第15話
その後、オフィーリアは過去十年分の帳簿を確認した。
すると、相場が下がった年にも以前の価格のまま請求されていた品が、次々と見つかる。
豊作だった年の野菜。大漁だった年の魚。輸送費が下がった年の商品。
オフィーリアは当時の相場を思い出しながら、一つずつ帳簿と照らし合わせ、不自然な金額を拾い上げていった。
やがて十年分の過払い額を算出すると、商人はすっかり青ざめた。
話し合いの末、過払い分は今後の取引代金と相殺することで決着した。
「さあ、これですっきりしたわね。すっかり喉が渇いたわ。皆でお茶にしましょうか」
オフィーリアがアンナに言うと、アンナはいそいそとお茶の準備を始めた。
けれど、ほかの者たちは目を丸くしてオフィーリアを見るばかりだった。
最初に口を開いたのは執事だ。
「奥様」
「……はい」
「以前、帳簿をお持ちした際、こういったことは苦手だとおっしゃっていましたが……本当は、おわかりになっていたのですか?」
オフィーリアは視線を泳がせる。
「……ちょっぴりね」
「ちょっぴり、ですと?」
執事の視線が、テーブルの上へ落ちる。
そこには十年分の帳簿と、オフィーリアがたった今計算した過払い金の一覧が並んでいる。
どう考えても、「ちょっぴり」の仕事ではない。
「オフィーリア様。もう嘘はいけませんよ」
アンナが呆れたように諭す。
「……はい、ごめんなさい」
とうとう観念して、オフィーリアはわざとわからないふりをしていたと白状した。
「それにしても、奥様。十年前の作物の値段まで、どうしてご存じなのですか?」
「ああ、それは……私は一度見たり聞いたりしたことは、ほとんど忘れないの。三歳くらいからのことなら、大体覚えているわ。商売の話を耳にする機会も多かったし」
オフィーリアは懐かしそうに微笑んだ。
「お母様が亡くなってからは叔母様が母親代わりだったから、私、いつも叔母様について回っていたの」
「ウェインライト商会へ、でございますか?」
「ええ。叔母様のことが大好きだったから、離れたくなかったの。商会へ行くときも、よく連れていってもらったわ」
会長室で遊んだり、本を読んだり。
そこには商人や職人、外国から訪れた者たちまで、さまざまな人が出入りしていた。
「今日は南の地方で小麦がたくさん採れたとか、今年は魚の収穫量が少ないから値段が上がりそうだとか、新しい街道ができたから今までより早く品物を運べるとか。皆さんが叔母様と話していることを聞くのが、とても面白かったの」
文字を読めるようになってからは、商会に置かれていた新聞や商報にも夢中になった。
「それを……全部覚えていらっしゃるのですか?」
「もちろんよ」
執事と侍女長が顔を見合わせる。
「それから、大きくなってからは叔母様のお仕事も手伝っていたの。帳簿を見たり、商談に同席したり、簡単な取引なら任せていただいたり」
「簡単な取引……」
執事は思わず、先ほど商人を完膚なきまでに追い詰めたオフィーリアを思い出した。
どうやらこの奥様の言う「簡単」は、世間一般とは少し基準が違うらしい。
「これほど心強い奥様をお迎えできたとは……」
執事は感極まったように息を吐いた。
侍女長も嬉しそうに頷く。
「フォートリエ辺境伯家にとって、これ以上ないほど頼もしい奥様でございますね」
「奥様って、綺麗なだけじゃなくて、本当にすごい方だったのね……」
リタが小声で呟くと、ほかの侍女たちも感心したように頷いた。
「あっ、でも!」
突然オフィーリアが声を上げたので、皆の視線が一斉に集まる。
「お願いがあるの」
「なんでございましょう?」
オフィーリアは胸の前で両手を合わせた。
「今日のこと、旦那様には内緒よ」
「…………」
執事が瞬きをし、侍女長が首を傾げる。
「なぜでしょう?」
「……どうしてもなの」
「しかし、奥様――」
「お願い」
オフィーリアは子供が秘密を守ってほしいとせがむように、じっと二人を見つめた。
理由はわからない。
けれど、そんなふうに真っ直ぐ見つめられては、無下に断ることもできない。
執事は困ったように眉を下げ、侍女長は小さくため息をついた。
「……かしこまりました。奥様がそこまでおっしゃるのでしたら」
「本当? ありがとう!」
オフィーリアは、ぱっと花がほころぶように笑った。
十年分の帳簿をひっくり返して商人を青ざめさせたかと思えば、今度は子供のように秘密を頼んでくる。
侍女たちは思わず口元を緩めた。
なんとも不思議で、可愛らしい奥様だと思ったのだ。
そんな中、アンナだけはひっそりと心の中で思っていた。
(旦那様にいつまでもバレないなんて、できっこないと思いますけどねぇ)




