第16話
それからというもの、オフィーリアは執事や侍女長からすっかり頼りにされていた。
「奥様。少々ご相談がございます」
執事が持ってきたのは、屋敷内の予算配分についての相談だ。別の日には、使用人たちの休暇をどう回せば仕事に支障が出ないかと意見を求められた。
侍女長からは、普段ほとんど使われていない客室を今後どうするか、古くなってきたリネン類はどれから優先して新しくするべきかと相談された。
オフィーリアはそのたびに真剣に話を聞いた。自分より相手のほうが詳しいことなら、まず意見を聞く。次に帳簿や記録を見ながら、それが妥当か否かを検討。何か気づいたことがあれば丁寧に優しく指導した。
そんなことを繰り返しているうちに、いつしか屋敷では『わからないことは奥様に聞け』が合い言葉になっていた。
オフィーリア自身も、頼られることが嬉しかった。やはり何も分からないふりをしているより、こうして誰かの役に立っているほうが、ずっと楽しい。
もちろんこの言葉は必ず添える。
「旦那様には内緒よ」
それだけは、毎回きっちり念を押した。
なので、使用人たちも今ではすっかり心得ている。
「もちろんでございます、奥様」
そう答える顔は、どこか楽しそうだった。
やがて冬も深まり、外はすっかり雪に閉ざされた。庭も屋根も真っ白に染まり、一日中雪が降り続く。王都から来たオフィーリアには、さぞ退屈な毎日だろう。ブライアンはそう思っていた。
しかし、執務室の窓から庭園を見れば、雪の中で作業をしている庭師に声をかけ、何やら楽しそうに話し込んでいる。
別の日に居間を通りかかれば、執事や侍女長とテーブルを囲み、朗らかな笑い声を上げていた。
廊下を歩いていると、ニコニコと侍女と立ち話中のオフィーリアを見かけることもある。オフィーリアの周りには、いつも誰かがいるようだ。
(……ずいぶん馴染んだものだな)
ブライアンはすっかり驚いていた。
王都のような華やかな夜会も劇場もない辺境地で、オフィーリアは毎日楽しそうに過ごしている。帰りたいとも言わない。予想外の展開だった。
(まあ……楽しく過ごせているなら、それでいいか)
ブライアンは廊下で侍女長とすれ違った際、声をかける。
「そういえば、オフィーリアはずいぶん皆と仲良くなったようだな」
「はい、旦那様。奥様はとても気さくなお方ですので」
「それにしても、何を話しているんだ? とても楽しそうだから気になった」
侍女長は返答に困った。
帳簿のことも、屋敷の運営について相談していることも、オフィーリアから固く口止めされている。まさか皆、困り事をオフィーリアに相談しているとも言えない。
「その……」
嘘をつくわけにはいかない。けれど、本当のことも言えない。
(何か、旦那様に申し上げても差し支えのないことは――。)
「ああ、そうですわ。王都のお話などをよく伺います」
「王都?」
「はい。奥様は王都の流行にお詳しいので。とても人気だった劇のお話ですとか、王都で評判のカフェで出されるお菓子のお話ですとか。それから、ドレスや髪飾り、香水などの流行についても」
実際、そういう話もしていた。
屋敷のことを相談した後、そのままお茶を飲みながら雑談になることも多い。
この辺境地では、王都の流行はなかなか伝わってこない。まして若い侍女たちにとって、最新のドレスや髪型、化粧品、評判の店の話などは興味を惹かれるものばかりだ。オフィーリアも聞かれれば楽しそうに教えてくれる。だから、嘘ではない。
「そうか」
ブライアンは頷いた。
どうやら不審には思われなかったらしい。
侍女長は内心ほっと息をつき、一礼してその場を離れた。
その背中を見送りながら、ブライアンは考える。
(王都の流行、か……やはり、都会が恋しいのだろう。楽しそうに見えても、華やかな暮らしを忘れることなどできないのだな)
ブライアンは窓の外へ目を向けた。
今日も雪が降っている。
(……春になる前に、王都へ戻りたいと言い出すかもしれないな)
ブライアンは諦めたようなため息をついた。
頼りない奥様作戦が失敗したものの、使用人たちとはすっかり打ち解けた頃、オフィーリアには新たな楽しみができていた。
厩舎へ行くことだ。
フォートリエ辺境伯領は、騎士が乗るための良質な馬の産地として知られていた。
厳しい気候の中で育った馬たちは身体が丈夫で、長距離の移動にも耐え、足腰も強い。
初めて厩舎を訪れた日、ずらりと並ぶ馬を目にしたオフィーリアは、思わず目を輝かせた。栗毛に鹿毛、艶やかな黒毛。どの馬もよく手入れされていて、毛並みは美しく、身体つきもしっかりしている。
オフィーリアは昔から馬が好きで、乗馬も得意だった。ブライアンの前では乗れることを隠しておきたい。けれど、目の前にこれほど見事な馬が揃っていれば、乗ってみたくなるのも当然だった。
(……でも、乗るのはだめよ)
かつてアルフレッドに言われた言葉を思い出す。
『成績ばかりでなく、乗馬や球技まで僕よりうまいなんて、少しは女性らしく慎みを持てよ!』
呆れたような、うんざりした顔だった。
(今度こそ、同じ失敗はしないんだから)
だからフォートリエへ来てから、オフィーリアは一度も馬に乗っていなかった。とはいえ、馬と触れ合うことまで我慢する必要はないだろう。そう考えて厩舎へ通った。
「奥様、本当におやりになるんですか?」
「もちろんよ。王都でもやっていたもの」
「ですが、そのお召し物では……」
「だから、作業着を貸してちょうだい」
最初こそ困惑していた馬丁たちも、今ではすっかり慣れたものだ。オフィーリアは借りた作業着に着替え、馬にブラシをかけたり、飼葉を与えたりして過ごした。
だが、毎日のように立派な馬を眺めていれば、当然ながら別の欲求もむくむくと湧いてくる。
(……乗りたいわ)
今日も馬房の前で、栗毛の馬の首を撫でながら思う。
(ほんの少しだけなら……)
誰にも見つからなければいいのではないだろうか。
ブライアンは、ほとんど執務室に籠もっていて忙しそうだ。
屋敷から少し離れたところまで走らせて、すぐに戻ってくれば、きっとバレない。
(そうよ。乗馬ができると旦那様に知られなければ問題ないもの)
オフィーリアは自分にそう言い聞かせた。
そしてその日の午後。
ついに誘惑に負けた。




