第15話 夕暮れの公園
ディスカウントストアを出てからも、千絵の説教は続いていた。
「本当に太陽君ってデリカシーがないよね!? 女の子に向かって『太るぞ』はありえないから! 昔からそうだよ! 太陽君は女の子の気持ちを全然分かってなくて――」
「……すまん」
太陽は買い物袋を片手に、小さく頭を垂れる。
千絵に殴られた腹部は、今もじんじん痛んでいた。
目的の物を買い終えた二人は、店を出て帰路についている。
歩き始めてすでに5分ほど経っているが、千絵の怒りはまだ収まっていないらしい。
(……まあ、女に向かって太るぞは禁句だよな。そこは俺が悪いから言い返せねえけど)
太陽は腹を摩りながら、ちらりと隣を見る。
(それにしても、千絵っていつからこんな暴力的になったんだ? 小学生の頃は、人を殴るような奴じゃなかった気がするんだけどな。……いや、俺にだけか)
「聞いてるの、太陽君!」
「聞いてる聞いてる!」
慌てて返事をすると、千絵はさらにじとっとした目を向けてきた。
それからさらに1、2分ほど説教が続き、ようやく千絵は大きく息を吐いた。
「……まあ、太陽君にデリカシーがないのは今に始まったことじゃないから、今回は諦めるとして」
千絵は半目を太陽に向ける。
「私だからこの程度で済んでるんだからね? 他の女の子に同じこと言ったら、本当にただじゃ済まないよ?」
「……肝に銘じておきます」
太陽は素直に頷いた。
(怒る女は多いだろうけど、即座に腹パンしてくるのはお前くらいだと思うけどな)
そう思ったが、口には出さない。
これ以上、火に油を注ぐほど太陽も愚かではなかった。
太陽はふと、千絵の手元を見る。
彼女の買い物袋は、かなり重そうに膨らんでいた。
「ほらよ」
太陽は千絵に手を差し出す。
「なに、その手?」
「持ってやるよ。結構買い込んでただろ。重いんじゃねえの?」
「……もしかして、ご機嫌取り?」
千絵は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「そういうのは別に求めてないんだけど」
「違ぇよ」
太陽は少し呆れたように肩を竦める。
「もう日も暮れかかってるし、女一人で帰らせるのもあれだろ。送ってくついでに荷物も持つってだけだ。俺の方はそんな買ってないし、男の俺の方が荷物軽いのもなんか嫌だしな」
太陽としては、別にご機嫌取りのつもりではない。
いや、まったくないと言えば嘘になるかもしれないが、それでも根本は善意だった。
空は朱色に染まり、太陽は地平線へ沈みかけている。
もう少しすれば、夜が街を覆う時間だ。
千絵は何度か瞬きをした後、ぷいっと顔を逸らした。
「……そういう気遣いはできるんだね……ばか」
「なんかまた俺の悪口言ったか?」
太陽が疑わしそうに目を細めると、千絵は頬を赤くして睨んできた。
「言ってない! ……いや、言った! バーカ!」
「なんでそこまで怒ってるんだよ!?」
「いいから、持って!」
千絵はそっぽを向いたまま、太陽の胸元へ買い物袋を押しつける。
「うおっ」
太陽は少しよろめきながら、それを受け取った。
自分の袋は中くらいのサイズで、まだ余裕がある。
だが千絵の袋は、大きい袋にもかかわらずパンパンだった。
中には文具が少し。
残りは、彼女が夜食だと言い張る菓子や飲み物類。
運動をあまりしない者同士とはいえ、男女の力の差を考えると、千絵には少し重いだろう。
太陽は自分の袋を左手に持ち替え、千絵の袋を右手に持った。
「それじゃ、行くか」
「……うん」
千絵は少しだけ力の抜けた声で頷き、太陽の隣に並んだ。
その後は、他愛もない話をしながら二人で帰路を歩いた。
まだ完全に日は沈んでいないが、街灯はせっかちにぽつぽつと灯り始めている。
そんな中、千絵がふと足を止めた。
「ねえ、太陽君」
「ん?」
袖を引かれ、太陽も足を止める。
「懐かしいね、この公園」
千絵が指さした先には、住宅街の中にぽつんとある小さな公園があった。
滑り台やブランコ、砂場、ベンチ。
最低限の遊具しかない、どこにでもあるような小さな公園。
けれど、太陽には見覚えがありすぎる場所だった。
「……だな」
太陽は公園を見つめる。
「同じ街にあるのに、意識しないと久しぶりに見た感じになるの、不思議だよな」
夕暮れ時だが、まだ子供たちが追いかけっこをしている。
その傍らでは、保護者たちがベンチで井戸端会議をしていた。
「本当に懐かしいね」
千絵が柔らかく笑う。
「昔、私と太陽君と光ちゃんの3人で、よく遊んだよね」
「……ああ。そうだな」
太陽は小さく頷いた。
その反応を見て、千絵の表情がすぐに曇る。
「あっ……ごめん。また無神経だったね。太陽君の前で、光ちゃんの名前は……」
千絵は気まずそうに視線を落とした。
太陽の前で光の名前は禁句。
そう決めていたのだろう。
太陽は小さく息を吐き、千絵を見る。
「バーカ。俺とあいつがこじれたからって、お前の思い出にまで文句つける権利は俺にはねえよ」
千絵が顔を上げる。
「お前が、俺とあいつの仲を取り持とうとして余計なお節介を焼くなら別だけどな。ただ昔話をするくらいなら、俺が止める理由はない」
「……太陽君」
「だから、好きに話せよ。お前の思い出まで、俺の都合で黙らせる気はない」
千絵は少し驚いたように目を瞬かせた後、ほっとしたように笑った。
「……うん。ありがとう。ごめんね、気を使わせて」
「だから、なんでお前が謝るんだよ」
太陽は苦笑する。
このままだと、千絵が謝り、太陽が否定するだけの押し問答になりそうだった。
太陽は右手に荷物を持ったまま、空いているブランコを顎で示す。
「せっかくだし、少し寄ってくか」
「え?」
「たまには思い出話でもしようぜ。ちょうどブランコも空いてるし」
ベンチは保護者たちが使っている。
子供たちは追いかけっこに夢中で、ブランコには誰も乗っていなかった。
だが、千絵はすぐには頷かなかった。
「いいの? 太陽君」
「何が?」
「思い出話をしたら、嫌なことまで思い出すかもしれないよ」
千絵の言葉は、遠回しだった。
けれど、言いたいことは分かる。
太陽と千絵の思い出を語るなら、そこには必ず光がいる。
太陽は少しだけ目を伏せ、それから肩を竦めた。
「俺がいいって言ってるんだからいいんだよ。お前が気に病む必要はない」
「でも……」
「はぁ……」
太陽はわざとらしく溜息を吐く。
「お前も大概、面倒くさい性格してるよな」
その一言で、千絵の眉がぴくりと動いた。
「誰のせいでこんな気持ちになってると思ってるのかな!? 殴るよ!? この日々の勉強で鍛え上げた左手で、もう1回殴るよ!?」
「勉強で鍛えた腕って言われても、あんまり迫力ねえな!?」
「……なら、試してみる?」
「本気の本気でご遠慮しますので、ごめんなさい!」
夕暮れの公園前に、千絵の声が響く。
子供たちと保護者たちの視線が、ちらりと二人へ向いた。
「痴話喧嘩かしら?」
「カップルですかね?」
「学生さんねえ。いいわね、青春って感じで」
「私の若い頃なんてね――」
保護者たちは、すぐに別の話題へ移っていく。
子供たちも特に興味はないようで、すぐ遊びに戻った。
千絵は自分が大声を出したことに気づき、頬を赤らめて咳払いをする。
「……まあ、太陽君がいいって言うならいいけどさ」
「そうしてくれ」
「でも、後から気分悪くなったとか言われても、責任取らないしフォローもしないからね?」
「別にいいよ。お前も昔の恥ずかしい話を出されても殴るなよ」
「……その時の気分次第かな」
「理不尽すぎるだろ」
太陽はげんなりした。
それでも、千絵は少しだけ楽しそうだった。
太陽は小さく笑い、彼女に聞こえないくらいの声で呟く。
「……まあ、俺もそろそろ区切りつけたいしな」
今日、晴峰御影と出会った。
自分が過去に放った言葉を、今度は自分が突きつけられた。
そのせいか、少しだけ思ったのだ。
逃げ続けるのではなく、一度くらい、ちゃんと向き合ってみてもいいのかもしれない、と。
「太陽君。今日、何かあったの?」
千絵が不思議そうに太陽を見ていた。
太陽は一瞬、心臓が跳ねる。
「どうした、藪から棒に。俺の顔から何か読み取ったのか?」
「別に読心術があるわけじゃないけど」
千絵は太陽の顔をじっと見る。
「いつもの太陽君なら、光ちゃんの話題になると、もっと眉間に皺寄せたり、頑固おやじみたいな顔になったり、似合ってない金髪と合わさって相当気持ち悪い感じになるから」
「お前、俺に喧嘩売ってるのか?」
太陽は拳を握りしめた。
相手が信也なら迷わず殴っていた。
だが、千絵は女だ。さすがに殴るわけにはいかない。
自分の我慢強さを褒めてやりたい、と太陽は勝手に頷く。
そんな太陽を置いて、千絵は先に公園へ向かう。
そしてブランコの前でくるりと振り返った。
「それじゃあ太陽君」
茜色の夕日を背に、千絵は笑う。
「久々に、思い出話しようか!」
逆光の中で浮かぶその笑顔は、昔と変わらないほど無邪気だった。




