峠の旗 3
天正三年(一五七五)十二月二十四日、信蕃は父と共に一年間、徳川の猛攻から守り抜いた二俣城を明け渡した。
約束は前日の予定であったが、小雨が降っており、城を守り抜いた味方が退くにはあまりにもみすぼらしいと、延期を願い出て晴れた翌日に堂々と城を渡した。
それから信蕃は、家臣たちを引き連れ、高天神城へと移った。
さらに駿河西部の田中城の城主に任じられたのは、天正八年(一五八〇)十月のことだった。
しかしこの頃、武田家は徐々に勢力を失い始めていた。
天正三年(一五七五)の設楽原の戦において、武田軍は大敗を喫した。多くの重臣をこの戦で失った勝頼だったが、領土拡張の手を緩めなかった。
信蕃が田中城主に任じられた翌年、高天神城が徳川軍の徹底した包囲陣により陥落した。天正九年(一五八一)三月二十二日のことだった。
高天神落城を皮切りに、武田領内に不穏な空気が流れはじめた。武田家崩壊の予感が領内に沈殿しはじめたのである。
そして、天正十年(一五八二)二月。武田領に敵が一斉に侵攻を開始した。織田、徳川、北条の大軍が各方面から一斉に襲い掛かってきたのである。
信蕃のもとに、田中城から三里ばかり南の小山城が自落した、という報せが届いたのは二月十七日のことだった。
三日後、大軍の地鳴りが南から押し寄せたかと思うと、幾重にも田中城を包囲した。そして徳川軍は、間髪入れずに大手曲輪に攻撃を仕掛けてきたのである。
田中城は、同心円状に堀と土塁が配置されており、他に類を見ない城の構造をもっていた。
少数の味方にとって、最短で敵に対処することができるため、守りやすい形状である。
「武田家はすでに滅亡寸前である。駿河だけでなく、信濃や相模方面からも敵が侵攻してきているらしい。徳川に投降すべきじゃ」
ともに田中城を守る三枝虎吉が、血相を変えて信蕃に詰め寄った。
「降伏など断じてせぬ」
信蕃は、腕を組んで泰然と座したまま言った。
「主家が滅びては、この城を守る意義などないではないか」
虎吉は唾を飛ばしながら訴える。
「武田が滅びるかどうかは、二の次じゃ」
かっと目を見開いた信蕃は、虎吉を睨み据えた。
「……では、何故」
少し怯んだ表情の虎吉が、口籠る。
「一度引き受けたことは決して曲げてはならぬ。わしは田中城を守るよう命じられているのだ。己の意志で変えていいことではないわ。降伏するくらいならば、死を選ぶ」
信蕃の脳裏には、父の死に顔が浮かんでいた。
父は忠節を尽くして死んだ。それを裏切ることはしたくない。
「田中城を、死守せよ」
信蕃は、脇に置いてあった形見の刀を引っ掴むと、大股で戦場へと向かった。
徳川軍は、田中城を一日中攻め立てた。しかし、容易に屈しないと見たのか、軍の一部を残すと甲斐へと北上を開始した。
これをみた信蕃は、城から討って出て背後から襲い掛かるも、鳥居元忠が率いる殿軍により、田中城への撤退を余儀なくされた。




