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学園の人気者のあいつは幼馴染で……元カノ  作者: ナックルボーラー


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13/21

第12話 忘れることが

「あの、すみません。その制服は鹿原中学の人ですよね? 少しよろしいですか」


 先に行く光の後を追おうとした太陽は、突然の声に足を止めた。


「ん? はい。そうですが……」


 振り返った太陽は、少し驚く。


 そこにいたのは、見覚えのある少女だった。


 汗で艶を帯びた黒髪のショートヘア。

 夏の日差しに焼けた、健康的な肌。

 整った顔立ちをした美少女。


 だが、その目元は真っ赤に腫れていた。


 丁寧な口調とは裏腹に、彼女は鋭い目で太陽を睨んでいる。


「えっと、確かあなたは……東京代表の晴峰さん……だったっけ?」


 晴峰御影。


 つい数分前、全国中学陸上女子1500m決勝で、光と最後まで競り合った選手だ。


 全国大会の常連。

 今大会の優勝最有力候補。

 過去に全国中学陸上1500mで2連覇を果たした天才。


 決勝で光と戦う、最も警戒すべき相手として、太陽もその名前と顔を覚えていた。

 だが、初対面で話した覚えはない。

 なぜ自分が呼び止められたのか、太陽には分からなかった。


「晴峰さんが、俺に何の用ですか?」


 同じ中学3年生。

 つまり同い年のはずだが、目の前の少女には、同年代とは思えないほどの圧があった。

 思わず敬語になった太陽を前に、御影は2、3度深く息を吸った。

 そして、単刀直入に尋ねる。


「あなたは、渡口光さんの彼氏さんですか?」


「…………!?」


 予想外の問いに、太陽は言葉を失った。

 どうやら、先ほどの光とのやり取りを見られていたらしい。


「……見てたんですか?」


「申し訳ございません。わざと覗いていたわけではありません。ですが、途中から」


 御影は視線を逸らさずに続ける。


「逢引きをするのでしたら、もう少し人目につかない場所の方が良いと思いますよ。ここは、人が通りますから」


「……それは、ごもっともで」


 太陽は苦笑するしかなかった。


 現在いる場所は、競技場内でも人通りの少ない通路だ。

 次の競技が始まり、観客たちの意識がそちらへ向いているとはいえ、ここは公共の場である。

 むしろ、御影にしか見られなかったこと自体が奇跡なのかもしれない。


「それで」


 御影は一歩、太陽へ近づいた。


「私の質問に答えていただけますか?」


「……」


 黙る太陽に御影は再度同じ質問をする。


「もう1度聞きます。あなたは、渡口光さんの彼氏さんでしょうか? それとも、何かしら特別な間柄なのですか?」


 丁寧な口調。

 だが、その奥に怒気が滲んでいた。


 太陽は口を結ぶ。

 なぜ、初対面の相手がここまで光の恋愛事情を知りたがるのか分からない。


 けれど、適当な嘘をつけばすぐに見抜かれる気がした。


 相手は他校の人間だ。

 しかも遠い県の選手。


 おそらく、鹿原中学で言いふらされる心配はない。

 そう判断し、太陽は小さく息を吐いた。


「……そうだ」


 太陽は覚悟を決めて言った。


「俺と渡口光は、恋人だ。あと、付け足すなら幼馴染でもある」


「……」


「どうだ? これで満足か?」


 御影は、すぐには何も言わなかった。

 ただ、小さく「……そうですか」と呟く。

 次の瞬間、彼女は右手で自分の左腕を強く掴んだ。爪が食い込むほどに。


「……私が陸上に全てを費やしていた間、あの人は男性に現を抜かしていたということですか……」


 小さな声だった。

 けれど、その怨恨を含んだ言葉は、太陽の耳にもはっきり届いた。

 太陽の眉が、不快そうに寄る。


「おい。その言い方だと、あいつが全然努力してなかったみたいに聞こえるんだけど」


 太陽は御影が言った事を聞き流せなかった。


「あいつだって血の滲むような努力をして――」


「そんなの、私だってしてきましたよ!」


 太陽の言葉を遮り、御影の叫びが通路に響いた。

 一度溢れた感情は、もう止まらなかった。


「血の滲むような努力? そんなの、私だって文字通りしてきました! 疲れて転んで、何度も膝を擦りむきました。足の裏の豆だって、何度も潰しました。雨の日も、風の日も、雪の日でさえ、私は努力を怠ったことがありません!」


 御影の声が震える。


「私は、青春の全てを陸上に捧げてきたんです!」


「だからって、他人の努力を蔑むようなことを言っていいのかよ!?」


「分かっていますよ!」


 御影は、涙を浮かべながら叫んだ。


「私が言っているのは負け犬の遠吠えで、ただの八つ当たりだって! でも、悔しいんです……!」


 ぽたり、と涙が床に落ちる。


「周りに失望されたくなくて、両親の期待に応えたくて、私は走ってきました。ずっと、ずっと走ってきました」


 御影は唇を噛みしめる。


「それなのに……部活も恋愛も両方を謳歌している人に負けたことが、悔しいんです……!」


 彼女自身、分かっているのだろう。


 自分の言葉が八つ当たりだということも。

 ただの負け惜しみだということも。


 それでも、感情が追いつかない。

 青春の全てを陸上に捧げた自分が、恋も部活も充実させている相手に負けた。

 その事実を、どうしても受け入れられないのだ。


「……あのな」


 太陽は少し呆れたように息を吐いた。


「あんたがどれだけ頑張ったか、俺は知らない。でも、まだ中学生だろ? 青春だってまだまだこれからじゃねえか。高校になったら、部活も恋愛も両方頑張ればいいだろ」


 いつの間にか、太陽の敬語は崩れていた。


「……そうですね」


 御影は小さく笑った。


「確かに、私はまだ中学3年です。これからの学園生活を楽しむ方が得策かもしれません」


「だったら――」


「ですから」


 御影は、暗い笑みを浮かべた。


「私の陸上は、今日で最後です」


「……は?」


 太陽は目を見開く。


「それ、どういう意味だよ。今日で最後って……」


「そのままの意味です」


 御影は静かに言った。


「私は、中学で陸上を辞めます」


「どうしてだよ!?」


 太陽は思わず一歩近づいた。


「あんた、あれだけ凄い実力があるのに、なんで辞めるなんて言うんだよ。……まさか、怪我か?」


 試合中に肉離れでも起こしたのか。

 そう思って御影を見るが、包帯やテーピングらしきものは見当たらない。


 御影は首を横に振った。


「いいえ。怪我ではありません」


「じゃあ、なんで」


「……でも、当たらずとも遠からずかもしれませんね」


「意味が分からねえよ」


 太陽が困惑していると、御影はユニフォームの胸元を握りしめた。


「私の怪我は、心です」


「……は?」


 太陽は困惑する。

 御影はお構いなしに話を続ける。


「今日の敗北で、私は陸上への熱意を失ったのかもしれません。いつもなら試合が終わった後でも、帰って練習していました。でも、今日はその気すら起きません」


「それは……ただ単に、中学最後の大会だったからじゃねえのか? 全部出し切って、燃え尽きたみたいな」


「高校でも陸上を続ける人間は、中学最後だからといって走ることを辞めたりしません」


 それは、確かにそうだった。

 高校でも同じ競技を続けると決めている者なら、中学最後の大会が終わっても努力を止めないだろう。

 しかも御影ほどの実力者なら、強豪校からの誘いもあるはずだ。


「正直に話します」


 御影は、少しだけ俯いた。


「私は、陸上を始めてから1度も負けたことがありませんでした」


 太陽は「それは自慢か」と言いかけて、飲み込んだ。


「私には、生まれ持った才能があった。そして物心ついた頃には、もう走っていました」


 御影は昔を耽るように話す。


「幼い頃から辛い練習をしてきた私にとって、同年代の選手は相手になりませんでした。頭2つ、3つ分は抜けている。私は周りとは違う。誰も私には敵わない」


 御影の声が、かすかに震える。


「本気で、そう思っていました」


 その自信は、決して大げさではなかったのだろう。

 先ほどの走りを見れば分かる。

 2位で終わったとはいえ、御影は後続の選手たちを大きく引き離していた。

 間違いなく、全国でも別格の実力者だった。


「つまり、光に負けて、その自信を打ち砕かれたってことか」


「……そうですね」


 御影は自嘲気味に笑う。


「陸上を始めて初めて負けた私は、自暴自棄になっているのかもしれません」


 御影は淡々と口を開く。


「だから、先ほど控室で、シューズを捨ててしまいました」


「……ッ!?」


 太陽は目を見開いた。

 スポーツ選手にとって、道具は自分の体と同じくらい大切なものだと知っているからだ。

 それを捨てたということは、御影が本気で陸上を辞めるつもりでいるということだった。


「……別に、俺とお前は今会ったばかりの他人だ。お前を止める義理はない」


 太陽は真っすぐに御影を見つめる。


「でも、お前自身はそれでいいのか?」


「…………」


 御影は太陽から顔を逸らす。


「才能とか、成績とか、そんなのは知らねえよ。お前自身は、陸上が好きなんじゃないのか?」


 御影の瞳が揺れた。


「好きじゃなきゃ、あんな走りはできないだろ」


「……もちろん、好きでした」


 御影は小さく答える。


「私にとって陸上は、人生と語っても過言ではないくらい、大切なものでした」


「だったら」


「だからこそ、分からなくなったんです」


 御影は、ぎゅっと胸元を握りしめる。


「好きで、積み上げて、全てを捧げてきた陸上で負けた私は、これからどうすればいいのか分からなくなってしまったんです」


 彼女は天才だった。

 1度も負けたことがなかった。

 だからこそ、初めての敗北から立ち上がる方法を知らないのかもしれない。


「負けたって言うなら、これからもっと頑張って、高校であいつにリベンジすればいいだろ」


 太陽は言った。

 それでも光が勝つけどな、と内心では思っていたが、口には出さない。

 御影は首を横に振った。


「それが正しいのでしょうね。でも、私は……自分に失望しているんです」


「自分に?」


「はい。陸上を続けている限り、私は今日の自分を思い出すでしょう。負けた自分を。何もかも捧げたのに届かなかった自分を」


 御影は、無理やり笑った。


「だから、一刻も早く陸上を忘れて、新しい道へ進みたいんです。次は、恋愛にでも挑戦してみます」


 吹っ切ったような笑顔。

 でもそれが本物ではないことくらい、太陽にも分かった。


 太陽と御影は、今さっき出会ったばかりの他人だ。


 そんな相手が陸上を辞めると言っても、太陽には関係ない。


 それどころか、光の最大のライバルになり得る相手が勝手に消えてくれるのだから、恋人としては願ったり叶ったりなのかもしれない。


 ――だけど。


「だっせえな」


 小さく漏らした太陽の言葉に、御影の眉がぴくりと動いた。


「ださいとは、どういう意味ですか?」


 静かな声。

 だが、その奥には怒りがあった。


 当然だ。

 誰だって、初対面の相手に「ださい」と言われれば腹が立つ。


 それでも太陽は、引かなかった。


「文字通りだよ。一度負けたくらいで、ウジウジ言いやがって」


「私はウジウジなんて言っていません! 私はただ、自分が情けなくて、そんな自分を消し去りたくて――」


「それがウジウジ言ってるって言ってんだよ」


 太陽は、御影の言葉を切った。


「お前、光が陸上を始めて、最初の大会で何位だったか分かるか?」


「……1位ですか?」


「違う」


 太陽は、少し笑った。


「最下位だ」


「……え?」


 御影が目を見開く。

 自分を負かした相手の初大会が最下位だったなど、想像もしていなかったのだろう。


「本当ですか? 先ほどの走りを見ていると、とてもそうは思えませんが……」


「こんな時に嘘ついてどうするんだよ」


 太陽は肩を竦める。


「あいつが陸上を始めたのは小4の頃だ。あいつも、お前と同じように才能には恵まれてた。周りの男子も敵わないくらい速くて、俺はいつもあいつの背中ばっかり追いかけてた」


 小さい頃、太陽と光はよく公園で追いかけっこをした。

 けれど、太陽が光に勝ったことはほとんどない。

 勝つより、負けることの方が圧倒的に多かった。


「あいつが陸上を始めて、2ヶ月くらいで大会に出た。でも、周りの奴らは光より速かった。あいつはどんどん差をつけられて、1番最後にゴールした」


「それは……単純に実力不足だったのでしょう。陸上を始めて2ヶ月なら、そうなってもおかしくありません」


「そうだな」


 太陽は頷く。


「でも、あいつは大会が終わった後、1人で泣いてたよ」


「……」


「あいつ、気丈でさ。人前で泣くような奴じゃないんだ。だから隠れて、1人でわんわん泣いてた」


「あなたは、その現場を見ていたんですよね?」


 御影が静かに尋ねる。


「励まさなかったんですか?」


「……励ますつもりで追いかけたんだよ」


 太陽は苦笑した。


「でも、何も言えなかった」


「……」


「情けない話、俺は泣いてる奴を励ますのが上手くないんだ」


 笑って誤魔化したが、あの時の悔しさは今でも覚えている。

 光が泣いているのに、何もできなかった。

 ただ、少し離れた場所で拳を握ることしかできなかった。


「それで?」


 御影は太陽を見る。


「その話を聞いて、私に何の意味があるんですか?」


「別に意味なんてねえよ」


「は?」


 唖然とする御影に太陽は言った。


「ただ、あいつはお前と違って負けた。何度も負けた。何度も悔しい思いをした」


 才能があればすぐに勝てるほど、スポーツの世界は甘くない。


 才能がある者が、努力を続ける。

 それでもなお、勝てない日がある。


 光は、それを知っている。


「でも、あいつは投げ出さなかった。何度負けても立ち上がって、練習を続けた」


 太陽は、少しだけ誇らしげに笑った。


「お前に負けないくらい、あいつが頑張ってきたって、俺が胸張って言えるくらいにな」


「……ずっと見てきたんですね」


「勿論だ」


 太陽は迷わず頷いた。


「だって、俺は……あいつのことがずっと好きだったからな」


 太陽は、にしっと歯を見せて笑う。

 その笑顔は、御影には少しまぶしく見えた。


「…………羨ましいな」


「ん? 何か言ったか?」


 無意識に漏れた言葉に、御影ははっと顔を上げる。


「な、何も言ってません! 別に、自分のことをそこまで見てくれる殿方がいて羨ましいな、なんて思っていませんから!」


「全部言ってるぞ」


「っ!」


 御影は顔を真っ赤にした。

 先ほどまでの張り詰めた空気とは違う反応に、太陽は思わず目を瞬かせる。


 御影は咳払いをして、強引に話を戻した。


「……確かに、渡口光さんが私に負けないくらい努力をしてきたことは分かりました」


 ですが、と御影は困ったように首を傾げる。


「それと私が陸上を辞める話は、どう繋がるのですか?」


「簡単だよ」


 太陽は頭を掻く。


「あいつは何度も負けた。でも、そのたびに立ち上がった。俺はスポーツをやってないから、本当のきつさは分からない。負けることがどれだけ辛いのかも、たぶん分かってない」

 

 太陽は掻いた手を見つめる。


「正直、本当に嫌なら、忘れた方が楽なのかもしれない」


 太陽は少し言葉を探す。


「でもさ。忘れるって、本当に前に進むことなのか?」


「……どういう意味ですか?」


「上手く言えねえけど……」


 太陽は高い天井を見上げる。


「忘れるって、前に進むっていうより、今まで走ってきた道をなかったことにする感じがするんだよ」


「……」


「辛い記憶なんて、覚えていても得しないかもしれない。でも、その辛い記憶も含めて、お前が今まで走ってきた証拠だろ?」


 御影は何も言わない。


「それを全部捨てて、新しい道に行くのも悪いとは思わない。たぶん、それで楽になることもある」


 太陽は、まっすぐ御影を見た。


「でも、後で後悔すると思うなら、忘れる前にもう少し足掻いた方がいいんじゃねえの?」


 そして最後に、太陽はニシッと笑い。


「投げ出して後悔するより、やれるだけやって後悔した方が、少しはすっきりするだろ」


 太陽が言い終えると、しばらく沈黙の空気が流れる。

 御影の反応を待っていたが、返ってきたのは深いため息だった。


「え、なんでため息?」


「だって、正直、あなたが何を言いたいのか少し分かりづらいです」


 御影は呆れたように肩を竦める。


「たぶん、せっかく頑張ってきたのに途中で辞めると後で後悔する、ということが言いたかったのでしょうが……かなり回りくどいです」


「うぐっ……」


 御影の言葉が太陽の胸を刺す。


「忘れることは前に進むことではない、ですか」


「復唱すんな。恥ずかしいから」


 改めて言われると、自分の発言が妙に青臭く聞こえてくる。

 顔を赤くする太陽を見て、御影はしばらく半眼で見つめていた。

 だが、やがて小さく吹き出した。


「でも、ありがとうございます。少し、いえ、かなり励まされました」


 御影は、柔らかく笑う。


「あなたは、本当に優しい人なんですね」


 先ほどまでの張りつめた表情が少し崩れる。


「こんな初対面の私に、必死に言葉を選んで励ましてくれる人なんて、なかなかいません」


 御影は太陽を真っ直ぐ見る。


「少なくとも、今まで私が出会った誰よりも、あなたは優しいです」


 急に褒められ、太陽は困惑する。

 御影は踵を返し、太陽に背中を向けた。


「確かに、このままで終わるのは嫌ですね。負けっぱなしで終わるのは癪ですし」


 そこで振り返り、御影は笑う。

 先ほどまでの仮面のような笑顔ではない。


 本当の笑顔だった。


「それに……やっぱり私、陸上が好きみたいですから」


 その笑顔に、太陽は一瞬だけ胸を打たれた。


「……っ」


 慌てて視線を逸らす。


(何を一瞬ときめいてるんだ、俺は!? 俺には光がいるのに!)


 罪悪感が胸に刺さる。

 そんな太陽の内心など知る由もなく、御影は晴れやかな声で続けた。


「これからも陸上を続けます。そして、いつか光さんにリベンジします」


 その時、会場側から大きな歓声が聞こえた。

 どうやら、太陽たちが話している間に次の競技が終わったらしい。


「もうすぐ、ここにも人が来ますね」


 御影は通路の先を見る。


「では、少し名残惜しいですが、私はそろそろ行きます」


 そう言って歩き出そうとした御影は、ふと足を止めた。


「本当に、渡口光さんが羨ましいです」


「……何が?」


「人の悩みを、まるで自分のことみたいに考えてくれる人が彼氏なんて」


「そ、そうか……?」


 褒められて悪い気はしない。

 太陽が頬を掻いていると、御影は大きく手を振った。


「私も、できればあなたみたいな人を彼氏にしたいです! もし彼女さんに振られたら、私のところに来てもいいですよ!」


「不吉なこと言うんじゃねえよ! 誰が行くか! ていうか振られるか!」


 今度は別の意味で顔を赤くして叫ぶ太陽。

 御影は笑いながら走り出した。


 だが、すぐにまた足を止める。


「ああ。もう1つ、言いたいことがありました」


「まだあるのかよ」


「これはあなたにではありません。渡口光さんへの伝言です」


 御影は拳を握り、自分の胸に当てた。


「高校。高校でもう一度戦いましょう」


 その瞳は、もう涙に濡れていなかった。

 まっすぐで、強い。


「次は、絶対に私が勝ちますので!」


 高校での再戦。

 そして、次は必ず勝つという宣戦布告。

 太陽はそれを正面から受け止めた。


「ああ。絶対に伝える」


 御影は最後に深く頭を下げた。

 そして今度こそ、この場を去っていく。


 その背中を、太陽は見えなくなるまで見送った。


 * * *


 御影を見送った太陽は、自分の学校の生徒たちがいる場所へ戻ろうとした。

 だが、曲がり角に差しかかった瞬間、足を止める。


「…………聞いてたのかよ」


「…………うん」


 曲がり角の影に、光がいた。

 どうやら、先ほどまでの会話を聞いていたらしい。


 光といい、御影といい、人の会話を盗み聞きする決まりでもあるのか。

 太陽は少しだけ呆れた。


「どこから聞いてたんだ?」


「皆のところに戻ろうとしたら、後ろから怒鳴り声が聞こえてきて……何かあったのかなって戻ってきたの」


 光は少し視線を逸らす。


「たぶん、太陽が、陸上を辞めるって言った晴峰さんを止めてたあたりから」


「結構聞いてるじゃねえか」


 太陽は頭を掻いた。


「一応言っとくけど、浮気とかじゃないからな」


「そんなの分かってるよ」


 光はあっさり言う。


「太陽みたいな変わり者を好きになる人なんて、私以外にいないからね」


「それ、遠回しに自分も変わり者って言ってるぞ」


「そう? なら、変わり者同士お似合いってことじゃん」


 光は太陽の横腹を肘で小突いた。

 その軽いやり取りに、太陽は少しだけ安心する。

 だが、すぐに真面目な表情へ戻った。


「俺たちの会話を聞いてたってことは、あいつの伝言も届いてたんだよな?」


 光が聞いていなかったとしても、太陽は伝えるつもりだった。

 けれど、御影の言葉は、間接的ではなく直接光へ届いていたらしい。


 光は、スポーツ選手の顔つきで頷いた。


「もちろん」


 その瞳には、静かな闘志が宿っていた。


「でも、私も簡単に負けるつもりはないけどね」


 その言葉だけで、太陽には分かった。

 光はこれからも走り続ける。

 御影から受け取った宣戦布告を胸に、さらに強くなるために。

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