第9話 出会いは突然に
橋の高欄に肘をつき、太陽はぼんやりと川を眺めていた。
先日の雨で増水した川は、いつもより速く流れている。
「はぁ……」
吐き出した溜息は、川音に紛れて消えた。
「マジで今日の合コンは散々だったな……。まさか、あんなこと言われるとは……」
水面に歪んで映る自分の顔を見て、さらに笑いが込み上げる。
今日は土曜の休校日だった。
特に予定もなく、自宅で暇を持て余していたところ、急遽知り合いから合コンに誘われた。
男女五人ずつの集まり。
本来参加予定だった男子が来られなくなったらしく、代わりとして太陽に白羽の矢が立った。
特に断る理由もなかった。
だから、指定されたカラオケ店へ向かった。
そして今、太陽はそれを後悔している。
別に騙されたわけではない。
賭けの対象にされたわけでも、来たことを笑われたわけでもない。
むしろ、参加していた他校の女子生徒たちは、太陽を歓迎してくれた。
それでも太陽が後悔しているのは、最後に言われた一言が胸に深く刺さったからだ。
『古坂君ってさ……本当に私たちを見てる?』
参加していた女子の一人が、代表するようにそう言った。
『心ここにあらずっていうか、必死っていうか……。恋人を作りたい気持ちは分かるよ。私たちもそうだし。でも、古坂君の場合は少し違う気がする』
その子は、少し言いづらそうに目を伏せた。
『何かを忘れたがっているように見えるんだ。正直……少なくとも私は、そんな人とは付き合いたくないかな』
太陽が他の参加者たちへ視線を向けると、皆、気まずそうに顔を逸らした。
全員が、同じようなことを感じていたのかもしれない。
「……もしかして、今まで俺が誰とも付き合えなかったのって、皆、同じことを感じてたからなのか?」
未練がましい男は嫌われる。
それくらい、太陽にも分かる。
心の隅に、元カノの影がある。
もちろん、相手がそんな事情を知るはずもない。
けれど、太陽は態度に出やすい。
それに、相手も鈍くはない。
太陽が目の前の相手ではなく、別の誰かを見ていることくらい、分かっていたのかもしれない。
「もういっそ、インチキ催眠術師にでも縋りたい気分だぜ」
太陽は高欄に額を軽く当てる。
「いつまでも胸の奥で燻ってるあいつへの想いも記憶も、根こそぎ忘れさせてくれないかな……」
幼馴染であり、恋人だった渡口光。
彼女に振られてから、太陽の心には大きな傷が残った。
そしてその傷は、太陽が思っている以上に深く、今も精神を蝕んでいる。
他の女子と話していても、無意識に光と比べてしまう。
光ならどう言っただろう。
光ならどう笑っただろう。
この子は、光みたいに俺を裏切らないだろうか。
女性不信。
その一言で片づけるのは簡単だ。
けれど、太陽にとってはもっと根深いものだった。
新しい恋で傷を埋めたい。
そう思っていたはずなのに、いざ誰かと近づくと、また傷つくことを怖がって、最後には自分から距離を取ってしまう。
「何がしたいんだ、俺は……」
一年間、自分なりに変わろうとしてきた。
髪を染め、ピアスを開け、軽い言葉を覚えた。
中学までの自分とは違う人間になろうとした。
チャラけた自分を演じている間は、少しだけ楽だった。
気恥ずかしさも、周囲からの冷たい視線もあった。
それでも、過去の自分でいるよりはマシだった。
だが、どれだけ外側を塗り替えても、中身までは簡単に変わらない。
今日、それを他人に突きつけられた。
「……まさか、俺がここまで未練がましいヘタレ野郎だったなんてな」
太陽は乾いた笑みを浮かべる。
「いや。中学の頃から、その片鱗はあったか」
中学の頃の太陽は、いつも教室の隅にいた。
特定の仲のいい相手とだけ話す、地味な生徒。
一方で光は、いつもクラスの中心にいて、皆を引っ張る人気者だった。
そんな光に対する劣等感から、太陽はずっと、自分の気持ちを押し殺していた。
好きだった。
ずっと、好きだった。
けれど、告白して関係が壊れるくらいなら、友達以上恋人未満のままでいい。
そう思っていた。
千絵や信也に背中を押されても、なかなか踏み出せなかった。
それでも最後には告白した。
何もしないで壊れるくらいなら、踏み出して後悔したかったから。
結果が今だ。
あの時、踏み出さなければよかったのか。
それとも、踏み出したからこそ、一度でも幸せになれたのか。
そんな答えの出ない問いを考えて、太陽はまた笑った。
「それにしても、俺は千絵や信也に迷惑かけっぱなしだな」
あの二人がいなければ、光とは一度も関係を進められなかったかもしれない。
そして今も、二人は太陽のことを気にかけてくれている。
「せめて、何か礼くらいはしないとな」
ふと、太陽は思う。
「俺の恋愛に協力してくれたんだし、今度は俺があいつらの恋愛でも後押ししてやるか」
言ってから、太陽は首を傾げた。
「……そもそも、あいつらに好きな相手っているのか?」
考えてみれば、信也や千絵の恋愛事情など、まともに聞いたことがない。
自分のことで手一杯だった。
二人のことを見ているようで、何も見ていなかったのかもしれない。
「今度、殴られる覚悟で聞いてみるかな」
太陽は背筋を伸ばした。
空元気でもいい。
無理やりでもいい。
少しでも別の方向を向いていないと、また同じ場所に戻ってしまいそうだった。
合コンでの言葉は、確かに胸を抉った。
けれど同時に、何かを吹っ切るきっかけにもなったのかもしれない。
「まあ、それでも、恋愛だけが人生じゃないしな」
太陽は川面を眺めながら呟く。
「何か、俺でものめり込めるものを見つけないと」
無理やりでもそう思わなければ、前に進めない気がした。
その時だった。
〜〜〜♪
ズボンのポケットから、初期設定の着信音が鳴った。
「ん? 誰だ?」
太陽はポケットから携帯を取り出そうとする。
「……ヤベッ!」
高欄に手を付いた事で指先に水が付着していた。
携帯は滑り、太陽の手からこぼれ落ちる。
しかも、落下先は橋の内側ではない。
高欄の向こう――川の上だった。
「おりゃあ!」
反射的に、太陽は高欄へ身を乗り出した。
指先が、宙に浮いた携帯を掴む。
「よし! 取れた」
そう思った瞬間、腹にかかっていた重心がぐらりと傾いた。
「――は?」
視界が回る。
空が流れ、代わりに川面が視界いっぱいに広がった。
落ちる。
そう理解した瞬間、背筋が凍った。
昨晩の雨で川は増水しているが、元々浅い川だ。
頭から落ちれば、底にぶつかるかもしれない。
「ちくしょう!」
太陽が一心不乱に足をばたつかせた、その時だった。
「自殺はダメぇええええええ!」
「は?」
場違いな叫び声に、太陽の思考が一瞬止まる。
直後、横から強烈な衝撃が来た。
「ぐ――へぇっ!?」
誰かに体当たりされた。
腹に腕を回され、そのまま歩道側へ引き倒される。
背中と後頭部に、アスファルトの硬い感触が走った。
「な、何を考えてるんですか!」
興奮した女の子の声が、すぐ近くで響く。
「見た感じ、私とあまり歳が変わらないのに自殺しようとするなんて! 親御さんが悲しみますよ!? どんな形であれ、子供には生きていてほしいと思ってるんです! 悩みがあるなら私が聞きます! だから、自殺は思いとどまってください!」
女の子は太陽の腹に顔を埋めたまま、ものすごい勢いで捲し立てる。
正直、体の節々が痛い。
あと、顔を埋めて話すためくすぐったい。
「ていうか、どんな厄日ですか! 今日引っ越してきたばかりで、街探索を兼ねてジョギングしてただけなのに、自殺志願者と鉢合わせるなんて! 私、この街でやっていけるか不安になりました!」
どうやら、今日この街に来たばかりらしい。
田舎へようこそ、とでも言えばいいのだろうか。
だが、押し倒された拍子に頭を打ったせいで、意識がくらくらする。
太陽は朦朧としながら、どうにか声を絞り出した。
「……俺……別に自殺志願者じゃ……ねえんだけど」
「え?」
女の子が、太陽の腹から顔を上げた。
薄れていく意識の中、最後に見えたのは――
風に揺れるポニーテールと、傾き始めた午後の日差しに照らされた、見知らぬ美少女の顔だった。




