第13話
アンナはますますわからないという顔をした。
「今までの私は、何でも覚えすぎていたでしょう?」
「確かに常人ではあり得ないことでしたが、それがオフィーリア様の素晴らしい長所です」
「わかっているわ。でもね、アンナ。私、それでアルフレッド様に嫌われたわ……」
「オフィーリア様……」
アンナの眉尻が下がる。敬愛する女主人が悲しむ姿は見たくない。
だが、すぐにオフィーリアは気合いを入れる。
「ただでさえ、旦那様は私がお気に召さないみたいなのよ。だからね、私は好感度をあげるために頑張るわっ!」
「えっ……それで好感度は上がるのでしょうか」
「少しくらい頼りないほうが、男性は可愛いと思ってくれるのでしょう?」
「それは……」
アンナは言葉に詰まった。違う、と言ってやりたかった。
アルフレッドのような男性ばかりではない。オフィーリアの聡明さを好ましく思う男性だって、きっといる。そもそも、旦那様に好かれたいのなら当人の前で演技をするべきで、執事や侍女長の前でまでお馬鹿さんのふりをする必要がどこにあるのか。そこは思いきり突っ込みたい。
けれど、オフィーリアはふざけているわけではないのだ。
アルフレッドに「優秀すぎる」と否定されたことを、彼女なりに真剣に受け止めた末に、こんな妙な結論へ辿り着いてしまったのである。
そう思うと、頭ごなしに「そんなことをしても意味がありません」とも言えなかった。
ましてや、ブライアンがどんな女性を好むのか、アンナにはまだわからない。
「……わかりました。ただし、あまり無理はなさらないでくださいね」
結局、アンナはそう答えるしかなかった。
「無理なんてしていないわ。わからないふりをするだけだもの。簡単よ」
オフィーリアはにっこり笑った。
アンナは何とも言えない顔で、ふるふると首を横に振る。
(お馬鹿さんのふりをするなんて……オフィーリア様は本当に奇妙なことを考えるわ。頭が良すぎると、一周回っておかしなことを思いつくようになるのね)
その頃、部屋を出た若い侍女の一人リタは、廊下を歩きながら先ほどのオフィーリアの様子を思い返していた。
王都の裕福な伯爵家から嫁いできただけあって、オフィーリアは驚くほど愛らしく、身につけているものもどれも上等だった。
(いいなあ……あんなに綺麗で、お金持ちで)
リタは羨ましくて仕方がなかったが、オフィーリアがかなり忘れっぽいことには驚いていた。五日前に自分で話したことまで覚えていないなんて不思議だった。
それから数日後。
リタはオフィーリアの寝室を掃除した後、隣接する大きな衣装部屋へ入った。
たくさんのドレスの横には帽子や靴が並び、その一角には香水や化粧品を収めたケースがいくつも置かれている。
辺境地では同じ品が簡単には手に入れられないからと、キャサリンがかなり多めに持たせたものだった。リタはその中の一つを開き、思わず手を止めた。そこには以前から憧れていた、王都の香水店の小瓶が並んでいた。
(いいなあ……)
一瓶だけでも、リタの給金では気軽に買える値段ではない。それが同じものだけで何本も並んでいた。
『どちらがどちらでしたかしら。もう忘れてしまいましたわ』
先日のオフィーリアの言葉を思い出す。
五日前に自分で決めたことすら忘れてしまう奥様だ。
香水の一本くらいなくなったところで気づくはずがない。
リタは香水をそっとエプロンのポケットへ滑り込ませた。
その日は、仕事が終わるまで生きた心地がしなかった。
呼び止められるたびに、盗みが見つかったのではないかと思った。
しかし、一日経っても、二日経っても、何も起こらない。
オフィーリアはいつもと変わらない。
香水がなくなったと騒ぐこともなければ、侍女たちを問い詰めることもなかった。
(やっぱり気づいてないんだ)
リタはほっとした。
そして夜、自分の部屋でこっそり香水を使ってみた。
ふわりと漂った甘く華やかな香りに、思わず笑みがこぼれる。
こんな素敵なものを、オフィーリアはいくつも持っている。
「私も貴族の令嬢に生まれたかったな」
リタはため息をつきながら呟いた。
さらに、その数日後のことだ。
今日もリタはオフィーリアの部屋を掃除していた。
オフィーリアの鏡台に無造作に置かれた一組の手袋に、ふとリタは目を留めた。
薄い象牙色の生地に、繊細なレースが幾重にも重ねられている。
手首のあたりには小さな真珠まで縫いつけられていた。
リタは手に取り見惚れる。
(綺麗……)
オフィーリアが王都から持ってきた手袋は、これ一組ではない。
色も形も違うものが、手袋専用の引き出しの中に何組も綺麗に収められているのだ。
(こんなにたくさんあるのだから、一組ぐらいなくなってもわからないわよね)
そう思った途端、手が伸びていた。
そっとエプロンのポケットへ隠したそのときだった。廊下から足音が聞こえて
リタの身体が強張る。
足音は、まっすぐこちらへ近づいてくる。
そして、扉の取っ手がゆっくりと動いた。




