神殿
1時限目の授業は校内中央に立つ小神殿での授業のため、エルトダリスたち生徒は急いで移動した。
小神殿の聖堂の中に生徒たちが着席できる一角が設けてある。そこで授業が行われる。
「対話の時間です」
担任のトラスが生徒たちの前に立った。生徒たちは小神殿の中をきょろきょろと見まわしていた。
初めて見る神殿に、興味津々なのだろう。神殿の内部を支える柱が何本も並んでいる。その柱にはレリーフが刻まれいるのだが、どの柱も同じ柄は無い。それは神々を表しているのだ。
「神殿正面から1番奥に2つの柱が並んでいます。向かって左が神々を束ねる王である光のサリア神、右が聖泉堂の主神である水の神を表しています」
トラスが柱の解説を始める。サリア教は自然神を信仰するため、虚像を祀るのを嫌うのだ。そのため、神を尊ぶための神殿には彫像が無いのが一般的だった。
「心を落ち着けて、目を閉じます。ゆっくり息を吸いながら、天からひとすじの光が降りてきて、体内を満たすイメージをしてみてください。深呼吸を繰り返して……しばらく何も考えなくていいです。落ち着いてきたら、心の中で自分自身の心に話しかけなさい。話題は興味のある事柄についてでよいでしょう」
トラスの言葉に思わずエルトダリスとアマリアが顔を見合わせた。
「…要は内省しろって事よね?」
アマリアが声をひそめてエルトダリスに話しかけた。
「うん、そうだね」
エルトダリスも小さく頷き返した。
神官の基礎的な修練の一つ、内省。それは真の自分と向き合う事で、現在の心と過去から記憶を持つ魂との回路を太くする作業のようなものだ。
普段感情の揺らぎで精神は不安定になるが、命の根源の魂自体は揺らぐことはない。魂と感情が別物なのは、人が生死を繰り返す生命のプログラムがあるからだ。
転生の度に記憶や感情は新たなものに変わるが、魂自身は死滅することなく転生を繰り返す宇宙のシステムである。したがって魂は過去の生き様を知っているが、生まれ変わった者は前世の記憶がない。
魂と精神の回路を意識的につなぎ合わせるためには、静かな場所で自身と向き合わなくてはならなかった。
「心と対話してどうなるの?」
側の席に座るジョイスが不思議そうに小首を傾げてエルトダリスに話しかけた。すると、他の生徒の一部も同じ疑問を持ったのか、エルトダリスに振り向いた。彼らは具体的なビジョンが思い浮かばないのだろう。
すると、その問いにトラスが答えた。
「意識的に魂と心を繋げると、次第に生前の過去の記憶を思い出すでしょう。魂と通じているうちに、魂のレベルも上がってきます」
それは自身が放っている光の波、つまり周波数が上昇していくと、神官として神に近づく事を許されるという事なのだ。
「周波数が上がれば、神様の姿が見えるかもね」
と、アマルダが呟く。
彼女の言葉に、ジョイスたちはギョッと驚いたが、エルトダリスはクスッと笑みを零して俯いた。
本当にアマルダは神官としての理解度がとても優秀すぎる。
神学は彼女の天性にあっているのかもしれないと、エルトダリスは思ったのだった。
その頃、王宮の女王の執務室に王配のブランシュ公が訪れていた。普段なら自身が治める領地にいるのだが、近々南の国の皇太子が表敬訪問したいという打診が来たとの知らせを受け、緊急招集されたのだ。
隣国の皇太子が親善として来る以上王家としても、それなりのもてなしを考えなくてはならない。
「名目は親善ですが、あちらはもう少し切羽詰まった事情がおありです」
ロナマリアが書類に目を通しながら、机の前に立つ夫に話しかけた。
「南の国のアクトス帝国は、国内の経済状況が芳しくないようだね」
ブランシュ公は眉を寄せてロナマリアに答えた。クロワ公国内の交易に精通しているブランシュ公だからこそ情報が早く伝わっていた。
「我が国はアクトス帝国の領土の3分の1程度の極めて小国にもかかわらず、経済は帝国以上にとても潤っています」
ロナマリアが顔を上げた。
「高地に位置する我が国は畜産と農業に支えられていますが、経済を中心に回しているのは観光業といっても過言ではありません」
「うん、確かにそうだね」
ブランシュ公が微笑む。何せ国の根幹をなしている『聖泉堂』こそが国の要だ。
水の女神を主神とする聖泉堂が開かれてから、信者が国外にも広がっており、聖地巡礼の地としても有名になった現在、首都スレイモールに信者や観光目的で聖泉堂の大神殿に訪れる観光客が年々増えているといった状況なのだ。おかげで国の経済は順調に潤っている。ただ強いてあげれば悩みは、地域との格差が課題といえよう。
「アクトス帝国は幸いサリア教が浸透しているはずだから、聖泉堂の教えに異を唱えることもないでしょうし」
ロナマリアは席を立つ。と、ドアがノックされた。ややして扉が開かれ、侍従長が茶器を乗せたワゴンを運んできた。
ブランシュ公とロナマリアは執務室の中央のソファーに向かい合わせて腰を下ろすと、侍従長は手際よくお茶を淹れて部屋から去っていった。
「子供たちはどうする?」
ブランシュ公はロナマリアに砂糖を勧めながら話しかけた。
「フォルティナはまだ2歳ですから、宮殿で侍女たちとお留守番は必須ですし、エルトも神官見習いになったばかりです。帝国の皇太子は17歳と聞きましたので、話し相手にも無理がありましょう」
砂糖のポットを片手で制し、代わりにミルクを注ぎながらロナマリアは言葉を続けた。
「…そうだな」
ブランシュ公は吐息をついて、お茶を飲み始めた。
「あちらの皇太子は我が国からいろいろ学びたいと仰せです。できる限り、協力して差し上げましょう」
ロナマリアはまろやかな笑みを浮かべた。
時は瞬く間に過ぎ、アクトス帝国の王城の一室にて、皇帝シャダイルと皇太子ルクレシアが向かい合っていた。
「いよいよ明日、クロワ公国に出立するのだな」
「はい、父上。必ずや経済成長へのカギを握って帰りたいと存じます」
王族としての自覚の強いルクレシアは、シャダイルに頭を垂れて答えた。
「その緊張感は大切だが、あまり肩に力を入れるでない、ルクレシアよ」
シャダイルは息子に温かな瞳を落として、彼の肩をそっと触れた。ハッとしてルクレシアは顔を上げる。
「クロワ公国の女王ロナマリア殿は、我が国と国交の歴史が長い事もあって、とても友好的だ。遊学する気持ちでいってくるとよい」
「はい、行ってまいります」
ルクレシアは笑みを浮かべて、それに答えた。彼は心から皇帝シャダイルを尊敬している。その父の期待を裏切る訳にはいかないと、改めて心の中で気を引き締めた。
そして翌日の早朝、ルクレシアはクロワ公国目指して旅立った。
クロワ公国への道は、途中別の国をまたいでの道のりではあるが、商人の行き交う街道が整備されているお陰か順調に北を目指すことができた。
長旅を経て、ようやくクロワ公国の首都スレイモールに到着したルクレシア一行は、キュリオ宮殿へ真っ直ぐ向かう。
「人が多く行き交うようだな」
街の奥へと進む馬車の中から、ルクレシアがチラリと外の様子を見て驚いた。
地方の街はそれほどでもなかったが、スレイモールに入った途端、周囲の様子は一変した。馬車道と歩道が分けて整備され、通り沿いの商店が集まっている大通りにには大勢の人で賑わい、活気が溢れている。
一方では巡礼者と一目でわかる白い衣をまとった人たちが、大聖堂を出入りしている様子は圧巻だった。
「これが、聖泉堂の大聖堂…」
馬車の中から外の様子を伺うルクレシアの瞳は大きく見開かれた。馬車が大聖堂の前を横切っていく途中で、花束を手にする子供たちの集団が目に留まった。
「あれは…?」
ルクレシアが不思議そうに呟くと、同乗している従者がそれに答えた。
「おそらく神学校の生徒たちでしょう。もうすぐ水の女神のお祭りがあるらしいので、その捧げものの一つではないかと」
「なるほど。聖泉堂では、確か公立の神学校があったのだな」
「はい、シュリア校と呼ばれ、入学も難しいと話題の学校でございます」
「ふむ…」
さすが国教である聖泉堂だ。多くの巡礼者が行き交う大聖堂だけでなく、神の教えを教育する機関も充実している。アクトス帝国にも神殿はあるが、人の気配は殆ど無く維持費だけがかさむという悪循環が存在した。
「これほど信者が集まると、自然と布施も増えて神殿の管理も行き届くのであろうな…」
規模の違いに圧倒されて、ルクレシアは考え込んだ。宗派の違いはあれど、これほどまでに同じサリア教に対する信者の違いとは何なのか、分からない。
ルクレシアが考え込んでいるうちに、馬車は宮殿の正門を通過して、迎賓館前に到着したのだった。
次回は10月4日予定です。お楽しみに。




