第22話
それからのオフィーリアは、自分の能力を隠すことをやめた。屋敷の中で何か問題が起これば、気づいたことをそのまま口にする。使用人たちから相談を受ければ、自分の知識を惜しまず伝えた。今までのように『旦那様には内緒よ』とは言わない。それはとても気分が良いものだった。
ある日、ブライアンから領地について話し合う会議に同席してほしいと言われた。会議室にはブライアンの側近をはじめ、領内の道路や物資の輸送を担当する者たちが集まっていた。
「今年も街道で馬車の事故が増えている」
ブライアンがテーブルに広げられた地図の一点を指した。
「特にこの坂だ。雪が降った翌日に気温が下がると路面が凍る。先週も荷馬車が滑って横転した」
「砂を撒く量を増やしてはいかがでしょう」
側近の一人が意見し、ブライアンが首を横に振る。
「すでにやっている。だが、あの長い坂すべてとなると相当な量が必要になるし、新たに雪が降り積もると効果が薄れる」
そんなやり取りを聞きながら、オフィーリアは記憶を辿っていた。
凍った道。
馬車。
車輪。
以前読んだ異国の書物に、よく似た話があった。
「あの……一つ、よろしいでしょうか」
皆の視線が集まる。でも本来のオフィーリアは、そんなことで気後れする性格ではない。
「異国の寒冷地では、雪や氷の上を走る際、馬車の車輪に鎖を巻くことがあるそうです」
「車輪に鎖を?」
「はい。車輪が直接氷に触れるよりも滑りにくくなるのだとか。すべての馬車に用意するのが難しければ、まずは事故の多い街道を通る荷馬車だけでも試してみてはいかがでしょう?」
ブライアンは地図を見つめたまま考え込み、やがて顔を上げた。
「面白い。試してみる価値はありそうだ」
そして輸送を担当する男へ視線を向ける。
「使えそうな鎖を用意して、まず一台で試してくれ。効果があるようなら数を増やそう」
「承知しました」
話があっという間に進んでいく。
「オフィーリア。ほかにも何か思いついたら、遠慮なく言ってくれ」
「……よろしいのですか?」
「もちろんだ。そのために君にも来てもらったんだからな。君の知識はとても素晴らしい。助かるよ」
あまりにも当然のように返されて、オフィーリアの頬が緩んだ。
「はい。では、思いついたことがあれば、何でも申し上げます」
「ああ。そうしてくれ」
(知っていることを隠さなくてもいい。それどころか、こうして夫が感謝してくれるなんて)
オフィーリアはたまらなく嬉しくなる。
「さきほどの提案の続きですけれど、鎖を巻くのではなく、冬の間だけ車輪そのものを替えてみてもいいかもしれません」
「車輪を?」
「はい。車輪の外側を覆う鉄の輪に、小さな突起をいくつもつけるのです。凍った雪に食い込むようにすれば、普通の車輪より滑りにくくなるのではないでしょうか。実際に使えるものが作れるかどうかは、職人に試作してもらわなければわかりませんけれど」
ブライアンはしばらく考え込んだあと、すぐに担当者へ顔を向けた。
「鍛冶職人に相談してみよう。まずは一組、作らせてくれ」
ブライアンはオフィーリアの提案に実に積極的だった。
こうしてブライアンとの会話も増え、二人は笑い合うことさえ珍しくなくなった。
以前のように、何を話せばいいのかわからず、気まずい沈黙に耐えることもない。
しかし、オフィーリアは嬉しいと思う反面考えてしまう。
(……私たち、仕事の話ばかりではないかしら)
領地のこと。屋敷のこと。商人との取引のこと。
話は弾むし、ブライアンはオフィーリアの意見を楽しそうに聞いてくれる。
けれど、それは夫婦の会話というより、気の合う仕事仲間のようなものだ。
そして相変わらず、夜になれば二人はそれぞれの部屋へ戻っていく。
(まさか私……女性としては見られていないの?)
そう思った途端、急に不安になってきた。
ならば、確かめてみればいい。
その日の夕食後、オフィーリアは自室へ戻ろうとするブライアンを呼び止めた。
「あの、旦那様」
「どうした?」
「私、こちらへ来てから随分経ちましたでしょう?」
「ああ。そうだな」
「屋敷での暮らしにも、もうすっかり慣れました。それに……旦那様とも、以前よりたくさんお話しできるようになりましたし」
「ああ。俺も嬉しく思っている」
そう言って微笑まれて、言うなら今だと、オフィーリアは意を決した。
「ですから、その……そろそろ夫婦の寝室を使ってもよろしいのでは?」
ブライアンの笑顔がすっと消えた。
「…………」
「旦那様?」
「いや。それは、今までどおりでいい……」
返事は短かった。それ以上は何も言わず、ブライアンは「おやすみ」と告げて自室へ戻っていった。
残されたオフィーリアは、その場からしばらく動けなかった。
(今までどおりでいい……)
つまり、これからも別々の部屋で眠るということで、夫婦として歩み寄ろうという気持ちがないということだ。
仕事の話なら、いくらでもしてくれる。
自分の知識も必要としてくれる。
(でも妻としての私は、必要ないの?)
せっかく近づいたと思っていた距離が、急に遠くなったような気がした。
アンナは、沈んだ顔で部屋に戻ってきたオフィーリアに声をかける。
いつもなら「今日はブライアン様がこんなことをおっしゃって」などと夕食時の会話を嬉しそうに話すのに、その日は妙に静かだ。
「旦那様と何かありましたか?」
「いいえ。何もないわ。……ただ、私は旦那様に好かれているとか嫌われている以前だったみたい」
「はい? どういう意味でしょうか? オフィーリア様は絶対好かれていますよ」
「……仕事仲間としてね。でも、妻としては違うわ。私ね、女性として意識していただいていないみたいよ。だって、勇気を出して夫婦の寝室に誘ってもあっさり拒絶されてしまったわ」
「……拒絶されたのですか? それは酷いですね。ですが、どう見ても旦那様はオフィーリア様に好意を持っているように見えますよ」
アンナもわけがわからないというように首を傾げた。
夫婦の寝室が一度も使われていないことには、アンナも気づいていた。けれど、二人の仲は日に日に親しくなっている。だからてっきり、ブライアンはオフィーリアが辺境での暮らしに慣れるまで、急かさず待っているのだと思っていたのだ。
だが、その夜以来、オフィーリアは明らかに元気をなくしていた。本も読まずぼんやりすることが増え、時折、深いため息をついている。
(女性から寝室に誘うのはとても勇気がいることだわ。天使のようなオフィーリア様を拒絶するなんて男がすることじゃないわよ。旦那様は酷すぎる)
そんなことなら、アンナも黙ってはいられない。早速王都にいるオフィーリアの母親代わりのキャサリンに相談の手紙を書くのだった。
『キャサリン様
お変わりなくお過ごしでしょうか。
オフィーリア様はこちらでそのお力を存分に発揮され、皆から頼りにされております。フォートリエ辺境伯家でも、すっかりなくてはならない存在になりました。屋敷内での細かな運営もや領地内のこともしっかりと意見なさり――
ですが、ここ数日はすっかり元気をなくされており、私も心配しております。
実は旦那様が――』




