峠の旗 4
天正十年(一五八二)の二月が終わろうとしていた。
徳川軍に城を包囲されて、十日ばかりが過ぎた。
「武田家の滅亡は、今日、明日にも迫っておる。速やかに城を明け渡し、我らのもとに来てはくれぬか。殿はそなたの節義に痛く感じ入っている。必ず軽くは扱わぬ」
徳川の使者は、信蕃の前で平伏した。
「その好意、かたじけない。しかし、籠城の身ゆえ外の虚実は全くわからぬ。お屋形様の存亡も国の推移もわからぬまま、了承を得ずにこの城を捨てることなどできぬ。主家が滅びれば、我らもこの城と共に滅びるのみ」
信蕃は、徳川への降伏を頑なに拒んだ。
この二日後、再び使者が訪れた。田中城を早々に明け渡すようにという、穴山梅雪からの書を持ってきたのである。
この時、信蕃ははじめて主の宿命を予感した。
穴山梅雪は武田信玄の甥にあたる譜代家臣である。その穴山梅雪が徳川に寝返ったのである。
(なんたる様か)
信蕃は唇を噛み締め、強く拳を握った。
しかし、武田滅亡必須の現状、城を捨ててでも主を守るのが道理というものではないか。
信蕃は逡巡した。
(これで二度目か……)
信蕃は田中城の明け渡しを決意するも、徳川の使者には条件を提示した。
「もはや拒む理由はない。ただし、二俣城の時と同様、大久保忠世殿を通してお渡ししたい。このことが許されぬのであれば、城を枕に討ち死にする覚悟である」
こうして三月一日、田中城は徳川の家臣、大久保忠世によって開城した。
開城の際、大久保忠世は、徳川家に仕えてくださるならば信濃の本領を安堵致す、と家康の意を伝えるも、信蕃は、
「勝頼様が亡くなったと知った暁には、家康様の恩に応えたい。されど、今は安否を確かめるのが先だ」
と返答。直ちに信蕃は田中城から甲斐へと立ち去った。
甲府盆地は、いたるところで黒煙が立ち昇っていた。
新たに築城された新府城があったと思われる付近には、織田木瓜旗が無数に翻っている。
(いたしかたない)
信蕃は、身を潜めつつ、信濃へと歩を進めた。
勝頼が天目山にて自害した、という報せが届いたのは、かつて本拠としていた佐久郡春日城にやっとの思いでたどり着いた直後のことであった。
「すでに甲斐、信濃の各城は織田軍に制圧されつつあるとのこと。進退、如何にすべきでしょう」
甥の信守が不安げな表情を向けてきた。信守だけでなく、他の家臣たちもやつれ切った顔をこちらに向けている。
「やむを得ぬ。我らは織田に降るほかあるまい」
己ひとつの身であれば、主の生死をこの目で確かめるべく天目山に急行していたかもしれない。しかし、家臣を前に自儘は言えなかった。
さらには、息子たちが小諸城にて人質に取られていた。もともと武田の質として、小諸城にいたのだが、織田家臣の森長可によって接収されていたのである。
小諸城にて信蕃が森長可と対面したのは三月十四日のことだった。




