹴りすると、アルフレッドは今までの自分の行いを反省する。
オフィーリアは、自分に気持ちを伝えようとしてくれた。
夫婦の寝室を使いたいと、勇気を出して口にした。
それなのに自分は、理由すらまともに説明せず拒絶した。
そして今度は、本人の気持ちを確かめもしないまま王都へ帰した。
(俺は……何をやっているんだ)
夫婦の寝室に誘われて逃げ、妻を王都へ帰し、元婚約者の話を聞いて嫉妬している。
(……我ながら、どうしようもないな)
会いたい。
その気持ちだけは、もう誤魔化しようがなかった。
もしオフィーリアが本当に自分を必要としてくれるのなら、今度こそ全力で応えたい。
「馬を用意してくれ。オフィーリアを迎えに行く」
突然の言葉に、執事が目を輝かせる。
「かしこまりました、坊っちゃま。良かったです。私はてっきり……」
「その呼び方も、おかしな勘ぐりも二度としないでほしい」
「奥様をお迎えして、無事に仲直りなさったら旦那様に戻しますよ。ああ、良かった。これでフォートリエ辺境伯爵家は安泰です」
執事は茶目っ気たっぷりに笑った。




