あいこ呪術
誰も何もしゃべらない。
エンジン音と舟が水を掻き分ける音だけが聞こえる。
緊張感ばかりがある。落ち着かない。
七大十は立ったり座ったりを繰り返していた。
「見えて来たね」
佐天の声に前へ視線を飛ばすと鬱蒼とした森が見えてきた。川は飲み込まれるように、森の奥へと続いている。
入り口に掛けられた桟橋。周辺で野営をするのか、そこら一体だけ草むらが剥げて土が見えていた。
急に舟が減速する。
見ればかん太が札を剥がしていた。「もったいないからさ」と、舵取りと甲板の掃き掃除、そしてエンジン内の灰の後処理を、風を纏ったような手際でこなす。
他の舟の操舵者も同様に札を自分に貼って、作業していた。
(……そういう使い方もあるんだ)
五隻の舟が停泊した。
七大十が降りると、佐天と目が合った気がした。
朗らかな笑顔。
「森に入る前にここでやっちゃおうか」
(——来た)
体がまだ揺れている感覚。三半規管がやられてる。
(早く、戻さねえと)
七大十が(効果あるか知らんけど)と、足の裏をべったり地面につけるイメージで腰を落とした。
「戦闘形式は『あいこ呪術』だ」
佐天が言った。
七大十が斜め前に視線を送ると、江弥華が無言で頷いている。
(……説明なしか)
と、かん太を見やるが、
「先攻と後攻に分かれて同じ呪術をぶつけ合う。それがあいこ呪術だ」
佐天が言った。なんだか妙に目が合う。
(あ、オレに説明している……?)
七大十がコクリと頷くと、佐天が微かに頷き返した。
「札か供物が尽きる。式神が破壊される。陰陽師が降参また戦闘不能になる。このどれかに陥った方が負けだ。もちろん戦闘不能の判断は僕だ。いいね?」
(呪術のぶつけ合いなのに、式神が破壊……? てか、オレだけ命掛かってんだけど……、いや向こうもか……)
七大十が悠翼の式神の反応を窺った。
汗で貼り付いたワイシャツ。盛り上がった肩筋の間から、虚空を見つめる死んだ目が見えた。
「ただ今回は、江弥華、君はずっと後攻だ」
(——は?)
佐天の言葉に思考が止まる。
しかし江弥華は「ああ」と気付いたときには了承していた。
すかさず悠翼が叫ぶ。
「待てよ! 俺が有利すぎんだろ!」
初めて彼と意見が合った。
七大十が激しく首を縦に振って、(こっちは命掛かってんですけどー!!)と佐天にハンデの撤回を求めた。
「——何言ってるんだい?」
佐天が笑顔を深めた。
江弥華に報告書を書けと詰めたときの、見覚えのある笑顔だ。
「君が常に先攻で、ようやく勝負になるんだよ?」
「ろくに俺の戦闘をみたことねえのに、よくそんなことが言えるな」
「はいはい、分かった。じゃあ君が江弥華に勝てたら、僕が昇級の推薦人にならろう」
めんどくさそうに言った佐天の言葉に、悠翼の眼の色が変わった。
「……その言葉、忘れるなよ」
吐き捨てた悠翼が獰猛な目つきで江弥華を睨んだ。
「じゃあ、他の皆は下がってー。場所開けてー。江弥華と悠翼は、いい感じに離れてねー」
縦に並んで草むらを進む。
「作戦は……?」
声をひそめて問う。
煙草を咥えた江弥華が視線を寄越した。
「支援はしてやる」
微かに上がった口角。試すような視線。
江弥華が煙草に火をつけた。煙を吐く。
「やり方は問わん。殺せ」
脳髄を電流が駆け抜ける感覚。
(――山姥のときと同じ命令)
七大十の両手が拳を握る。
「リベンジ、させてもらうよ」
江弥華がこちらに正対する。煙草の先が赤く灯りーー。
「始め!」の合図が轟いた。
江弥華のすぼめた口。
――ふぅっ。
吹きつけられた煙。
食う。
「行け」
「応!」
踏み出す一歩。
七大十の身体が黒煙と化した。
暗転する視界。
「発・磊投破家ァ!」
悠翼の怒号。固い何かが身体を抜ける感覚。
「発・磊投破家」
晴れた視界。同時に聞こえる石がぶつかり砕ける音。
「あ?! ズリィだろ、くそ!」
悠翼が次の札を振る。
「発・閻魔火爪!」
眼前へと迫る炎の針。
たまらず七大十が身体を右に傾けるが、
「発・閻魔火爪」
頬を掠めるように飛来した火爪が、七大十の退路を絶った。
切り結んだ二本の火爪が爆ぜる。
「止まるな! 進め!」
舞振る火花。
七大十が見定めた先。
悠翼が団子を式神に食わせている。
「おぉーー!」
踏み出す。恐怖心を吹き飛ばす雄叫びが黒煙に飲まれる。
刹那に晴れる視界。目の前を落ちる赤い団子。
「――アグッ!」
海老が口内に広がると同時に伸びる鉤骨。
焦った顔の悠翼がポーチをまさぐる。
彼我の距離、数メートル。
振り上げた右手。地を蹴る右足。
(――いける!)
突き刺した鉤骨の先から煙と揺らぎ。
(――殺れ!)
黒煙の槍と化す。
「守れェ!!」
ガギィィン!!
指先に感じる鉄板のような固い感触。
晴れゆく視界に映る、白と橙の縞模様。
七大十が目を見開いた。
「貝殻……?!」
蛤のような二枚貝。しかし薄く空いた隙間からギュッと目を瞑ったマッチョサラリーマンの顔が見える。
「――肩甲骨か!?」
そう気づいたとき、無意識に力を抜いた。
「集中しろ!」
江弥華の叱責。
バタンと閉じた貝殻。
その後ろから青白い光がカッと光った。
「死ね!」
振り上げられた札。勝ちを確信した悠翼の顔を照らし出す。
「――ヤバッ……!」
「チッ」
真後ろからの舌打ち。
七大十の肩を踏む江弥華のブーツ。
「「斬・一刀焔!」」
十字に切り結ぶ豪炎の刃。鍔迫り合い。熱が顔を焦がす。
ブーツが肩に食い込む。
「ぐッ……!」
肩に食い込むブーツ。
江弥華が押されている。
足場は自分の肩とマッチョサラリーマンの貝殻だ。加えて指に煙草を挟んだ状況。押し返すなど土台無理な話だ。
(俺が崩れたら終わりだ!)
七大十が踏ん張り、身体を突っ張らせるが、
「今だ! 引け!」
ブーツが肩を蹴った。
江弥華が両足で貝を蹴り倒し、悠翼の力を利用して後方へ飛んだ。
七大十がよろめき、足を出す。、しかし黒煙化しない。
「江弥華! 鬼態術がきれてーーグエ!?」
鎖が引かれた。身体が浮く。
江弥華が鎖を操り、自身の足元に七大十を手繰り寄せた。
七大十が両手をついて着地する。
「ごめん!」
すぐに顔色を確認する。
「ぐあぁぁ……!!」
突然、こもった絶叫が響いた。
ポーチを弄る悠翼が爛々と輝く目を向けている。その足許、黒々と焼き跡がついた二枚貝が開いた。漏れ聞こえる嗚咽。
「……嘘だろ」
信じたくなかった。
隣で江弥華が鼻で笑う。
「フッ、硬いな」
面白がるような声音。煙草が口に運ばれる。
「動きは悪くなかった。次だ」
江弥華が吐いた煙。七大十が喰らう。
しかし踏み出せない。
「呪素だ! 早く食え!」
唾を撒き散らす悠翼。
貝を無理矢理こじ開け、鷲掴みにした団子を嫌がるマッチョサラリーマンの口にねじ込んだ。
立ちすくむ七大十に江弥華が叱責する。
「何してる! 好機を逃す気か!」
前方へ投げられた黄色い団子。
「殺ってやる!」
足を出す。黒煙化。
暗転する刹那、「おらあ!!」悠翼が足を振り上げた。
視界が晴れる。
目の前を落ちる団子。口を開ける七大十。影が落ちる。
団子の後ろから壁。否、白と橙。巨大貝が迫っていた。
(――関係ねえ!)
開けた口に転がり込んだ団子。
思い出す、磊投破家が身体を透過する感覚。
(今のオレには関係ねえ!)
地を蹴った。
黒煙化。しかし物体が身体を抜ける感覚がない。逆に壁に身体を押し付けるような——。
(――いや、押し返されてる!?)
「ぐあ!?」
後頭部を強打した。
弾みで口から団子が飛び出す。
胸から下にのしかかる重み。
七大十は貝の下敷きになっていた。
「クッソ……!」
どかそうにもビクともしない。
「そうだ……終われる……!」
貝の中から声がした。
隙間が開く。中から伸びた手が七大十の首を絞めた。
「お前と死ねば! お前と死ねば! お前と死ねば!」
貝が開いていく。七大十の首に体重を乗せてくる。指が食い込み気道を塞ぐ。
蒸気と熱。汗。赤々と蒸し焼きにされた肌。しかしそれ以上に赤く充血した眼が七大十を見下ろした。
「死ねぇー! 死ねぇー! 死ねええぇぇーー!」
「ギャッハッハッハ! いいぞ陸樹! そのまま押さえてろ!」
悠翼の狂笑。
青白い光。
陸樹が歯を剥いた。山小屋を見つけた遭難者のような、安堵と解放感と達成感、そして殺意がないまぜの歪な笑み。
(——コイツ、自分ごと殺される気か!)
頭上に転がった団子。七大十が必死に手を伸ばす。薄れゆく意識。
「発・餞火左義——!!」
歓声のような声。悠翼が呪文を唱え始めた。
七大十が団子を睨む。
「グォーーーー!!」
声にならない雄叫びを上げて手を伸ばす。
——ダン!
目の前。視界に割り込んだブーツ。爪先に反射する青白い光。
江弥華の落ち着いた声音が降り注ぐ。
「発・餞火左義?」
江弥華が不自然に詠唱を切り上げた。
一際、輝きを増した札。陸樹が「ひぃ!!?」悲鳴を上げた。
しかし発動しない。
江弥華が「先を続けろ」と言わんばかりに、眉を上げて悠翼を見つめている。
膠着。
悠翼の詠唱が聞こえてこない。
「……どうした? 撃ってくれねば私も撃てないのだが?」
江弥華が悠翼を煽りながら、札を陸樹の顔に近づける。
陸樹が七大十の上から体をどかした。手が離れる。そして両手を上げて後ろに下がる。
七大十が咳き込みながら身体を起こした。指先に当たった黄色い団子。(……念のため)と悠翼たちにバレないように拳の中に隠して、起き上がる。
悠翼が悔しそうに札を下ろした。札から光が消え、元の黒字に戻っていく。
「さっさと戻れよ、愚図が!」
「すいません……すいません……」
八つ当たりされた陸樹が手を挙げたまま、悠翼の前まで戻った。
「あいこ呪術の必勝法は、相手がすぐに対応できない呪素量の呪術を放つことだぞ。……まあ、青目青髪を相手にそれをやるのは難しいがな。だが今ならできるんじゃないか? ……ほら、いくらでも待ってやるぞ?」
そう言って、江弥華が二本目の煙草に火をつけた。
副流煙。江弥華が吸って吐いた煙が七大十の体に染み込む。
鬼態術が発動して、膝から下が靄のように霞む。
「ぇ……?」
横目で見た江弥華は気付いていないのか、それとも演技なのか、いつも通りの無表情。
「……助言はしないんじゃなかったかよ?」
悠翼の口元が歪んでいる。笑顔が隠しきれていない。
江弥華が「覚えがない」と言わんばかりに眉をひそめた。ご丁寧に顎に手を当てて首まで捻っている。
それは、いつも通りの江弥華ならしない仕草だ。
(……もしかして後攻縛りなのは呪術だけ? 鬼態術は関係ない……? ていうか、まっさきに黒煙化したのオレじゃん! じゃあ、オレが待ってる必要ないじゃん!)
七大十が隙を伺う。隠し持った団子を拳の中で転がした。
悠翼がニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、ポーチに手を忍ばせる。
陸樹は悠翼の盾に徹しながらも、いつ団子が飛んで来るか、後ろばかりを気にしている。
(……気付いてない……)
悠翼が団子を三個も取り出した。
「おい!」と悠翼が団子を振りかぶり、「はい!」と陸樹が後ろを振り返った。
(——ここだ!!)
七大十が団子を口に放り込んだ。
倒れ込むほどの前傾姿勢。
進む先。目線の先。
大盾のように聳えた二枚貝——それを支える二本の足——さらにその間。
(石礫は透過して、巨大貝は透過できない。——なら、人の股下なら、どうだ!)
七大十が地を蹴る。
黒煙化。
暗転する視界。
暗闇の中感じる。トウモロコシの風味。振動する歯。そして何かを潜り抜ける感覚。
晴れた視界。
悠翼が一人。目が合う。
(——キタ————ァァア!!)
「アガガ——!!」
歯弾が炸裂する。
悠翼の対応も早い。決死の形相。前方の地面に投げつけた札。
「隔・泥岩結界ぃぃ!!」
刹那、隆起する泥壁。
「——ガガガガガガガガ!!?」
歯弾がことごとく泥壁に飲み込まれる。
(~~~~! くっそ! コイツ粘り過ぎだろ!)
大顎を開けて歯を乱射しながら、内心で歯噛みする。
その時だった。
視界の左。札。凛とした「隔・泥岩結界」江弥華の声。
悠翼の足許。隆起する泥壁。
「……ん? 待て待て待て待てッ!!?」
打ち上げられた悠翼の体。
(まだ終わってくれるな!)
七大十が歯弾を放つ。十発。
「舐めるなあ! 斬・灯刀! ぉぉおおおお!!」
炎の一振り。弾き落される歯弾。
(——あと一手!)
「あと一手だ!!」
考えるより先に口が動いた。
「江弥華!」
「飛べ!」
上空に投げられた黄色い団子。
(――高い! でも――)
眼前の泥壁。突き刺さった歯弾を足場に――。
「届けェェエエ!!」
黒煙が空を駆けた。
青空。トウモロコシの味。歯の振動。
的は真下。
(——もう、外さねえ……!)
「守れ、陸樹ぃぃ!!」
悠翼が鎖を引く。
「斬・灯刀」
江弥華がその鎖に炎刀を突き立てた。
こちらを見上げる江弥華が顎をしゃくった。
七大十が頷き返す。
(オレの、いやオレ達の、勝ち――)
「だァァガガガガガがガガガガガ――――!!」
七大十が歯弾の雨を降らせた。
「うおぉああ――!!」
断末魔のように絶叫する悠翼。
突如、その横腹に青白く光った札が貼り付いた。
「隔・旋風結界」
悠翼を風が包み込み、歯弾を吹き飛ばす。
「は?! なに?!」
七大十が落下しながら声を上げると、鎖が引かれた。
江弥華の隣に着地する。
パチパチパチと、拍手が聞こえた。
「勝負ありー。江弥華の勝ちー」
佐天がにこにこ笑顔で手を叩いていた。




