~数年後~
~数年後~
月日は流れた。
と、いう言葉を使うと一瞬で成長できるのだから、物語というものは便利だ。俺の体感では普通に数年かかっている。赤ん坊から幼児になるまで、毎日地味に長かった。ハイハイから歩行、歩行から会話、会話から教育。異世界転生ものなら一話で終わるところを、俺は普通に数年かけた。やってられるか。
ただ、悪いことばかりではなかった。
俺はジャンとして、この世界で育った。
キャサ姫は相変わらず過保護だったが、セスタの抑圧と俺の泣き落としによって、なんとか国を滅ぼすほどの愛は抑えられていた。レギラは相変わらず真顔で俺の教育係をし、ビギンは相変わらず口が悪く、ジェスタは相変わらず何をしても褒めた。
ベチュ族との交流も始まった。
デベチュギラスープは製法が見直され、毒素を抜く調理法がビギンによって開発された。ビギンは「俺がベチュ族の食文化を救った料理人だ」と偉そうにしていたが、その後で普通に焦がしていたので、レギラに怒られていた。
セスタは、たびたびチョンの小屋を訪れた。
彼女はチョンの手記を整理し、正式な記録として残した。そこにはチョンが犯したことも、チョンが辿り着いた真実も、全部書かれていた。美談にはしなかった。悪人にも、英雄にも、しなかった。
チョンはチョンだった。
俺はそれでいいと思った。
そして、俺は教会の審査を受ける日を迎えた。
大きな聖堂だった。白い石でできた壁に、光が差し込んでいる。いかにもスキル判定をやりますという感じで、俺は少しテンションが上がっていた。転生して何年も経って、ようやくスキル判定である。遅い。遅すぎる。読者がいたらブラウザバックしている。
「ジャン、緊張してる?」
キャサ姫が俺の手を握った。
「してないよ」
嘘だった。
めちゃくちゃしていた。
もしスキルがなかったらどうしよう。いや、スキルがなくてもいいと思っていたはずだ。俺はスキルで無双するために生きているわけじゃない。そう思っていた。思っていたが、いざ判定となると欲が出る。人間とは浅ましい。
祭壇の前で、神官が水晶のようなものを俺の前に置いた。
「手を」
俺は手を置いた。
水晶が光る。
周囲がざわめいた。
神官の顔が変わる。
キャサ姫の手が震える。
レギラが小さく息を呑む。
「これは…… 」
神官は言った。
「転生、です」
聖堂が静まり返った。
俺は、何も言えなかった。
父親のスキルを受け継いでいた。
亡き国王の転生スキル。
あれだけの悲劇を生んだ力が、俺の中にあった。
嫌だと思った。
同時に、少しだけ納得もした。
俺がここにいる理由。記憶を持ったまま生まれた理由。偶然と神話とスキルがぐちゃぐちゃに絡まり合
って、俺という人間を作っていた。
「ジャン…… 」
キャサ姫が俺を抱きしめた。
「大丈夫。あなたは、あの人とは違う」
それを言われた瞬間、俺はやっと怖かったのだと気づいた。
自分も国王みたいになるのではないか。
やり直せる力を持っているからこそ、今を軽く見る人間になるのではないか。
でも、キャサ姫は俺を抱きしめた。
俺は違うと、母が言ってくれた。
それだけで、少し救われた。
その数日後、俺は正式に王子として発表されることになった。
正確には、ずっと王子ではあったのだが、スキルの判明によって継承権が確定したらしい。政治的なあれこれで、俺は今後この国を背負うことになるらしい。重い。まだ俺は数歳である。現世年齢を足すと二十歳越えてるけど、それはそれ。これはこれ。
発表の前日、キャサ姫が俺に言った。
「ジャン、会わせたい人がいるの」
「誰?」
「女神様」
出た。
やっと出た。
転生もの定番の女神様が、今さら出た。遅い。最初に出てこい。スライムに食われる前に出てこい。ベチュ族になる前に説明しろ。お前の仕事どうなってるんだ。労基に訴えるぞ。
とは言えなかった。
キャサ姫は真剣だった。
森の中腹まで馬車で向かい、キャサ姫は俺の手を握って魔法陣を開いた。地面が抜けるような感覚。体が光に落ちる。
気づけば、白い世界にいた。
レッドカーペット。
高い椅子。
そこに座る女神。
「久しいな、キャサ姫。そして、初めましてだな、ジャン」
その声は、低く、世界を支配するようだった。
俺は思った。
怖い。
もっとふわふわした女神を想像していた。ドジで、胸が大きくて、うっかり俺を殺しちゃいましたてへぺろ的な女神を想像していた。いや、そういうのもどうかと思うが、少なくともこの女神は違う。
「あなたが、女神様…… 」
「そうだ。お前にとっては、説明不足の管理者といったところか」
「自覚あるんですね」
つい言ってしまった。
キャサ姫が俺の口を塞ごうとしたが、女神は笑った。
「ある。だが、私は神ではない。全てを管理しているわけではない。私は生まれる者に力を与える。死んだ者の全てを救うことはできない」
「じゃあ、俺は何なんですか」
聞きたかった。
ずっと。
「俺は死んだんですか。転生したんですか。現世の俺は、もういないんですか」
女神は、少しだけ目を伏せた。
「お前が望むのなら、現世に転生することができる」
息が止まった。
キャサ姫の手が、俺の手を強く握った。
「現世のあなたは今、一命をとりとめ、寝たきりになっている。母親がこの数年、毎日語り掛けている」
音が消えた。
母さん。
現世の母さん。
俺が電車に轢かれて、数年。
毎日、語りかけている。
俺は、立っていられなかった。膝から崩れ落ちる。キャサ姫が支えてくれる。
「母さん…… 生きてるんですか」
「生きている。お前も、生きている」
「じゃあ、俺は…… 」
「選べる」
女神は言った。
「この世界でジャンとして生きるか。現世に戻り、名も、体も、元のものに帰るか」
そんなの。
そんなの、ずるい。
選べるなんて、残酷だ。
選べなければ諦められた。現世の俺は死んだのだと思えば、ここで生きるしかなかった。ジャンとして、キャサ姫の息子として、ベチュの母に生存を知らせた命として、生きるしかなかった。
でも、母さんが待っている。
数年、毎日。
俺みたいな、友達もいなくて、努力もできなくて、転生ものに逃げていた息子に、毎日語りかけている。
帰りたい。
その思いが、胸の底から湧いてきた。
けれど、キャサ姫の手が震えていた。
俺は、キャサ姫を見た。
彼女は笑おうとしていた。笑えていなかった。
「ジャン」
「母さん…… 」
初めて、自然にそう呼んだ気がした。
キャサ姫は、涙を流した。
「帰りたいのね」
俺は何も言えなかった。
言えば、キャサ姫を傷つける。
でも、言わなくても傷つける。
「いいの」
キャサ姫は俺を抱きしめた。
「あなたは、私のために生まれたんじゃない。あなたは、あなたの人生を選んでいいの」
そんな綺麗なことを言わないでほしかった。
駄目だと言ってくれたら、俺はここに残れたかもしれない。行かないでと泣いてくれたら、俺は迷えたかもしれない。
でも、母親はそういうことを言うのだ。
自分がどれだけ苦しくても、子どもを行かせようとする。
女神が言った。
「ただし、異世界での生活の記憶は持っていけない」
俺は顔を上げた。
「え?」
「この世界で得た記憶を現世へ持ち込むことはできない。世界の理が違う。持っていけるのは、魂の形だ
けだ」
「じゃあ、キャサ姫のことも、レギラのことも、セスタのことも、チョンのことも、ベチュの母さんのことも…… 」
「忘れる」
女神は容赦なく言った。
忘れる。
それは死ぬことと何が違うのだろう。
ここで生きた俺は、消えるのか。
ジャンは、いなくなるのか。
「嫌だ…… 」
俺は呟いた。
「忘れたくない…… 」
キャサ姫が泣いていた。
レギラも、セスタも、ビギンも、ジェスタも、後から女神の空間に呼ばれた。全員が、俺の選択を聞いた。
ジェスタは最初から最後まで泣いていた。
「坊ちゃまが…… 坊ちゃまが…… 」
「泣きすぎだよジェスタ」
「だって坊ちゃまなのですぞ!」
意味が分からない。けれど、ありがたかった。
ビギンは腕を組んで、そっぽを向いた。
「ま、現世ってところに帰っても飯は食えよ。寝たきりだったなら、胃に優しいもんからだ。いきなり肉食うなよ」
「現実的だな」
「料理人だからな」
レギラは、いつもの真顔だった。
「ジャン様。あなたの選択を尊重します」
「レギラ…… 」
「ただし、忘れたとしても、掃除はできる人間になってください」
「最後に言うことそれ?」
「重要です。部屋が汚い人間は、思考も散らかります」
ああ、レギラだ。
セスタは、俺の前にしゃがんだ。
「チョンのこと、忘れるんだな」
その言葉が、一番刺さった。
「…… ごめん」
「謝るなよ。チョンだって、たぶん怒るぞ。いや、怒るかな。あいつ面倒だからな」
セスタは笑った。
笑って、泣いた。
「でも、どこかで覚えてなくてもいいからさ。誰かに優しくされたら、ちゃんと受け取れよ。チョンはそ
れが下手だったから」
「うん」
「あと、友達作れよ」
「急に現世の課題を刺すな」
「大事だろ」
大事だった。
俺は、キャサ姫を見た。
キャサ姫は俺を抱きしめた。
「ジャン。あなたを産めてよかった」
「俺も…… 」
言葉が詰まる。
「俺も、あなたの子どもでよかった」
キャサ姫は、声を殺して泣いた。
ベチュの母さんも呼ばれた。女神の空間でベチュ族がいるのは絵面がすごかったが、もうそんなことはどうでもよかった。
「キュルキュル」
ベチュの母さんは言った。
元気で。
ただ、それだけだった。
俺は頷いた。
「ありがとう。母さん」
伝わったのかどうか分からない。
でも、母さんは触手で俺の頭を撫でた。
女神が立ち上がる。
「選択は決まったか」
俺は、泣きながら頷いた。
「帰ります」
キャサ姫の手が、ゆっくり離れた。
離れたくなかった。
でも、離れた。
光が俺を包んでいく。
体が軽くなる。ジャンとしての体が、ほどけていく。キャサ姫の顔が遠くなる。レギラの真顔が滲む。セスタが手を振っている。ビギンが泣いているのを隠している。ジェスタはもう崩壊している。ベチュの母さんの触手が、最後まで俺に伸びている。
忘れたくない。
忘れたくない。
忘れたくない。
でも、帰りたい。
母さんが待っている。
俺は最後に、声を振り絞った。
「ありがとう」
その言葉が届いたのか分からないまま、世界は白く消えた。
キャサ姫は女神に尋ねた。
「死んでいないのに、どうしてこの世界に来たのでしょう?」
女神は何とも言えない顔になった。
「ミスだ。てっきり死んだと思った」




