第16話 朧げな約束
「うわぁあ! 久しぶりにブランコ乗るけど、こんなに小さかったんだね! 昔はもっと大きかったはずなのに!」
「それだけ俺たちが大きくなったってことだろ。ここで遊んでた頃なんて、あの子供たちと同じくらいだったんだからな」
ブランコに腰かけ、足をぶらぶらと揺らす千絵に言いながら、太陽は公園を駆け回る子供たちを眺めた。
小学校低学年くらいだろうか。
太陽たちがこの公園で遊んでいた頃も、きっとあれくらいの年齢だった。
住宅街の中にぽつんとある小さな公園。
特別なものは何もない。
けれど、子供たちにとっては十分すぎる遊び場で、近所の住人たちにとってはちょっとした憩いの場所だった。
「まあ、俺たちはここだけじゃなくて、近くの森とか川でも遊んでわけだし。ここだけでめちゃくちゃ遊んでたってわけじゃないけど、それでも……なんだかんだ、思い出は多いよな」
懐かしむように微笑む太陽。
「そうだね。森でも川でも遊んで、泥だらけになって、よくお母さんに怒られてたよね。ここでも砂まみれになったりしたし」
千絵もくすりと笑った。
「あったな。俺も母さんに『なんでそこまで汚れるの!?』って怒られて、ゲンコツされたことあるわ。あれ、マジで痛かった」
「太陽君のお母さん、怒ると怖かったもんね」
ブランコに揺られながら、二人は笑い合う。
最近は互いに忙しく、学校以外でこうして話すことも減っていた。
けれど、根本的な距離感は昔と変わらない。
小さい頃からずっと一緒に遊んできた相手だからこそ、何気ない思い出だけで会話が続く。
それが少しだけ、太陽には心地よかった。
「……でもさ」
ふいに、千絵の声が少しだけ静かになる。
「こうやって改めて来ると、時間が経ったんだなって思うよね。私たち、本当に成長しているんだね」
「……そうだな」
成長している。
それはきっと、喜ばしいことなのだろう。
生きている限り、時間は進む。子供は大人へ近づいていく。
けれど、その言葉には少しだけ寂しさが混じっていた。
昔は広く感じた公園も、今見ると驚くほど小さく感じる。
端から端まで走るだけで息を切らしていたはずなのに、今ならあっという間に横切れてしまう。
時間の流れは残酷だ。
そう思いながら、太陽は小さく息を吐いた。
「本当に、この公園にはいろいろ思い出があるよね」
千絵はブランコの鎖を軽く握った。
「私と、太陽君と、光ちゃん。3人でいろんな遊びをした。追いかけっこ、かくれんぼ、ボール遊び、ヒーローごっこ。あの頃は本当に楽しかった」
「……なんか、青春を謳歌できなかった爺さんみたいなこと言うなよ。俺たち、まだ青春真っただ中の学生だろ」
「それはそうなんだけどね」
千絵は少しだけおどけるように笑った。
けれどすぐに、その表情が少しだけ変わる。
「でもさ、太陽君にも、この公園には大切な思い出があるよね」
「……は?」
太陽は戸惑ったが、千絵は沈んだ声で言う。
「昔、聞かせてくれた、あの約束のこと」
その瞬間、太陽の心臓が、強く跳ねた。
「……っ」
息が詰まる。
胸の奥を、冷たい手で握り潰されたような感覚が走った。
呼吸の仕方を一瞬忘れ、額にじわりと脂汗が浮かぶ。
―――そうだった。色々あって忘れてたけど、したな……約束を。もう叶えることができないものを……。
胸が引き裂かれそうになる苦しみを感じながら、焦点が合わない目で地面を太陽は見下ろす。
「大丈夫!? 太陽君!」
千絵が慌ててブランコから立ち上り駆け寄る。
そして、過呼吸を起こす太陽の背を千絵が摩る。
医者を目指すだけはあるのか、その動きは驚くほど素早く、手慣れていた。
「……あ、ああ。大丈夫だ。悪い、心配かけた」
太陽はどうにか息を整える。
「大丈夫って顔じゃないよ。苦しかったら、救急車、呼ぼうか……?」
「いや……本当に大丈夫だ」
「あまり思い出したくないものだったから、少し拒絶反応みたいなのが出ただけだ」
太陽は乾いた笑みを浮かべて口にした言葉を聞いた瞬間、千絵の手が止まった。
「……千絵?」
太陽が顔を上げると、千絵は俯いていた。
唇を強く噛んで、今にも泣き出しそうな顔だった。
千絵が何故辛そうにしているのか見当がつかない太陽は思わず息を呑む。
「どうしたんだよ……なんで、お前がそんな顔するんだ?」
件の話題である『約束』は昔、この公園で太陽と光が交わした思い出。
なのに、何故千絵がそれを聞いて悲しそうにするのだろうか。
「……別に」
千絵は目元を強く擦った。
それから、無理やり声を強くする。
「別に、私がどうこうって話じゃないよ。ただ、小さい頃の約束って大切なものでしょ? それを軽々しく『思い出したくないもの』なんて言う太陽君に呆れただけ!」
軽率な発言をしたと反省する太陽は千絵から顔を逸らす。
そして、千絵から溜息が聞こえる。
「本当に太陽君って、昔からそういうところあるよね。デリカシーがないっていうか、無神経っていうか。昔相談を受けた時に、そこも一緒に教えればよかったよ」
「……面目ない」
太陽は小さく頭を下げた。
内心では、これはデリカシーの問題なのかと少し疑問だった。
だが、今の千絵にそれを言えば、確実に火に油を注ぐ。
「それで?」
千絵は太陽を見る。
「思い出したくなかったって言うけど、その約束が何だったかは覚えてるの?」
「……まあな。今となっては、叶うことのない思い出だけど」
そう言って、太陽は一呼吸置いた。
「っても、約束って程でもねえけどな。俺たちが大きくなっても、あいつがまだ俺のことを好きだったら、その時は逃げないで答える」
感情を乗せないように、淡々と言った。
「ガキだった俺は直ぐには答えは出せなかった。けど、真正面から好きだって言われたことは本当に嬉しかった。だから、約束したんだ」
太陽は自身の小指を見る。
あの時光とした指切りげんまん。その時の感触は今でも覚えている。
「その約束って、聞き方によっては、光ちゃんが太陽のことを好きなまま大きくなって、その時太陽君に恋人がいなかったら付き合ってやるって聞こえるよね」
「は!? なんでそうなるんだよ!」
「……違うの? 正直、少しは思ってたんじゃない?」
千絵から半目を向けられ太陽は言い淀む。
「いや……ないと言えば、嘘になるけど……」
「はい、完全にキープ扱いする最低屑野郎ですね、おめでとうございます!」
「なんでお前がキレてるんだよ!」
頬を膨らまし拗ねる千絵に困惑する太陽だが、髪を搔き。
「ガキの頃の約束だし、どうでもいいだろうが……。それに、一応は約束を果たしてはいるしな」
「約束を果たしてるって、いつ?」
「中学の時に、付き合っただろ。告白した立場は逆にはなっちまったが」
大きくなったら答えを出す。
なら、一度恋人になった時点で約束は果たされた。
そう考えることもできる。
「……そうかもしれないけど」
千絵は納得しきれない顔をした。
気まずい沈黙が落ちる。
公園で遊んでいた子供たちは、保護者に連れられて帰っていく。
さっきまで賑やかだった公園は、少しずつ静かになっていった。
なおさら、二人の沈黙した空気が際立つ。
やがて、千絵がゆっくりと唇を動かす。
「ねえ、太陽君。変なこと聞いていい?」
「変なこと? なんだ……」
少し嫌な予感はしたが、千絵の声は、いつになく真剣だった。
「私も、自分で意味の分からない質問だって分かってる。でも、聞いてもいい?」
「……だからなんなんだよ。いいから、勿体ぶらずに言えって」
太陽は怪訝に眉を寄せる。
千絵は一拍置いてから、唾を飲み込んだ。
「その約束をした相手って――本当に、光ちゃんだったのかな?」
「…………は?」
太陽は固まった。
千絵が事前に言っていた通り、その質問の意味が分からなかった。
「……その質問の意図を聞いてもいいか?」
「意図っていうか、言葉通りだよ」
千絵は真っ直ぐ太陽を見る。
「その約束をしたのって、私たちがまだ低学年くらいの小さかった頃でしょ? だったら、記憶違いってことはないのかなって」
幼い頃の記憶は曖昧で、時が進めば記憶違いを産む。
千絵はそう言いたいのだろう。
「記憶違いって、お前な……」
太陽は苦笑しながら、改めてあの日のことを思い出そうとする。
あの日の会話。
空の色も、砂の感触も、妙にはっきりしている。
「……あれ?」
なのに、少女の顔だけが、ぼやけている。
あの日、この公園で約束をした相手は、間違いなく光だった。
そう分かっているのに、記憶の中の少女の顔だけが、どうしても鮮明にならない。
まるで、そこだけ薄い膜がかかっているようだった。
「……太陽君?」
千絵が心配そうに呼ぶ。
太陽は額に滲んだ汗を拭い、無理やり息を吐いた。
これ以上思い出そうとすると、頭の奥が痛む。
「……ああ。俺にとっては最悪なことに、その約束をした相手は光だよ」
太陽は軽く笑った。
「ぶっちゃけ、あの時したのが結婚の約束じゃなくてよかったぜ。こんな結末になったんだからな」
軽薄に笑う太陽だが、千絵は笑わなかった。
横目で太陽を見る。冷たいようで、悲しそうな目をしていた。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
「……千絵?」
太陽が怪訝に見上げると、千絵はくるりと太陽へと振り返った。
その顔には、笑顔が浮かんでいた。
「そうだよね。ごめんね。変な質問して」
千絵は申し訳なさそうに頬を掻く。
「子供の頃の約束って特別だからね。ほら、漫画とかでも鉄板じゃん? だから、ちょっと嫉妬してたのかも。そういうロマンチックな約束があるの、羨ましいなって」
千絵は笑っていた。
けれど、太陽にはすぐに分かった。
千絵が浮かべる笑顔は、作り笑いだと。
千絵は感情豊かな少女だ。
喜びも、怒りも、楽しさも、すぐ顔に出る。
けれど、悲しみだけは隠す。
昔、クラスの輪に馴染めず、教室の隅で1人本を読んでいた千絵の姿が、太陽の脳裏に浮かんだ。
「おい、千絵――」
「大丈夫だよ」
立ち上がる太陽の言葉を遮るように、千絵は言った。
「大丈夫だよ、太陽君。太陽君がどんなでも、私は太陽君の味方だから」
今度は、少しだけ本物に近い笑顔だった。
千絵はゆっくりと太陽へ歩み寄る。
そして背伸びをし、太陽の顔に近づき、細い指が、そっと太陽の唇に触れる。
「けど……もし、私の我儘が叶うなら――」
そこまで言って、千絵は言葉を止めた。
ほんの少しだけ、瞳が揺れる。
「……ううん。やっぱり、これ以上は言えないや」
千絵は指を離して踵を返す。
「それじゃあ、もう遅いから私は帰るね。短かったけど、話せて楽しかった。また学校でね、太陽君」
それ以上は何も言わず、千絵は自分の買い物袋を拾った。
そして、夕暮れの公園を後にする。
太陽は呼び止めることもできなかった。
ただ、彼女の背中が見えなくなるまで、呆然と立ち尽くしていた。




