祭りの夜
「水花祭休暇はどういたしますか?」
寮の部屋でユギがエルトダリスに問いかけた。
水の女神のお祭りである水花祭はクロワ公国の祝日で、2日間学校も休みとなり、自由となる。自宅に戻り、家族とお祭りを楽しむのが一般的だが、エルトダリスの予定は決まっていなかった。
「予定は無いよ。ユギさんこそ、どうするの?」
「私もこれといった予定はございません。普段どおり、お側にいるつもりです」
「それなら屋台が大通り沿いに並ぶから、夕方一緒に出掛けよませんか。おこずかいも少しはあることだし、いいでしょう?」
エルトダリスは破顔する。これが彼にとって初めての自由行動だったのだ。
治安が良いと言われる王都スレイモールだが、夜に街を出歩く事など今まで一度も体験したことがない。ましてや1人で街に出るには勇気がいるが、市井に慣れているユギが一緒なら心強い。
「いいですね、ぜひ一緒に出掛けましょう」
ユギも微笑み返して頷いた。
水の入った小さな白磁の器に、一輪の白い花が浮かべられている。その器を思い思いの場所に飾って水の女神を祀るのが水花祭だ。
街の店先や住宅の窓辺などに器が置かれ、水の女神の恵みに感謝して祝うのだ。
エルトダリスも早朝井戸から汲んだ水を器に入れ、花だけを水面に浮かべると、部屋の窓辺にそっと飾った。
(どうぞ楽しいお祭りでありますように…)
そして太陽が大地に傾き始めると、エルトダリスとユギは制服から一般市民の平服へ着替えた。
エルトダリスの下げている聖剣は、街中では人目につかないように布製の袋に収められ、上着に隠された状態で帯剣されていた。
「行きましょうか」
「はい」
エルトダリスとユギは学校の外へ出ると、繁華街目指して歩き出した。
学校から屋台の並ぶ大通りは比較的近い位置にあり、十五分ほど歩くと、人でごった返している大通りに出た。
「うわ、凄い人だ」
思わずエルトダリスは立ち止る。ユギも側に立ち止ると、彼の手を握った。
「この人波ではぐれたら大変ですから、手をつないで行きましょう」
「うん、そうだね」
2人は手をつなぎ、人波の中に入っていった。すれ違うのもすれすれの混み具合だったが、それでも屋台の並ぶ通りを歩くのは楽しかった。
あまり目にすることの無い商品や軽食を、エルトダリスは初めて目にして、市井の暮らしぶりを肌で感じることができた。
「いい香り…」
肉を焼く煙の香ばしい香りが漂って、エルトダリスが思わずつぶやいた。
「食べてみますか?」
ユギが話しかける。迷わずエルトダリスは頷き返した。
「その串焼きを2本下さい」
屋台の主にユギが話しかける。
「はいよ、兄ちゃん」
ユギが小銭を差し出し、焼き立ての串焼きと交換で受け取る。受け取ったユギは、1本をエルトダリスに手渡した。
「普段なら行儀の悪い事ですが、屋台の食べ物ですから歩きながら食べても問題ありません」
確かに周囲を歩いている人たちの中には、いろんなものを食べながら歩いていた。祭りの屋台通りならではの光景だろう。
「おいしい…!」
エルトダリスは肉にかぶりつくと、思わず呟いた。
ユギが笑みをほころばせる。生まれた時から宮殿の奥で育ったエルトダリスにとって、市井での体験は何物にも代えがたい感動の連続なのだろうと察した。
この後もエルトダリスとユギは人目を気にする事無く、2人で屋台を食べ歩いた。
「これ、綺麗だね」
アクセサリーを並べている店の前で、エルトダリスが立ち止まった。緑色の石が連なるブレスレットに興味をひかれた様子だった。
「いろいろありますね」
ブレスレットやペンダント、指輪やイヤリングなどが様々な色の石で作られてる。エルトダリスとユギは商品を見回した。
「高価なものではありませんが、買って行かれますか?」
ユギがエルダリスに尋ねる。
するとエルトダリスは不満げに口をとがらせた。
「私はただの学生なんだから、高価で無くて構わないっ」
「…でしたね」
クスッと失笑してたユギは、エルトダリスが差し出した緑のブレスレットを受け取った。
「ユギさんのは?」
と、エルトダリスが両手を腰に当てて問いかけた。
「私は別に…」
ユギが断わりかけたが、それが不服と言わんばかりに上目遣いでエルトダリスが見つめてくる。思わぬ圧をかけられて、ユギは折れた。
「…では、私は色違いの青で…」
ユギは二つのブレスレットを店主に差し出して、支払いを始めた。そのあいだ、エルトダリスは何気なく周囲を見回した。行き交う人混みに振り向くと、明らかに目立つ人たちが視界に入った。
よく見ると、四、五人ほどの目を引く人達がこちらに向かって歩いてくる。どこかの貴族だろうか。手の込んだ柄の刺繍がされたフロックコートを着ているスマートな少年を中心に、護衛らしいの男たちが取り囲むように道を歩いている。珍しい光景にエルトダリスが小首を傾げた。
貴族が下町の繁華街に繰り出す事などほとんど無い。貴族たちは宮殿に近い、いわゆる貴族地区と呼ばれる高級住宅街に居を構える人たちが殆どなのだ。そのため、一般市民が暮らす下町に来ることなど稀な事なのだ。
水花祭の賑わいにつられて、下町まで覗きに来たのだろう。
「着けてみませんか?」
不意にユギが横からエルトダリスに話しかけてきた。
支払いを済ませた緑の石のブレスレットを差し出す。
「ありがとう」
エルトダリスはユギからブレスレットを受け取ると、左腕に通す。腕をかざしてブレスレットを見つめると、満足そうに微笑みを浮かべ、ユギに振り向い由岐さんさんも着けてみて」
エルトダリスに急かされる様に、ユギも左手首にブレスレットを手首に通す。色違いのお揃いのブレスレットだ。
二人は腕を見せ合うと、共に微笑みあった。
「きれいな石のブレスレットですね」
いきなり何者かに話しかけられて、エルダリスとユギは振り返った。
そこには、先ほど見た貴族らしい少年が、いつの間にか立っていた。彼の周囲には、護衛も控えている。
「あぁ、失礼。驚かせたかな」
「いいえ」
ユギが微笑んで答えた。見るからに浮世離れした高位の貴族の少年を見て、納得した。彼もエルトダリスのように市井にあるものすべてが物珍しく見えるのだろう。
「このお店で買ったばかりですよ」
エルダリスも得意げに彼に答える。
「二人共とても似合っているよ。良い買い物ができたようだね」
貴族の少年も微笑む。高位の貴族らしからぬ、気さくな雰囲気は珍しい。どこの国でも貴族と言えば、お高く留まって平民に対して冷たい態度をとるのが通常だ。もっとも身分の低い者が高位の貴人に声をかけること自体許される事では無いのであるが、目の前の貴族の少年は気にしていないようだった。
「それでは、良い水花祭を」
貴族の少年は軽く会釈をして身を翻す。エルダリスとユギもその場で軽く片手を振った。
貴族の少年は護衛に護られながら、再び人波の中に入って行く。エルトダリスとユギは去って行く貴族の少年の後ろ姿を見送った。
「ん?」
ふと、エルダリスの視界の片隅に黒い靄のようなものが、横切っていく。
「いかがしましたか?」
「あれ」
と、エルダリスが指さした。黒い靄がスッと帯状に伸びて、人混みに霧散していく微かな景色が、ほんの数秒だけ見えたのだ。
「嫌な予感する。行くよ!」
「エルトさん!?」
いきなりエルトダリスが駆け出した。慌ててユギも彼の後を追いかける。
エルトダリスは走るうちに黒い靄の正体が、数人のフードを目深に被ったマントの男たちから発していることに気付いた。
しかもその者たちは、先ほど通りかかった貴族の少年の後をつけている様なのだ。
人波をかき分けながら先を急ぐのは困難だったが、二人は黒い靄の後を追跡した。
やがて人混みがなくなり、通りも細い裏路地へと差し掛かる。気が付けば、周囲は人の気配が無くなっていた。
「こっちへ」
ユギがエルトダリスの肩を掴んで、道の脇へ身を潜めるように誘導する。
先ほどのフードの男たちと、護衛に囲まれた貴族の少年が接触した様なのだ。
何か言い争っている様子だが、遠目で頼りげないまばらな街灯しかない状態では、これ以上近づくのは危険だ。
「ユギさん、悪いけど憲兵に知らせに行って下さい」
「しかし、エルトさん…」
ユギはエルトダリスが心配で離れることは出来ない。しかしエルトダリスは激しく左右に首を振った。
「私は道が分かりません。ここで様子を伺っていますから、お願いします」
エルトダリスの頑固そうな眼が緊急を要することを物語っている。あの気さくな貴族の少年の身に危険が迫っているのだ。このまま放っておけない。
「絶対身を隠していて下さい。いいですね?」
「了解したよ」
ユギの力強い念押しに、エルトダリスは深く頷いた。
後ろ髪をひかれる思いをこらえながら、ユギがそっとその場から姿を消した。
次回は10月11日予定です。お楽しみに。




