プロローグ
桜の花びらが、旅立つ若人たちの背中を押すように舞っていた。
春。
出会いの季節でもあり、別れの季節。
今日、古坂太陽は、長いようで短かった三年間の中学生活に終止符を打つ。
年季の入った学び舎とも、今日でお別れ。
気怠い思いで通っていた場所なのに、終わりとなれば妙に寂しい。
太陽は卒業証書の入った筒を握りしめ、目元を軽く擦った。
「おっす、太陽! なーに一人でしんみりしてるんだ?」
背後から首に腕を回され、太陽の身体が前のめりに傾いた。
「今日でお前との中学生活も終わりかと思うと、マジで寂しいわ。色々ありがとな」
そう言って陽気に笑ったのは、新田信也。
太陽と同じく胸に卒業生の花をつけている。
太陽は苦笑しながら、首に絡んだ腕を軽く叩いた。
「そうだなそうだな。だがな信也。最後に、高校に入ってもよろしくな、を付け忘れてるぞ?」
太陽と信也の進学先が一緒なため、太陽は別に寂しいとは思っていない。
「まあ、そうなんだけどさ。中学と高校じゃ全然違うだろ? 高校生って言ったら、もうほぼ大人だし。合コンとかもするかもしれねえし」
「お前、高校を大学と勘違いしてないか?」
偏見であるが、太陽は呆れたように息を吐く。
「それに、仮にあっても俺は行かないぞ?」
「うげぇ。つれないな……。親友なら付き合ってくれてもいいだろ」
「……親友なら、彼女持ちを合コンに誘うな」
その言葉に、信也は「あー」と納得したように笑った。
「そういやそうだったな。お前には光ちゃんがいたか。可愛い可愛い彼女さんが」
渡口光。
幼稚園の頃から一緒に育った幼馴染であり、太陽の彼女でもある。
そして今、その光から呼び出されていた。
――――二人きりで話したい。
メールに書かれていたのは、それだけだった。
「あぁー! いたいた! 太陽君、新田君! おーい!」
明るい声と共に、小柄な女子生徒が駆け寄ってくる。
高見沢千絵。
彼女も太陽たちと同じ卒業生。
「―――えい!」
千絵は近づくなり、手に持っていた証書筒で太陽の頭を軽く叩いた。
「いてっ。なんで叩かれたんだ、俺」
「えへへ。卒業記念? あと今までの鬱憤?」
「……俺、そんなにお前に恨まれてるのか?」
肩を落とす太陽を千絵は流すが、信也が千絵に訊ねる。
「なんだか上機嫌だが高見沢。なにか良い事でもあったのか?」
何故か浮足立つ千絵は、その質問を待ってましたとばかりに両手を広げ。
「なんせ、今日は旅立ちの日だからね! 後輩との別れ、先生との別れ、学び舎との別れ、友達との別れ! 私たちは悲しみを胸に、新しい世界へ飛び立つのです!」
感慨深そうに泣き真似をする千絵に太陽は肩を竦め。
「……大半の奴とは高校も一緒だけどな」
「太陽君、そういう現実的なこと言わない! つまりは私たちは更に一回り、大人の階段を昇って行くってことだよ!」
千絵が頬を膨らませる。
太陽は千絵の頭と足先を交互に見て。
「……中学の最初から身長が全然伸びてない奴が、一回りも成長したのかね?」
「……なんか言った?」
「いえ、何も言ってません」
笑顔で卒業証書を構える千絵に、太陽は頭を下げる。
そんな他愛のないやり取りをする中で、太陽は時計が気になった。
「太陽君、時間気にしてるみたいだけど、誰かと待ち合わせ?」
千絵が目ざとく尋ねる。
「ああ。光から呼び出されてるんだ。二人きりで話したいって。もしかしたらもう待ってるかもな」
「あぁー。そういえば、光ちゃんが見当たらなくて、皆が探してたけど―――」
その瞬間、千絵の表情が変わった。
「それなら早く行かなきゃ!」
さっきまでの陽気さが嘘のように、千絵は真剣な顔で太陽に詰め寄る。
「光ちゃんは太陽君の大事な彼女なんだから。待たせちゃ駄目だよ!」
「……お前たちが俺を足止めしてたんだけどな」
太陽は苦笑しながらも、卒業証書の筒を持ち直した。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。何かあったら後で連絡してくれ」
「りょーかい!」
信也と千絵に見送られ、太陽は校舎の裏手へ向かった。
呼び出された場所は、体育館裏。
ここは、太陽にとって特別な場所だった。
中学二年の春。
太陽が光に告白した場所。
幼馴染だった二人が、恋人になった場所。
だからこそ、胸の奥がざわついた。
二人きりで話したい。
それだけの言葉が、どうしてこんなにも重く感じるのだろうか。
体育館の角を曲がると、そこに、光はいた。
肩にかかる亜麻色の髪。
少しボーイッシュな雰囲気。
男子からも女子からも人気のある、太陽の自慢の彼女。
家が隣同士で、幼稚園に上がる前から一緒にいた。
泣いた顔も、怒った顔も、笑った顔も、太陽は誰より知っているつもりだった。
同じ街で生まれ。
家が隣同士。
さらに父親同士が旧友であるためであるため、兄妹のように一緒に育った幼馴染。
「どうしたんだ、光。こんなところに呼び出して」
太陽が声をかけると、光の肩が小さく跳ねた。
振り返った彼女の瞳は、潤んでいた。
その様子を見て、違和感を覚え、胸がざわりとする。
「……ごめんね、太陽。卒業式が終わってすぐに呼び出して」
その声を聞いた瞬間、太陽の喉が詰まった。
光は、楽観的で、表情豊かで、周りの空気まで明るくしてしまうような少女だった。
名前の通り、誰かの心を照らす光のような存在。
なのに今は、違う。
怯えたような瞳。
強張った頬。
何度も言葉を飲み込む唇。
何かを決めている。
それなのに、最後の一言だけが喉に引っかかっている。
太陽は、嫌な予感を振り払うように笑った。
「な、なんだよ。そんな顔して。用事がないなら後にしようぜ。今日は皆で卒業祝いするって言ってたし、早く戻ろ――」
「待って、太陽!」
踵を返そうとした太陽の袖を、光が掴んだ。
袖を掴む細い指が、震えていた。
怖い怖い怖い怖い……。
心臓が嫌な音を立てる。
太陽は分かってしまった。
この先にある言葉を、聞いてはいけない、聞きたくないと。
それでも光は、逃がしてくれなかった。
袖から手を離し、ゆっくりと顔を上げる。
涙を堪えた瞳が、まっすぐ太陽を見た。
「……太陽」
その声は、今にも崩れそうだった。
そして。
「―――別れよう。私たち」
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