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学園の人気者のあいつは幼馴染で……元カノ  作者: ナックルボーラー


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第10話 他人だから話せること

「うわぁああ! 本当に! 本当にごめんなさい!」


 少女は、土手の上で深々と頭を下げていた。


「私、昔から早とちりしすぎだって親にも言われてるのに! まさか自殺だと勘違いして体当たりするなんて……! せめて頭の擦り傷だけでも治療させてください!」


 少女はそう言ってポーチから絆創膏などを取り出す。


「うん、分かった。分かったから、後ろでぎゃーぎゃー騒がないでくれ。耳に響く」


「すみませーん!」


 涙声で謝りながらも、治療する少女の手つきは慣れていた。

 太陽の後頭部にできた切り傷へ消毒液を塗り、髪を少し分けて絆創膏を貼る。


「はい。これで大丈夫だと思います」


「……手慣れてるな」


 絆創膏を剥がす時は怖いが、シャワーで濡らせばなんとかなるだろう。

 太陽は傷のあたりを軽く撫で、小さく息を吐いた。


「そもそも、なんで治療用のポーチなんて持ってるんだ?」


 普段なら、初対面の相手にはもう少し丁寧に接する。

 だが、相手が歳の近そうな少女であることと、さっきの騒動が尾を引いていることもあり、太陽の口調は自然と砕けていた。


 少女が持っているピンク色のポーチには、消毒液、ガーゼ、絆創膏、包帯まで入っていた。


 強烈な体当たりを受けて歩道に倒れた太陽は、少女に引きずられるようにして近くの土手まで運ばれ、そこで治療を受けていたのだ。


 少女は気まずそうに頬を掻く。


「私って……早とちりもそうなんですけど、昔からそこそこドジでして。今はそこまででもないんですけど、昔は外に出るたびに怪我をしていたんです」


「外に出るたびって、なかなかだな」


「はい……。それで母が、外出する時は絆創膏を持ちなさいって言い始めまして」


 少女は恥ずかしそうにポーチを見下ろした。


「最初は絆創膏だけだったんです。でも、だんだんグレードアップして、消毒液、ガーゼ、包帯も追加されて……気づけば、携帯救急箱を常備するのが習慣になっていました」


 自分のドジを暴露したのが恥ずかしかったのか、少女はポーチで顔を隠す。


 けれど、真っ赤な耳までは隠せていない。


「別に恥ずかしがることでもないと思うけどな」


 太陽は軽く笑う。


「俺の知り合いにも、元気だけが取り柄みたいな奴がいてさ。小さい頃は公園を走り回って、転んで、しょっちゅう怪我してたよ。そういうポーチがあったら便利だったかもな」


 脳裏に浮かんだのは、元陸上少女と小柄な秀才娘。


 どちらも、男の太陽に負けず劣らずやんちゃだった。

 転んで怪我をしては、親に怒られていたものだ。


「……まあ、そうなんですけど」


 少女はポーチを下ろし、少し頬を膨らませた。


「自分がたくさん怪我したおかげで、人の治療も滞りなくできるようになりましたから、無駄ではなかったと思います。でも、それでもやっぱり恥ずかしいんです」


「そういうものか?」


「そういうものです」


 太陽としてはフォローしたつもりだったが、どうやら少し拗ねさせてしまったらしい。 

 少女は救急ポーチをしまうと、後ろで束ねていたヘアゴムを外した。

 ポニーテールがほどけ、背中まで伸びた黒髪がふわりと広がる。


「どうして髪を解くんだ?」


「ああ、これですか」


 少女は手の中のヘアゴムを見た。


「元々、走る時に邪魔にならないように結んでいただけです。今日はもう走る気分じゃなくなりましたから」


 少女は背中まで伸びた黒髪を軽く払う。


「髪が邪魔になるなら、切ればいいんじゃないか? それならいちいち束ねなくてもいいだろ」


「女性の髪は、命の次に大事なものです」


 少女は真面目な顔で言った。


「……って、そう思う女性は今どきあまり多くないかもしれませんけど。正直、私の場合は願掛けみたいなものです」


「願掛け?」


 太陽は首を傾げる。


「何か、成し遂げたいことでもあるのか?」


 何気なく尋ねたその時だった。


 少女が、ちらついた髪を耳にかける。


 その横顔が、太陽の視界に入った。


 整った顔立ち。

 程よく日に焼けた肌。

 透き通るような瞳。

 汗で濡れた、綺麗な黒髪。


 一目で美少女だと分かってはいた。


 だが、改めてその顔を見た瞬間、太陽は妙な既視感を覚えた。


「……」


「ん? どうしたんですか?」


 少女が不思議そうに首を傾げる。


「私の顔に、何か付いてますか?」


「あ、いや……」

 

 少し躊躇いながら、喉を鳴らしてから尋ねた。


「な、なぁ……。あんた、俺と前にどこかで会ったことないか?」


「え?」


 藪から棒な問いに、少女は目を瞬かせる。


「うーん……。私はこの街に来るの、今日が初めてですし……すみません。私は、あなたの顔に覚えはありません」


「そ、そうか」


 太陽は後ろ髪を掻いた。


「こっちこそ悪い。変なこと聞いたな。忘れてくれ」


 互いに少し気まずく頭を下げる。

 先に顔を上げた少女は、今度は怪訝そうに太陽を見た。


「そういえば、あなたはあそこで何をしていたんですか?」


「何をしていたって、何が?」


 今度は太陽が聞き返す番だった。

 橋から飛び降りようとしていたと勘違いしていた少女が、なぜ改めてそんなことを聞くのか。

 少女は顎に手を当て、真面目な顔で考え込む。


「私の早とちりで、あなたが自殺しようとしていると勘違いしてしまいました。でも、それが違うなら、どうしてあそこにいたのかと思いまして」


「普通に橋の上にいただけだろ」


「それはそうなのですが……」


 少女はじっと太陽を見る。


「私が予想するに、あなたは何か嫌なことがあって、あそこにいたんじゃないですか?」


「どういう考え方をすれば、そこに辿り着くんだよ」


 太陽は鼻で息を吐き、膝に頬杖をつく。

 だが内心では、図星を突かれて冷や汗を流していた。


 会って数分の相手にすぎない。

 早とちりで、天然気味で、勢いだけで体当たりしてくるような少女だ。

 けれど、妙なところで勘が鋭い。


「別に、大したことじゃねえよ」


 太陽は苦々しく笑った。


「もし仮に悩みがあったとしても、さっき会ったばかりのお前に話せるわけないだろ」


「そうですか?」


 少女はきょとんとした顔をする。


「会って数分だからこそ、話せることもあると思いますよ」


「……は?」


「相談窓口とかも、相手が他人だからこそ気兼ねなく話せたりするじゃないですか」


 少女は善意からか柔らかく微笑み。


「ここで会ったのも何かの縁ですし。何か悩み事があるなら、私に話してみてください。話せば、少しは楽になると思います」


 柔らかい笑顔のまま、距離だけは容赦なく詰めてくる。


 丁寧な口調のわりに、妙に踏み込んでくる感じがある。

 太陽は少しだけ千絵に似ていると思った。


 相手は今日この街に来たばかりだと言っていた。

 顔立ちからして、中学生か高校生。

 少なくとも大学生や社会人には見えない。


 彼女の言う通り、他人だからこそ話せることもあるのかもしれない。


 だが、これから同じ街に住む相手だ。

 下手をすれば、どこかの学校に転校してくる可能性もある。


 そんな相手に、自分の傷を吐き出していいのか。


 しばらく迷ったが、太陽は重い息を吐いた。

 喉につかえていたものを、少しだけ外に出したくなった。


「……じゃあ、会って間もない相手だけど、せっかくだから聞いてもらうかな」


「はい。分かりました」


 少女は、真剣な顔で頷いた。


 太陽は、ゆっくりと口を開いた。


――――十分後。


 太陽の悩みを聞いた少女は、完全に黙り込んでいた。


 最初の方は、うんうんと相槌を打っていた。

 しかし、話が進むにつれて表情は曇り、最後には、悩みを吐露した太陽ではなく、彼女の方が顔を伏せていた。


「えっと……ですね」


 少女は、慎重に言葉を探す。


「まさか、ここまで本格的な悩みだったとは……。もう少し、こう、フランクな悩みかと思っていました」


 申し訳なさそうに両指をもじもじさせる少女。


「私、恋愛とかあまり分からないのですが……」


「なんだなんだ? 人に悩みをぶちまけなさいみたいなこと言ったくせに、いざ相談されたらできませんとか言わないよな?」


 太陽が意地悪く笑うと、少女はむっとした。


「そんなことは言いません」


 少女は胸を張る。


「確かに私は、生まれてこの方、恋愛をしたことがありません」


 少女は燃えるように拳を突き上げ。


「ですが! 一度受けた悩み相談から逃げるつもりはありません!」


 空回っているような勢いだった。


 けれど、ふざけているわけではない。

 態度は至って真剣だった。


「一度整理しますね」


 少女は指を一本立てる。


「あなたは、大好きだった彼女さんに振られた」


「うん」


「その彼女さんを忘れるために見た目を大きく変えた」


「……うん」


「けれどやっぱり忘れられず、前に進もうとしたものの、多数の女性に惨敗している」


「言い方」


「違いますか?」


「……合ってはいるけど、もう少し気遣いをくれ。改めて言われると案外傷つくぞ」


「あ、ごめんなさい!」


 少女は勢いよく頭を下げる。

 太陽は苦笑し、ふと気づいた。


「そういえば、俺たち自己紹介してなかったな」


「あっ」


「さっきから『あなた』とか『古坂さん』って呼ばれるのもなんか変だし、今更だが、自己紹介しようぜ」


 太陽は軽く息を吐く。


「俺の名前は古坂太陽。で、あんたは?」


 名前を聞かれた少女は姿勢を正した。


「古坂さん、ですね。覚えました」


 それから、自分の胸に手を当てる。


「私の名前は、晴峰(はるみね)御影(みかげ)です。前の学校では、みーちゃんだったり、ミカだったり呼ばれていました。お好きにお呼びください」


「本人から許可をもらったのはありがたいけど、初対面だし、普通に晴峰って呼ばせてもらうよ」


「分かりました。では私は古坂さんと呼ばせてもらいます」


 互いに自己紹介を終え、太陽は今日引っ越してきた御影に笑いかけ。


「同じ土地に住む者同士、よろしくな、晴峰――」


 そこまで言いかけて、太陽は口を止めた。


 晴峰御影。


 その名前に、聞き覚えがあった。

 そして、顔にも、見覚えがある気がした。

 だが、それがどこでなのか、思い出せない。


「……晴峰、御影」


 太陽は小さく繰り返す。


 どこだ。

 どこで聞いた。

 どこで、この少女を知った。

 いや、違う。太陽はどこかで彼女と出会ったことがあるはず。

 

 どこで――――。


「あの、古坂さん?」


 御影が不安そうに声をかける。


「どうしたんですか? そんな、考える人みたいな……いえ、何かを捻り出そうとしているみたいな顔をして」


「その例え、もうちょっとどうにかならなかったか?」


 太陽は額を指でなぞり、誤魔化すように笑った。


「悪い。悩み相談の途中で違うこと考えてた。話を続けてくれ」


「は、はい。分かりました」


 御影はまだ少し不思議そうにしていたが、すぐに表情を改める。


「古坂さんの悩みは、過去に振られた傷を癒すために、元カノさんを忘れて前に進もうとしている、ということですよね」


「ああ」


 御影は目を伏せた。

 その瞳に、少しだけ憂いが混じる。


「ですが、全てを忘れたとして、それは……本当に前に進んでいると言えるのでしょうか?」


「……どういう意味だ?」


 太陽の声が低くなる。

 自分のやり方を否定されたように感じたからだ。

 御影は少し緊張したように、けれど逃げずに太陽を見る。


「すみません。恋愛経験もなく、あなたの事情を全部知っているわけでもない私が言えば、何も知らないくせにと思われるかもしれません」


 御影は真っすぐした目を太陽に向ける。


「でも、古坂さんの失恋と、私の挫折に少しでも似ている部分があるなら……私は、古坂さんのやり方を前に進むことだとは思えません」


「お前の……挫折?」


「はい」


 御影は、雲が流れる空を仰いだ。


「少し、私の話をしてもいいですか?」


「……別にいいが」


 ありがとうございます、と御影は礼を言い話し始める。


「私の母は、昔、陸上の中距離選手でした。世界大会にも出場したことがあります」


「へえ……すげえな」


桜ノ宮(さくらのみや)(りん)、という名前に聞き覚えはありませんか?」


「桜ノ宮凛……って、あの?」


 太陽も、その名前くらいは知っていた。

 現役時代は幾度も世界大会に出場する程の日本を代表する陸上選手。

 引退後も陸上関連の特集番組で名前を聞くほどの有名人。

 陸上界では、今もなお語られる存在だ。


「はい。その人が、私の母です」


「マジかよ……」


 思わず声が漏れた。


 そんな有名人の娘が、目の前にいる。

 驚くなという方が無理だった。


 御影はその反応に慣れているのか、少しだけ苦笑する。


「母は、陸上に関してとても厳しい人でした。物心ついた頃から、私は走るための教育を受けてきました。雨の日も、風の日も、雪の日も」


「……辛くなかったのか?」


「辛かったですよ。何度も足の豆が潰れました。血が出て、歩くだけで痛かった日もあります」


 それでも、と御影は静かに笑った。


「けど、逃げたいとは不思議と思いませんでした」


「どうしてだ?」


「走るのが、好きだったからです」


 御影は自分の長い髪にそっと触れた。


「母の夢を背負っていたから、というわけではありません。最初は母に勧められたからでした。でも、走っているうちに、私自身も走ることが好きになったんです」


 その表情は、少し誇らしげだった。


「いつか、偉大な母を超える。それが私の目標でした」


「……でした?」


 太陽は、その過去形に引っかかった。


「今は違うのか?」


「違うわけではありません。ただ、その前に果たさなければならないことができたんです」


 御影は、背中まで伸びた黒髪を一撫でした。


「昔の私は、正直、天狗になっていました。母から受け継いだ才能。恵まれた環境。優秀なコーチ。そして、自分なりの努力」


 御影の声が、少しだけ低くなる。


「私は、それまで一度も陸上で負けたことがありませんでした。だから、負けるわけがないと本気で思っていました」


 そこで、彼女は言葉を切った。


「――あの時までは」


 その一言に、太陽の心臓が跳ねた。


 脳裏に、一瞬だけ映像がよぎる。


 泣きじゃくる少女。

 悔しさに顔を歪め、誰かに向かって叫んでいる姿。


 太陽は、ようやく思い出した。


 この少女に、会ったことがある。


 ただし、御影は覚えていないのだろう。


「ここには、父の仕事の都合で引っ越すことになりました」


 あの時は、誰かの顔を覚えていられるような状態ではなかったはずだ。


「両親には、前の街に残って一人暮らしをしてもいいと言われました」


 御影は、太陽の反応に気づかず続ける。


「けれど、私はこの街へ来ることを選びました」


「……どうしてだ?」


「ここに、約束を交わした相手がいると知ったからです」


 太陽は息を呑んだ。


 知っている。


 太陽は、その相手を知っている。


「全国大会に出ても、その人に会える保証はありません。でも、同じ街にいれば、もう一度走れるかもしれない」


 御影は真っ直ぐ前を見た。


「偉大な母を超えるという私の夢は、その人に勝ってから始まるんです」


 太陽の喉が、からからに乾く。


「私が勝ちたい相手は――」


 御影は、迷いなくその名を口にした。


「渡口光さん。私が認めた唯一のライバルです」


 やっぱり、そうだった。


 太陽は、乾いた喉を鳴らす。


 忘れようとしていた名前は、今日また別の誰かの口から、当然のように太陽の前へ戻ってきた。

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