第17話
馬丁には少し遠くまで馬を歩かせてみたいだけだと伝え、王都から持ってきた乗馬服に着替え、栗毛の馬を一頭借りる。
このところ雪は小康状態で、今日は珍しく雲の切れ間から淡い陽が差していた。辺りにはまだ白い雪が残っているものの、馬の通る道は踏み固められている。
厩舎を離れ、屋敷から十分に距離を取ったところで、オフィーリアは嬉々として馬に呼びかける。
「さあ、行きましょう!」
久しぶりの晴れ間に誘われるように、馬を走らせた。久しぶりの感覚に、胸がすっと軽くなる。
「やっぱり気持ちいいわ!」
馬も久しぶりに思い切り走れるのが嬉しいのか、力強く駆けていく。オフィーリアはそのまま、以前馬丁から聞いた湖へ向かった。
冬の湖は一面が白く、周囲の木々にも雪が積もっていた。王都近郊の華やかな景色とはまるで違う。静かで、冷たく、それでも息を呑むほど美しい。
「まあ……綺麗」
馬をゆっくり歩かせながら湖畔を進んでいると、不意に小さな鳴き声が聞こえた。
「……猫?」
馬を止め、辺りを見回す。
もう一度、か細い声がした。
雪の積もった低木の陰からだ。覗き込むと、小さな猫の後ろ脚に細い金属の輪が食い込んでいる。どうやら猟師が仕掛けた罠らしい。
「まあ、大変!」
オフィーリアはすぐに馬を降り駆け寄った。
「じっとしていてね。今、助けてあげるから」
罠から子猫を助けようと手を伸ばすと「へえ、ちゃんと助けるんだ?」と子猫がいきなり話し出す。罠はいつの間にか消えていた。
「猫がしゃべった!? それより罠はどこにいったの? 怪我はない?」
抱き寄せながら、猫の後ろ足を確認し、大丈夫そうだと安心する。
「人間って、見て見ぬふりすることもあるけど、あんたは違うんだな。すっごく優しいじゃん。悪戯、大成功!」
オフィーリアは何度か瞬きをした。
目の前にいるのは、どう見ても子猫だ。なのに、人間の言葉を話している。
「……へっ?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
夢でも見ているのだろうか。それとも、この子猫は魔物なのか。
けれど、ふと昔聞いた話が頭をよぎる。
「もしかして……妖精、なの?」
「お、知ってんの?」
「大昔、辺境地には悪戯好きの妖精が住んでいたって……そんな伝説を聞いたことがあるけど。でも、まさか……」
オフィーリアは改めて子猫を見つめる。
「子猫の姿だったなんて」
「伝説じゃねーよ。ここにいるし、この姿は借りの姿。本当の姿は人間には見せねーよ。で、何が欲しい? 一個だけ願いを叶えてやるよ」
いきなりそう言われても困ってしまう。
オフィーリアは少し考え、それから妖精を見つめた。
ふわふわの毛。
丸い顔。
ぱっちりとした瞳。
今まで見た猫の中で一番可愛い!
「そうねえ……あなたみたいに、可愛くなれたらいいわね。私、可愛い奥様を目指しているから」
オフィーリアは思わずそんなことを言ってしまう。
「それ、面白そう! 願いは叶えてやったぜ」
「……本当に?」
「もちろんさ。妖精は悪戯好きだけど嘘だけはつかないよ。じゃあなー」
「ちょっと待って」
ぽわん、と淡い光が弾け、腕の中にいた猫の姿は消えていた。
辺りを見回すが、雪原にも木の陰にもいない。
「……夢だったのかしら?」
どうにもよくわからない。しばらく首を傾げていたものの、オフィーリアは馬へ戻ることにした。先ほどより少しだけ陽が低くなっている。長居をしていてはブライアンにバレてしまう。
来た道を引き返し、無事に厩舎へたどり着くと、馬の首筋を撫で馬房へ戻した。
「ありがとう。楽しかったわ」
声をかけたそのときだった。
「今回、引き渡す馬はこちらだ」
聞き覚えのある素敵なバリトンボイスがした。
オフィーリアの身体が、ぴたりと固まる。
(旦那様!?)
オフィーリアは慌てて馬房の仕切りの陰へ身を隠した。
厩舎の入り口から、ブライアンが入ってくる。
馬の売却を担当しているマルスと、見知らぬ男を一人連れていた。
男の身なりからして、馬を買い付けに来た商人なのだろう。
(どうしましょう!)
よりによって、自分は今、乗馬服姿だ。
これでは乗馬ができることがバレてしまう。
(だめよ。せっかくここまで、可愛げのある妻になろうといろいろ隠してきたのに!)
ブライアンの足音が近づいてくる。
(絶対に見つかりたくないわ。だって、旦那様には可愛らしく見えなくちゃいけないのよ! そうよ、最高にキュートになりたい!)
そう強く思った瞬間、なにかがおかしい。
「…………?」
急に視界が低くなったような。
両手をついた――つもりだった場所に、ふわふわした小さな前足がある。
オフィーリアはゆっくりと自分の身体を見下ろした。
体全体が金色の毛に覆われている?
小さな前足には肉球。
身をよじるようにして自分を見ると、ふさふさした尻尾が見える。
「ね、猫になってる!?」




