あいこ呪術のあとの、大事な講評
悠翼を包んだ風の塊がふわりと地面に落下した。まるで繭がほどけ散ったみたいに、フワッと風が周囲の草花や江弥華の青い髪を靡かせた。
結界が解ける。
中から現れたのは、大の字で寝転がった悠翼だ。口を閉じるのも忘れて、呆然と青い空を眺めている。
「……負けた。どうして負けたんだ……? 俺とアイツで、何が違うんだ……?」
そう呟いた悠翼の瞳は、模擬戦前より澄んで見えた。
ぞろそろと、足音。
佐天が三級陰陽師たちを引き連れてこちらにやって来る。
(なんか……めちゃくちゃ嬉しそうだ)
佐天が三級陰陽師たちの真面目な顔つきを見渡して「うん」と頷き、今度は悠翼の澄んだ瞳を見て「うん、うん」と満足そうに頷いた。
「ありがとう、江弥華」
「ん? ……ああ、もういいのか?」
釈然しない様子で江弥華が煙草の火を消した。そして肩の荷が降りたように軽い足取りで大悟郎の方へ足を向ける。
「ちょっと待って待って!!」
慌てて佐天が呼び止める。
「まだ……何かあるのか?」
江弥華の声の温度が急降下した。
「まだって……。振り返りこそ大事じゃないか。ほら、総括とか。彼に一言言ってあげてくれないかな?」
懇願にも近い声。佐天が両手で悠翼を示した。
いつの間にか身を起こしていた悠翼。俯いて負けた理由でも考え込んでいたのか、佐天に呼ばれて顔を上げた。
「……え……?」
と思わず声が出た。
江弥華を真っ直ぐ見つめる真剣な眼差し。失礼と思ったのか慌てて立ちあがろうと膝に手をつく始末。極め付けの――。
「お願いします」
(――誰だ、コイツ……!)
生まれ変わった悠翼に、七大十は絶句した。
隣から聞こえた、面倒臭そうなため息。
見れば、江弥華が気怠そうに腰に手を当てていた。顔に『心底どうでもいい』と書いてありそうな表情。
微かに聞こえた唾を飲む音。佐天か、悠翼か、それとも七大十か。
江弥華が口を開いた。
「負けねば聞く耳を持てんとは、哀れだなと思った」
――ピシッ。
という幻聴が聞こえるほどに、空気が凍った。
ヒクッと七大十の顔が引き攣る。同様に佐天の笑顔も痙攣している。
そして思わず心配して見てしまった悠翼の顔に、ヒビが入って見えた。
「江弥華!」
突然の大声に七大十の肩が跳ね上がった。
渾蔵が、掴みかからん勢いで詰め寄って来る。
「人の気持ちを考えろと、散々、あれほど、教えたろう!」
対する江弥華は、嫌な予感がするほど意地の悪い笑みを浮かべた。
「ん? 渾蔵が私に教えたのは確か3つだけじゃなかったか? 人の気持ち云々はそのどれにも該当しないと思うが?」
「ぐぬっ……」
(いやいや、負けるなよ)
悔しそうに歯噛みして引き下がる渾蔵。それを鼻で笑って勝ち誇る江弥華。
その裏で佐天が悠翼をフォローしていた。
「負けを認められた。これは立派な成果だよ」
悠翼の悲痛な顔がみるみると元気を取り戻していく。
「さっきの戦いで良かったのは、相手の式神に狙いを絞ったこと。そして呪素の管理だ。常に最低限、結界を張れる呪素を残していたね」
「はい……!」
と返事した悠翼の目がキラキラと輝いていた。
しかし、佐天が「でもね……」と声を落とす。
「――君が大砲になってどうする? 君自身が嘲笑っていたじゃないか、大砲になったかつての陰陽師たちを」
七大十の脳裏に先の戦闘が駆け巡り、佐天の言葉がストンと腑に落ちた。
(――あー確かに)
「あぁ……! 確かに……!」
七大十の心の声と、悠翼の声が重なった。七大十は先の戦闘を思い出すように上を見て、片や悠翼は頭を抱えて項垂れる。
(思い返して見れば、悠翼は最初の位置から一歩動いてなかった。でも江弥華は開始に合図から動き回って、相打ちさせる呪術に角度をつけてたな)
七大十が合点する。
佐天が問いかけた。
「君は鬼を相手取るときも大砲なのかい?」
悠翼が歯を噛み締めて首を振る。
「だよね? つまりそれが、あいこ呪術をただの威力比べだと思っていた君と、戦闘の条件の一つとしか捉えなかった江弥華との差だ。認識の違いというのは、行動の違いに直結する。現に、君は先攻のはずなのに初手から後手に回されていただろう?」
悠翼が深く頷き、縋るような目を佐天に向けた。
「じゃあ、俺に勝ち筋はなかったんですか?」
七大十も考えてみたが、(うーん、ないんじゃね?)とすぐに結論が出た。なにせ江弥華が負ける絵が思い浮かばない。
しかし佐天は「あったよ」と断言した。悠翼の顔が晴れる。けれど佐天は優しい笑顔で「教えないけどね」と突き放した。
「だってそれを考えるのが楽しいんじゃないか!」
ニッと白い歯を覗かせてから、佐天はパンと手を叩いた。
「じゃあ江弥華、最後は君だよ! せっかくの指南役なんだから、指南役らしく締めの一言でも言って終わろう? これから森に入るから、その注意点でも心構えでもいいからさ!」
佐天が声を飛ばした。七大十と、そして3級陰陽師たちが一斉に江弥華に視線を送る。
みんなが見つめるその先で、江弥華は札と団子を数えていた。
「はい、江弥華様、荷物持ってきたよ」
「すまない、かん太。今のうちに補充しとこうと思ってな」
そう言って江弥華が消費した分の札と団子を腰嚢へ詰め始める。
(あ、聞いてなかったな……)
きっと誰もが思っただろう。
渾蔵の怒鳴り声が鳴り響く。
「江弥華ぁ! 仕事は最後まで全うしろ! 指南役だろう!」
「は? 十分やっただろう? 総括は佐天が上手くやってくれるさ。私の出る幕は終わっている」
ほら見ろと、江弥華が顎をしゃくった。
「いや、終わってないんだけど……?」
笑顔で青筋を立てた佐天が
「締めの一言。もう何でもいいから」
それはそれは怒りに震えた声だった。
江弥華がボソリと「何を怒っているだ?」と首を傾げ、しばらくして「あ」と思い出したように、その青い瞳を悠翼に向けた。
「礼がまだだった。……実は恥ずかしい話、式神の矯正課程に失敗してな。貴様との模擬戦は、矯正のやり直しに丁度良かったんだ」
江弥華はどこか決まりが悪そうに青い髪を耳に掛けた。そして七大十を一瞥して続ける。
「式神の支援がしやすい呪術ばかりで助かった。感謝する」
辺りがしんと静まり返った。
視界の端で悠翼が顔を押さえたのが見えた。
「ははは……」
泣き笑いのような声。
瞬間、渾蔵の怒号が轟き、佐天が慌ててフォローが入った。




