入学
エルトダリスはユギに優しく起こされ、朝を迎えた。
神学校の寮の部屋は基本同年代の生徒が二人で共同生活になるが、エルトダリスの場合は警備上の問題もあって、3階奥の一人部屋で、その隣にユギの一人部屋が並んでいた。ユギの部屋とエルトダリスの部屋は、中から行き来できる扉があった。
ユギは手際よくエルトダリスの着替えを手伝う。エルトダリスは真新しい制服の袖に腕を通し、頭髪を整えて、鏡から離れた。
「これをお忘れですよ」
そう言ってユギが重厚な箱を開き、中から白銀の短剣を取り出した。
「ありがとう、ユギさん」
エルトダリスは慣れた手つきで剣を腰に下げる。宮殿で暮らしていた時から、いつも腰に下げてる聖剣である。
「宮殿では近衛兵が剣の指導をしてくれたんだけど、学校では誰が師匠になるのかな…?」
エルトダリスがふと考え込む。
「さあ…誰なんでしょうか」
ユギも知らないらしく、小首を傾げた。
元々神学校に武術を教える学科は存在しない。聖騎士であっても騎士の専門学校に入ることになるため、エルダリスだけの特別教科になっている。
「まずは食堂へ行きましょう」
ユギに案内され、エルトダリスは初めての学食を体験することになった。
広い食堂には、学生だけでなく職員や教師も利用する。献立はあらかじめ決められているが、日替わりメニューで好みの量を注文できる仕組みになっている。席も特別の決まりはなく、空いている席を自由に利用できる。
朝から食堂に大勢の生徒たちが、トレイを持って料理を盛り付けてくれるカウンターに並んでいる。カウンターの中の料理人や給仕たちは、差し出されたトレイに次々と注文通りの朝食の入った食器を載せていく。
その流れるような速さに感心しながら、ユギの後に続いてエルトダリスもカウンター前の列に並んだ。
「量は普通で良いかい?」
しばらくしてエルトダリスにも順番が巡ってくると、コックが尋ねてきた。
「えぇと…スープとメイン料理は普通で、パンは一個でお願いします」
「はいよっ!」
威勢の良い返事を返したコックは、注文どうりトレイに普通の量のスープやメインの卵料理を乗せ、焼き立てのパンを1個素早く乗せた。
「ありがとう」
エルトダリスはパンの香りに思わず微笑むと、トレイを大事そうに抱えて、先に席で待っているユギのもとへ歩いて行った。
「おぅ、来たな。おはよう」
ユギのいたテーブルの正面の席に、何故か校長のビルヘルムが座っていた。エルトダリスは驚きながらも、ユギの隣の席にトレイを置いて着席した。
「おはようございます、校長先生」
「何だ、二人とも。朝飯なのに少なくないか?」
ビルヘルムがエルトダリスとユギの朝食を見て話しかける。
「校長先生の方が多すぎませんか…」
ユギが苦笑を浮かべてビルヘルムの前の朝食を見つめる。
山盛りの料理に、器からこぼれそうなスープにパンの山が乗っていた。これは教師陣でも見られない量だ。
「そうか?このくらい普通だぞ」
ビルヘルムは笑って答える。エルトダリスとユギは思わず顔を見合わせた。
構わずビルヘルムは両手を胸の前で合わせると目を閉じて、祈りを始める。
「神界におわす水の女神よ。聖泉堂の主よ。朝の糧の恵みに感謝します」
エルトダリスとユギも慌てて同じように両手を合わせ、食前の祈りを捧げた。
「いただきます」
三人は一緒に食事を始めたのだった。
しばらくしてエルトダリスは周囲を見渡した。何故かふと視線を感じたからだ。
気配はあちらこちらから感じる。目立ちやすいビルヘルムとテーブルを一緒に食事をしているからなのだろう。
わずかに緊張したエルトダリスだったが、傍のユギと目が合うと緊張がほぐれるのを感じた。
「どうかしたの?」
落ち着かない様子のエルトダリスに、ユギが問いかけた。
「ううん、何でもないよ」
エルトダリスは微笑み返した。
今まではキュリオ宮殿でくらし、家族そろって一緒に食事ができる環境ではなかった。両親共に公務で忙しく、皆すれ違いの生活を送っているのが普通だった。エルトダリスはいつも食堂で侍従の用意してくれる食事を1人で食べるのが普段の生活だったのだ。
「ごちそうさま」
と、言うなりビルヘルムが席から立ち上がる。
「えっ、もう食べたの?」
エルトダリスがスプーンを片手に顔を上げた。ユギもパンをちぎりながらビルヘルムを見上げる。
ビルヘルムはすっかり平らげた空の食器の乗ったトレイを両手に持ち上げると、前の二人に話しかけた。
「先に失礼するよ。お前たちはゆっくり食べていろ」
そう言って、ビルヘルムはテーブルから離れていく。
エルトダリスとユギは苦笑を浮かべて見つめあった。
「校長先生、凄いね…」
「うん、私も驚きました」
ビルヘルムの豪快さが垣間見えて、二人は呆気にとられたのだった。
朝食を終えたエルトダリスたちはその後、初等級の教室へと向かった。初等級の校舎では小さな子供たちが急いで教室へと入っていく。
教室の前まで到着し、ユギはエルトダリスに話しかけた。
「放課後には剣術を教えてくださる先生が、修練場へ案内されますので、そのまま教室でしばしお待ちください」
「分かりました。案内ありがとう」
「それでは私はこれで」
ユギはペコリとお辞儀をすると、自分の教室へと向かって歩き出した。
エルトダリスも教室の中に入っていく。生徒の席は十人掛けで、五段の階段になっている。席には席順が分かるように名前の札が置いてあった。
エルトダリスの席は1番前の真ん中の席だった。肩にかけていたカバンから筆記具を取り出し机の上に置き、カバンは脇のかばんかけに引っかけた。
次々と生徒たちが席に着く。しばらくして全員が着席し、そして担任の先生が姿を現した。教師だが、本職は神官である。
「生徒諸君、入学おめでとう。私は君たちの教室を受け持つ担任のトラスです。1年間宜しく」
トラスはにこやかに生徒へ話しかける。生徒たちは緊張した様子で様々に反応していた。嬉しそうに向き合う者もいれば、不安げに俯く子もいた。トラスは生徒たちの様子を見渡し、性格を見ているようだった。
エルトダリスとトラスの目が合う。エルトダリスは落ち着いた様子で座っていた。先生というよりも、神官の彼に興味を覚えるエルトダリスである。トラスが何を教えてくれるのか、楽しみだった。
トラスもエルトダリスの出自を知っているが、一般の生徒同様特別扱いするつもりはない。彼は今後のエルトダリスの成長を見守るつもりだ。
「1限目は、神学です。今日から神について深く学びましょう」
トラスが黒板に『名前』と大きく文字を書く。そして生徒たちに話しかけた。
「聖泉堂はサリア教の宗派のひとつです。神々の頂点におわすのが光のサリア神ですが、聖泉堂が主に崇めるのは、神々の中でも水の女神です。何故なら聖泉堂は水の女神が降臨する王家の泉から発祥した宗派だからです」
思わずエルトダリスは深く頷いていた。彼は実際、女神と聖なる泉で度々会っている。
「水の女神以外にも、炎の神、調和の神、風の神、大地の神、戦の神など、神々は沢山いらっしゃいます。その神々にはそれぞれお名前があるのですが、神々のもつ力が強力なため真名、つまり本当の名前をお呼びするのは憚られる行為なのです」
トラスは生徒たちを見渡しながら言葉を続けた。
「たとえ神の名前を知っていても、気安く名前を呼んではなりませんよ。お力を示す名称だけでお呼びするのです」
すると、エルトダリスの左隣りの席にいた少女が片手を高く掲げた。
「先生、質問です」
窓から差し込む日差しを帯びたような、黄色く透ける長い髪が印象的なその少女は物怖じする様子もなく、まっすぐな青い瞳をトラスに向けている。
「どうぞ、アマルダさん」
トラスは頷いて、アマルダというその少女に注目した。
アマルダはその場から立ち上がると、再び口を開いた。
「真名を呼ばないのは、言葉に神威が宿るからでしょうか」
エルトダリスは隣のアマルダの横顔を思わず見上げる。その力強い瞳がキラキラしていた。まだ4歳というのに、神威などと難しい単語を使うあたり、既に自宅で神官を目指した英才教育を受けていたのだろう。シュリア校の生徒では、それは珍しい事ではない。シュリア校は神学校の中でも特にレベルが高いことで知られているからだ。
「その通りです、アマルダさん。真名を口にするのは、その神と繋がる行為になります。それほど言葉とは軽々しく口にしてはいけないのですよ」
トラスはアマルダを着席させると、言葉を続けた。
「言葉は、呪文に繋がります。ですから、普段何気なく喋る会話ですらおろそかにできない大切な行為なのです。神官なら、なおのこと言葉遣いに気を付けなくてはなりません。たとえ不平不満があったとしても、軽々しく口にしないように。神々の耳は、我々人間の言葉を拾ってらっしゃるのですから」
エルトダリスも宮殿にいた時、母のロナマリアからこの話は聞いていて、既に知っていた。それ故、水の女神の真名がリィーンであることを知っていても、聖なる泉で女神と会話する時以外、真名を口にすることは無かったのである。
次回は9月13日の予定です。お楽しみに。




