神学校シュリア校
宮殿のとある一室に、ソファーに向かい合って腰を下ろしている男が2人。
1人は王配であるブランシュ公、もう1人は聖泉堂の大神官の長であるビルヘルムである。
「なかなか戻りませんね…」
ブランシュ公が腕組みして呟く。
儀式が終わればこの部屋に女王が帰ってくるはずなのだが、予想を反して神託が長引いているのか、それとも着替えを整えるのに時間がかかっているのか3時間が過ぎようとしているが、いまだ戻ってくる気配はない。
「男児の面会の儀式なので、さほど時間がかかるとは思えないのですがね…」
神官長のビルヘルムも首を傾げてそれに答えた。と、その時、部屋の扉がノックされた。
「入れ」
短くブランシュ公が答えると、侍従長が部屋に入ってきて深々とお辞儀をし、ひとこと伝えた。
「女王陛下がお戻りになられました」
ブランシュ公とビルヘルムは顔を見合わせ微笑みあった。儀式は無事終えたらしい。
ややして着替えを済ませたロナマリアが侍女2人を従えて部屋に戻ってきた。侍女の1人は眠っている王子を抱き、もう1人は重そうな木の箱を両手に持っていた。
「待っていたよマリア」
ブランシュ公はロナマリアに歩み寄ると、ねぎらいの軽い抱擁をした。
「儀式が終わりました」
ロナマリアは微笑みながらブランシュ公に答える。
「長かったんだね、儀式は」
横からビルヘルムが話しかけた。ロナマリアは振り向くと、頷きながら彼に答える。
「女神の信託は凄い内容です。聞いてくださいますか」
「無論そのつもりだよ」
ビルヘルムはニッと笑みを零した。
ロナマリアはブランシュ公と並んでソファーに腰を下ろすと、向かい合わせのビルヘルムも同時にソファーに着席する。
ロナマリアが2人に語ったのは異例の信託だった。水の女神からの祝福の事は約束通り伏せながらも、王子は神官としての厳しい運命であるということと、男児でありながら聖なる泉に早朝に限り、いつでも禊ぎに来て良いという許可が降りたのだ。
更に神官として精神を鍛えるためと護身のために剣術を習うことも求められたというのだ。
「女神から贈り物がありました」
ロナマリアは壁際に控えていた1人の侍女に目配せすると、箱を持っていた侍女が進み出て、テーブルの上に箱を置き、一礼してその場から離れた。
ロナマリアは置かれた箱に手を伸ばし、蓋を開いた。中には銀色の短剣が収められている。
「この剣は女神が王子のために下賜された聖剣です」
ブランシュ公とビルヘルムは箱の中を覗き込んだ。銀色の剣が光を反射させて輝きを放っている。
「触っても?」
ブランシュ公がロナマリアに問いかける。
「構いません」
ロナマリアは微笑む。緊張しながらブランシュ公が剣を箱から取り出した。
幾何学模様が刻まれた美しい短剣を、ブランシュ公はじっくり見まわし、そして剣を鞘から抜いてみる。が、何故か剣は全く鞘から抜けなかった。
「固いぞ…抜けないなんて、どうして…」
不思議そうにブランシュ公は首を傾げる。
「私にも見せていただけますか?」
ビルヘルムが言うと、ブランシュ公は彼に剣を手渡した。ビルヘルムも剣を一通り見てから引き抜いてみたが、鞘から抜かれることは無かった。
「これは女神のプロテクターがかけられてますね」
ビルヘルムは笑みを浮かべて箱に戻した。彼には聖剣から発する微細な波動が読み取れていたのだ。
「神官長ならお分かりになりますのね」
ロナマリアが更に言葉を続けた。
「この聖剣は王子の成長と共に姿を変えていくそうです。そして普段から帯刀しておくようにとも申されました。神殿内や宮殿でもそのまま持ち歩くようにと…」
「凄い事だ…聖剣とはいえ、女神が未来の神官に帯刀を許すなんて…」
ビルヘルムが腕組みしながら考え込んだ。
神官は儀式に使用する場合しか神殿に刃物を持ち込むことは無い。平和と繁栄を願い、神に祈りを捧げるのが日課であるため争い事とは無縁で、武力は神殿を守る聖騎士の役目であった。
(…まさかと思うが、何れか脅威が訪れるのかも知れないな…)
ビルヘルムは未来を案じて目を伏せた。
それから何事もなくおだやかに時は流れ、エルトダリスが2歳になると、王家待望の王女フォルティナが誕生した。
そしてエルトダリスは4歳になると、生まれ育ったキュリオ宮殿から、公立神学校『シュリア校』の学生寮に入ることになった。
シュリア校は男女共学の神学校で、一部の学生は学生寮から通えるシステムになっている。夏の長期休みを境に学年度が切り替わり新学期が始まる。入学年齢は4歳からで、試験はないが入学前に厳しい身辺審査があり、学園長の許可が下りないと入学できない。
身分は問わないが、何かしら事情がある貴族や他国の王族に縁のある者が入学する場合もある。
入学を許されたものは還俗の身分から切り離され、聖泉堂の教えに準じた身分制に従わなくてはならない。
入学したての幼い4歳から6歳の子供たちは『初等級』と呼ばれ、身の回りの面倒を見る先輩学生が就く。日常の学校生活の基本をそこで教えられ、神官になる心構えを整えなくてはならない。
7歳から15歳までは『中等級』と呼ばれ、神官見習いとして神殿の末席に在籍を許可される。そこから一般教育と神官としての本格的な基礎知識を学び始める。
16歳から18歳は『高等級』と呼ばれ、神官見習いとして実質的に神官の仕事を学ぶ機会が訪れる。成績の良い者は高位の神官の側仕えに就き、近くで神官の仕事の手伝いが許されるのだ。
見習い中に功績が認められると、出世の道が開かれることも珍しくなく、多くの神官の推薦を受ければ晴れて正規の神官になる事もあり得る。
だが、見習い期間が終わり19歳になると、神殿から出なくてはならない。神官になれなかった者たちは、元の家に戻るか、就職先へと移らねばならない決まりがあった。
それ故か、シュリア校の用務員や学食の給仕係に至るまで、学校の卒業者が大半を占めていたりする。
王都の下町の中心に位置する神学校の校長室に連れて来られたエルトダリスは、そこで初めて校長である神官長ビルヘルムと対面した。
「シュリア校へようこそ、エルトダリス」
「これからお世話になります、校長先生」
エルトダリスは王宮で教えられたとおりに、お辞儀をした。
ビルヘルムは微笑ましい新入生に笑顔で答えた。
「ここに来たからには、もう王子ではない。これからは神官見習いとして神に仕えるのだ。覚えなくてはならない事が沢山あるから、心しておきなさい」
「はい、よろしくお願いします」
緊張しながらエルトダリスは返事をした。
「それと…君の世話役の付き人を紹介しておこう」
部屋の隅に立っていた1人の少年が、エルトダリスの前に進み出ると、深くお辞儀をした。
ビルヘルムが言葉を続ける。
「彼の名前はユギ。君より9歳年上の先輩だよ」
エルトダリスより頭2個分背が高く、細身の少年だった。穏やかな笑みを浮かべてエルトダリスに話しかけた。
「ユギと申します。これから身の回りのお世話をさせていただきますので、どうぞ宜しく」
「エルトダリスです。気軽にエルトと呼んでください」
エルトダリスは微笑んだ。
こうしてエルトダリスの神官としての第一歩が始まった。
次回は9月6日です。お楽しみに。




