第1話 あの日の約束
それは、ひどく懐かしい夢だった。
顔も、名前も、はっきりとは思い出せない。
それでも、胸の奥だけが温かくなる、大切な思い出。
夕焼けに染まる公園に、二つの幼い影が伸びていた。
公園の中央にある砂場で、少年と少女が並んでしゃがみ込んでいる。
少年は、今日発売された漫画をベンチで読んでいた。
家まで我慢できず、ランドセルを横に置いてページをめくっていたところを、昔からそばにいた気がする少女に見つかったのだ。
そして今、なぜか砂の城を作らされている。
最初は渋々だった。
けれど、思ったよりも城壁がうまく固まらない。
「……くそ。なんでここだけ崩れるんだよ」
気づけば少年は、漫画のことなど忘れて砂を掻き集めていた。
そんな少年の隣で、先に城を完成させた少女は、退屈そうにあくびをした。
「ねえねえ、私の将来の夢、聞きたい?」
「いや、別に」
「ねえねえ。私の将来の夢、聞きたい?」
「俺、ちゃんと返事したよな? 聞こえてなかったわけじゃないよな?」
少年は砂を固める手を止めずに言う。
今は城の完成が先だった。
それに、少女の将来の夢を聞いたところで、たぶん「へえ」としか返せない。
適当に相槌を打つくらいなら、最初から聞かない方がいい。
少年はそう思っていた。
「むぅー。なんで聞きたくないの?」
「特に興味ないから」
「ねえねえ。私の将来の夢、聞きたい?」
「無限ループすんな! 分かったよ! 聞く! 聞けばいいんだろ!」
少年が降参すると、少女は満足そうに胸を張った。
「では、耳をかっぽじって聞いてください」
「はいはい」
コホン、と一回咳払いを入れた少女は明るい表情で言う。
「私の将来の夢はね――お嫁さんだよ!」
高らかに宣言した少女の声が、夕焼けの公園に響いた。
「…………」
少年は無言で砂を集めた。
「なんで何も言わないの!? 聞いてた? 今の聞いてたよね!?」
「あー、聞いてた聞いてた。お花屋さんになりたいんだろ。頑張れよ~」
「違うし! 最初の『お』と最後の『さん』しか合ってないし!」
少女が頬を膨らませる。
少年はようやく手を止め、呆れたように息を吐いた。
「だって、お嫁さんって夢なのか? もっとこう、ケーキ屋とか、アイドルとかあるだろ」
「子供なんだから、どんな夢を語ってもいいじゃん! 去年の作文で『僕の夢は大魔王』って書いた人に言われたくない!」
「それは言うな!」
黒歴史を掘り返され、少年の顔が一瞬で赤くなった。
去年の将来の夢の作文。
自信満々に発表した直後、教室中に笑われた苦い記憶が蘇る。
「俺のことはいいだろ! じゃあ聞くけど、お嫁さんって、どんなお嫁さんになりたいんだよ」
「うーん……」
少女は小さく首を傾げた。
「やっぱり、私のことをずっと好きでいてくれる人がいいな」
「ふーん」
「あとは、休みの日に一緒に買い物に行ってくれて、ご飯をおいしいって言ってくれて、子供ができたらいっぱい遊んでくれる人」
「要求多くないか?」
「あと、年収は五百万くらいほしいかも」
「……なんだろ、旦那さんが苦労するのが見えた」
少年は半眼で少女を見る。
少女は悪びれもせず、にこにこと笑っていた。
「でも、一番大事なのは、やっぱりお互いが好きでいることだよね」
その言葉に、少年は少しだけ真面目な顔になる。
「まあ、それはそうかもな。どっちかだけが好きでも、うまくいかなそうだし」
「でしょ?」
少女は嬉しそうに笑った。
「お互いが好きでいられて、毎日笑っていられる家が一番幸せだと思うんだ」
そう言って、少女は少年の方へ歩み寄る。
そして、砂のついた少年の手を、両手で包むように握った。
少女は、少しも照れずに笑った。
「そんな家庭を、私は」
夕焼けの光を背に、少女はまっすぐ少年を見た。
「――あなたと一緒に作りたい」
「…………は?」
少年の思考が止まった。
目を点にしたまま、口だけが小さく開く。
少し遅れて、顔が一気に熱くなった。
「え、いや、待て待て待て! なんでそうなるんだよ!? さっきから言ってた旦那さんって、俺のことか!?」
「うん。そうだよ」
「そうだよ、じゃねえよ! なんで俺がお前の旦那になることになってんだよ!」
少年が慌てる一方で、少女は不思議そうに首を傾げた。
「だって私、君のことが大好きだもん。それだけじゃ駄目?」
「駄目っていうか……」
少年は言葉に詰まった。
「……結婚とか、今言われてもよく分かんねえよ」
少年は、握られた手を見下ろしながら言った。
「俺たち、まだ子供だろ。もっと大きくなって、いろんなことを知って、それでも同じ気持ちだったら……その時に決めることなんじゃないのか」
少女の表情が少し曇る。
「じゃあ、私とは結婚したくないの?」
「そうじゃなくて」
「私のこと、嫌い?」
「嫌いなわけないだろ」
迷う余地なく即答だった。
「……本当に?」
少女は嬉しそうに潤んだ目で少年を見上げる。
その目を見た瞬間、少年の胸が少し痛んだ。
「でもさ、父さんが言ってたんだ。小さい頃の好きと、大人になってからの好きは違うこともあるって」
「君のお父さんが?」
「ああ。父さんも小さい頃、幼馴染の女の子と結婚の約束をしたらしいんだけどさ」
「うん」
「大人になってから、『あれは友達としての好きだったみたい』って言われて振られたらしい」
「やめて。もう君のお父さんに笑顔で挨拶できなくなる」
「ちなみに父さんの失恋回数は九十四回らしい」
「もっとやめて! 重いよ! お父さんに末永く幸せにって言ってて!」
少女が慌てて両手を振る。
その様子に少しだけ笑ってから、少年はもう一度、少女を見る。
「だから、今すぐ答えを出すのは違うと思うんだ」
「……うん」
「けど」
少年は、少女に握られていた手をそっと握り返した。
「大きくなっても、お前がまだ俺のことを好きだったら、その時は、逃げないでちゃんと答える」
「……本当?」
「ああ」
「じゃあ、彼女にしてくれる? いつか、お嫁さんにも?」
「まあ……その時の俺が、お前のこと好きだったらな」
「そこはしてやるって言ってよ! 男の子らしく!」
少女は不満そうに頬を膨らませた。
けれどすぐに、ぱっと笑顔を咲かせる。
「じゃあ、約束!」
少女は小指を立てて、少年の前に差し出した。
少年は少し照れくさそうに視線を逸らしながらも、自分の小指を絡める。
「ああ、約束だ」
夕焼けに染まる公園に、幼い二人の声が響く。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます」
絡めた小指が、橙色の光の中で小さく揺れた。
その約束だけが、夕焼けの色に焼きついたまま、いつまでも消えなかった。
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