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峠の旗  作者: 三峰三郎
5/11

峠の旗 5

 雪解けのせせらぎが山間に響き渡っていた。

 信蕃の一行は、小諸城から諏訪に滞陣しているという織田信忠に謁見するため、和田峠を越えようとしていた。


「常陸守殿、諏訪へ行ってはなりませぬ」


 常陸守とは、信蕃の官位名である。

 前方から声をかけられた一行は、皆、一斉に抜刀して身構えた。

 しかし、その者が家康からの飛脚だと知ると、みな安堵し鞘に納めた。


「我らは織田に降る。さもなくば竹福丸たちがどうなるか知れぬ」


 信蕃は納めた刀の柄を音がなるほど強く握りしめた。

 昨日、小諸城において森長可と対面したのは、人質となっている嫡男竹福丸と次男福千代丸を引き取るためであった。

 しかし、主君の意向を聞かねば判断しかねるから織田信忠に直接、投降の意志を示すよう森長可に言われたのである。

 やむなく信蕃は諏訪にいるという織田信忠のもとへ向かっていた。


「織田本陣へ行ってはなりませぬ。殺されまするぞ」


 再び山道を歩き出そうとする信蕃を、飛脚の者が必死の形相で引き留めた。


「何故だ。わしは徳川殿に許されて田中城を明け渡したのだ。もとは武田家の者と言えど、殺されるいわれはない」


 なおも進もうとするも、飛脚の者が縋りついて離さない。


 その者の話では、武田の城を守っていた武将たちは投降したにもかかわらず、織田軍に捕らえられた後に悉く殺されているという。いまだ行方の知れぬ武田家臣は、見つけ次第に処罰を下すようにと、名簿を添えて家康は信長に命じられたらしい。

 なかでもまっさきに上がっているのが、信蕃の名だという。


 この飛脚は、織田に捕らえられる前にこのことを伝えるよう、家康が遣わしたのである。家康はしばらくの間、徳川領にて信蕃を匿ってくれるという。


 話を聞き終えると、信蕃は傍らに立つ木に拳を打ちつけた。

 家康の好意は嬉しかった。しかし、息子たちが待っていると思うと気が気ではない。

 目を閉じ、奥歯を噛み締める。

 暫くの後、だらりと拳を下ろすと、


「徳川殿に、お会いする」


 信蕃は、静かに言った。


 遠江の小川という地に隠れ住むことになった信蕃のもとに驚くべき報せが届いたのは、梅雨が明け、夏の気配を感じるようになった頃のことだった。

 織田信長が洛中の本能寺にて、織田家臣、明智光秀に殺されたという報せだった。

 それを聞いた信蕃は、暫くの間、茫然としていた。

 武田家が滅亡してから三月しか経っていない。

 家康からの使者は、さらに続けた。


「依田殿にはこれより混乱に陥っているであろう甲信両国に赴き両国を治めてもらいたい、との仰せにござりまする」


 要するに、京都にいる家康の代わりに、徳川領として支配できるよう手をまわしておいてくれ、ということだろう。

 これは信蕃にとっても好機であった。信濃佐久郡の本領を回復できる機会だからである。

 信蕃は、共に小川に隠れ住んでいた数人の従者を連れて、すぐさま甲斐へと向かった。


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