第2話 目覚め
prrrrrrrrr!
夢を見ていた。
どんな夢だったのかは、もう覚えていない。
けれど、ひどく懐かしいものを見ていた気がした。
prrrrrrrrr!
携帯から鳴り続ける電子音に、机に突っ伏していた太陽は顔を上げないまま手を伸ばした。
何度か空を掴んだ末、ようやく携帯に指が触れる。
毎朝七時に設定しているアラームを切ったつもりで、太陽はそのまま再び目を閉じた。
prrrrrrrrr!
「…………」
遮光カーテンの隙間からわずかな朝日が差し込む薄暗い部屋に、二度目の電子音が響く。
どうやら、スヌーズを押していたらしい。
しかも、なぜか一分後に鳴る設定にしていたようだ。
太陽はもう一度、瞼を閉じた。
無視すれば、そのうち止まる。
そう思って、夢の残り香に沈み込もうとした瞬間。
prrrrrrrrr!
「――うっがぁあああああ! うるせぇええええ!」
お前が一番うるさい、と誰かに言われそうな怒声を上げ、太陽は携帯を引っ掴んだ。
今度こそアラームを完全に切る。
うるさいと眠れない性分のせいで、眠気は綺麗に吹き飛んでいた。
首をパキパキ鳴らし、悪い体勢で固まった身体をほぐす。
「最悪の目覚めだぜ、まったく……。んで、俺、何してたんだ?」
寝ていた。それは分かっている。
太陽が知りたいのは、どうして机で寝落ちしていたのかだった。
「俺はたしか、昨日、信也から動画サイトのURLを送られて……」
口に出しながら、少しずつ記憶を掘り起こす。
「そうだ。最近、うちの学校に軽音部ができて、そこのバンドが動画を上げてるとかで……一回見てみろって言われたんだ」
太陽は机の上に置かれたノートパソコンを見る。
長時間放置されていたせいで、画面は暗くなっていた。
適当なキーを押すと、スリープが解除される。
表示されたのは、寝落ちする前に見ていた動画サイトだった。
「……まさか、あいつらがこんなことしてたとはな」
画面中央のリピートアイコンをクリックする。
再生された動画に映っているのは、五人の女子高生。
制服は、太陽が通う高校ものだと直ぐに分かった。
というよりも、そのうち二人を、太陽はよく知っていた。
他の三人とは面識はない。
スカーフの色で学年が判別できるため、一人は同学年、残りの二人は上級生だと分かった。
最近できた軽音部のバンド。
名前は『victoria』。
信也の話では、結成してまだ一ヵ月ほどらしい。
「この程度でよく動画なんか上げようと思ったよな。千絵ならともかく、あいつはは止めそうなもんだけど」
動画の中で、ドラム担当の上級生がカウントを取る。
『ワン、ツー、スリー!』
演奏が始まる。
キーボード、ドラム、ベースはまだ聞ける。
けれど、ギターは明らかに拙かった。
音楽に詳しくない太陽でも分かる。
音は外れる。
テンポもずれる。
指が迷っているのが、画面越しでも伝わってくる。
正直、上手いとは言えない。
「ほんと、もう少し上達してから上げればいいのによ」
太陽は肩を竦める。
「千絵は飽き性だし、こんだけ酷評されたらすぐ辞めるかもな」
けらけらと笑う。
けれど、その笑い声はすぐに途切れた。
「……馬鹿らし」
太陽はパソコンをシャットダウンし、椅子の背もたれに身体を預ける。
「今更、あいつらのことなんてどうでもいいんだけどな」
天井を仰ぎながら、ふと先ほどの夢を思い返す。
「……俺、どんな夢見てたんだ?」
内容は思い出せない。
楽しい夢も、悲しい夢も、目を覚ました瞬間に指の隙間から零れるように消えていくことがある。
今朝の夢も、そうだった。
けれど、胸のあたりがぽかぽかする。
少なくとも、悪い夢ではなかった。
「……思い出せねぇもんを無理に思い出しても仕方ねえか。腹減ったし、飯食お」
うーん、と背筋を伸ばして、太陽は部屋を出た。
太陽の家は、二階建ての一軒家。
これといって特徴のない、ごく普通の家。
欠伸を噛み殺しながら階段を降り、リビングへ向かう。
太陽を出迎えたのは、朝食の香ばしい匂いと、キッチンに立つ母親だった。
「あっ、太陽。起きたのね。おはよう。朝食、今作ってるから、座って待ってなさい」
「はいよ」
気怠げに返事をして、太陽は椅子に座る。
対面では父親が新聞を広げていた。
太陽が席につくと、父は新聞を折り畳み、顔を上げる。
「おはよう、太陽」
「おはよう、父さん」
最低限の挨拶を返し、太陽はテーブルに肘をついた。
視線は朝のニュースが流れるテレビに向く。
父はすでに朝食を食べ終えているが、出社する気配はなかった。
「なあ、太陽。ちょっといいか?」
「ん。なに? 星座占い見てるから手短に頼むよ」
「お前……父に対してその態度はどうかと思うぞ……?」
父は苦笑し、それから少しだけ表情を改めた。
「今日さ。お父さんとお母さん、隣の人と食事をすることになったんだ。で、お前も一緒にどうかと思ってるんだが……来るか?」
「断る」
「即答!?」
間髪入れずの返答に父は涙目になる。
太陽は横目でそれを確認し、溜息を吐いた。
別に父が嫌いなわけではない。
ただ、こういう回りくどい誘いに、うんざりしているだけだ。
食事。
買い物。
旅行。
一年以上前から、両親から誘われるようになった。
太陽が傷つかないようにするためなのか。
本当は苗字も名前も分かっている相手を、わざと「隣の人」と濁す。
その気遣いが、今は少しだけしんどかった。
「父さんさ。そういう気遣いって、逆に息子との距離を広げることもあるから、あんまりしない方がいいよ。息子からのアドバイスな」
ちょうどその時、朝食が運ばれてくる。
太陽は「いただきます」と手を合わせ、食べ始めた。
父は困ったように笑う。
「はは……息子から息子の扱い方をアドバイスされる親って……。分かった。ごめんな、変に気を使わせて」
「俺のことは別にいいから、母さんと楽しんで来てよ」
慣れているのか、太陽はそれ以上気にする素振りも見せず、朝食を平らげた。
「ごちそうさま。んじゃ、俺、もう登校するから」
「え? まだ早いんじゃないかしら?」
「今日は日直なんだよ」
母の疑問に手短に答え、太陽はリビングを後にした。
学校の準備はまだ終わっていない。
一旦自分の部屋に戻ろうと階段に足をかけた時、リビングから両親の声が聞こえてきた。
「やっぱり、あの子たちの仲は戻らないのかしら……」
「仕方ないよ、母さん。男女の恋愛ってのはそういうものだ。振られた相手と普通に接するのは、それだけで精神的にきつい。しかも相手が幼馴染なら尚更だよ。積み上げてきたものが多い分、崩れた時の反動も大きい」
太陽は階段の陰で、足を止めた。
「あら? その言い方、体験談かしら?」
「……そうだよ。この失恋回数九十四回の大ベテランが言うんだから、間違いない!」
「それを堂々と言えるあなたには、素直に感心するわ。ほんと、こんな人に惚れて結婚した私は負け組ね」
「ひどくない!?」
父の情けない声が聞こえる。
「……話を戻すけど。やっぱり、あの子たちの問題に、親である俺たちが介入するべきじゃない。あの子たち自身が解決しないといけないことだと、俺は思うよ」
「……そうね。けど、あなたはいいの? お隣の旦那さん、学生の頃からの親友なんでしょう? このままだと、その人との関係まで悪くなるかもしれないわよ」
「確かに、あいつとは学生時代からの腐れ縁だ。でも、最低かもしれないけど、俺は子供たちの結果であいつとの仲が険悪になっても後悔はしないよ。自分たちの関係を守るために、息子に辛い思いをさせるべきじゃないからな」
「優しいのね……。分かったわ。あなたがそう言うなら、私もあの子の行く末を見守るだけにする。せめて、昔みたいに笑顔で一緒にいられる関係に戻ってくれるといいわね……」
そこまで聞いて、太陽は静かに息を吐いた。
「……ったく。せめて、俺が登校してからにしてほしいぜ」
小さく呟いた言葉は、誰にも届かない。
「ごめんな、父さん、母さん……」
自分の問題で、両親にまで気を遣わせている。
それは薄々分かっていた。
けれど、時間を戻すことはできない。
太陽は重くなった足を持ち上げ、いつもより長く感じる階段をゆっくりと上っていった。
私の別作品も是非読んでください。




