出航
「七大十兄ちゃーん! 江弥華様ー!」
桟橋からかん太の声がした。
一番端に停まった舟の上で、乗って乗ってと手を振っている。
七大十は江弥華より先に自分の名前を呼んでくれたことに嬉しさを感じながら、江弥華に「どうする?」と目を向けるが、江弥華はこちらに目を向けることなくかん太の舟に足を向けていた。
その舟にはかん太しか乗っていなかった。ニコニコ笑顔をこちらに向けながらエンジンに石炭を詰め込んでいる。
「お願いします」と七大十が乗り込みながら笑みを向けると「ニシシッ、オイラこそだよ」と七大十以上の笑みを返す。
「かん太も行くんだ?」
七大十が甲板に胡座をかく。
「あったぼーよ!」
かん太が頬を膨らまして、ポケットからあの団子屋の伝票を見せてきた。
濃く太くなった『十月八日 牛鬼の森』。
「重ね書きするくらい楽しみだったんだな」
七大十は後ろについた手に体重を乗せた。
かん太がニタッと歯を見せる。
「……そうさ。戦い方を、間近で見れる、絶好の機会だからね」
「そっか、将来陰陽師になるんだもんな」
若いっていいなと、七大十は眩しいものを見るように目を細めた。
「もちろん、七大十兄ちゃんも観察するよ。だってーー式神の使い方は重要だから」
「え、マジで? 緊張するなー。まあ、参考になれるように頑張るよ」
「ニシシ!」かん太が舟のエンジンの小さな小窓を開けた。
火の付いた薪が見えた。
かん太がそこへ、スコップ一杯の石炭を放り込んだ。
窓から噴き上がる炎と煙。
ボゴゴと水が沸騰する音とともに、エンジン上部の鉄製のタンクが膨れ上がった。
「おいおいおい!? 爆発するって!」
思わず立ち上がるほど激しく振動を始めたエンジンが舟をふらして川面を波紋広げる。
「江弥華様、お願いします!」
かん太の鬼気迫る声。
「ああ」と江弥華が返すと同時に、七大十へ投げ渡した青色の供物団子。
手を伸ばしかけた七大十は、山姥との一戦が脳裏を駆け巡り、そのとき言われた「口で取れ」という助言を思い出した。
「あぐっ!」
七大十が顎を突き出す。口内に収まった団子から山芋の風味が溢れ、七大十の両腕を肉紐に変える。
バシン!
勢いよくエンジンに貼られた2枚の札。
「纒・崖盾」
江弥華が唱えた瞬間、タンクが爆発寸前の蒸気を抑え込むように元の形状に戻る。
「出航!」
言ってかん太が船外機のプロペラを川に沈めた。
舟がゆっくりと動き出す。
後ろをついてくる他の舟のタンクにも同じ札が貼り付いていた。
「毎回こんなことすんの?」
「陰陽師が乗ってるときだけね」
かん太が苦笑する。
「蒸気エンジンって火を入れもすぐには動かせないんだよ。蒸気圧が貯まるまでに時間が掛かるからね。でも陰陽師がいれば呪術でゴリ押しできるんだ。——だから陰陽師は儲かるのさ」
とかん太は悪い笑みを浮かべた。
「エンジンの始動と速度調整だけでがっぽがっぽだよ」と指をワキワキ動かす。「札を何枚かぺぺって貼るだけで稼げるのさ」
そこに、ずっと目を閉じて黙っていた江弥華が「勘違いしているぞ」と割って入った。
「駆動調節は二級以上にしか認められていなんだ。呪術操作を誤れば、人死にが出るからな」
「「へー」」
七大十とかん太の声が重なり、二人は照れたように笑いあった。
(……ガソリンエンジンはまだ発明されてないんだな)
「まあ石油が見つかれば万事解決なんだけどね」
とかん太が見透かしたように言った。
「この世界には石油がまだ見つかってないんだよ。転生者から聞き出して、石油の存在もガソリンの作り方も、ガソリンエンジンも作れるんだけど、肝心の石油が無いんだ。だからいまだにコイツなのさ」
そう言って、かん太が優しくエンジンを撫でる。
「そっかぁ……早く見つかるといいなー」
七大十もそっとエンジンに触れた。中で水が沸騰しているのが分かる。
五隻の舟は工場地帯を右手にして巡航している。
川の流れに逆らって進んでいるせいか、速度は歩くよりも少し遅い。
徹夜の疲れがたたってか、甲板に腰を下ろした江弥華が静かに目を閉じて顔を下に向けている。
「……遅すぎない?」
たまらず七大十が聞けば、「これがこのエンジンの全速力だ」とかん太は答えた。
「あとは呪術で速度を上げるしかムリだよ」
「……マジか」
「それにまだ徐行で良いの! 事故っちゃうでしょ?」
確かに周りには、農作物を積んだ舟が縦横無尽に行き交っている。
「工場地帯を抜けてから速度を上げると思うから、それまでおしゃべりしてよーよ」
「おう、だな」
二人が歯を見せて笑い合う。
そして七大十が話題を探して周りを見渡すと、悠翼の乗る舟に目が止まった。
悠翼と取り巻きの陰陽師二人は船首側で談笑し、彼らの式神たち三人は汗水たらしてエンジンに石炭をくべて風を送り膨張するタンクを押さえていた。
「「「ダハハハハッ!」」」
悠翼たちの、妙に癇に障る笑い声が聞こえてくる。
「なんか盛り上がってんなー」七大十が呟けば、
「あの人たちのための同行指南なのにねー」かん太が腐した。
不意に悠翼と目が合った。睨みつけてくる。(やばっ)と七大十が目を逸らすが、
「知ってるか?」
耳が悠翼の言葉を拾った。
「今年も——減った——」
周りの音に紛れて上手く聞き取れない。
耳に意識を集中させる。
「自業自得——失敗——俺らの——庁は——責任取らねえ——」」
聞こえてくる単語の断片から、陰陽庁の悪口だと推測できた。
お仲間二人が悪口に便乗する。
「だから——集めるために――担ぎ上げたですよね」
「——顔が良いだけ——」
「バカ、聞こえるだろ!」
そして川に彼らの下卑た笑い声が響いた。
聞いていて不愉快になるばかりだ。
他にかん太と話せそうな話題を探そうと周りを見渡す。しかし一度聞き耳を立てたためか、やたら彼らの声を耳が拾ってくる。
しかもなぜか、さっきよりも幾分か鮮明に。
「所詮は女」「しかも十代」「見掛け倒し」「半分生贄」「使い潰されて」
まるでこちらに向かって投げ掛けるようにはっきりと。
握り込んだ手の中に汗が滲む。
いつの間にか、彼らを視界の端に収め、聴覚を研ぎ澄ませている。
「……あの……七大十兄——」
「何?」
話しかけてきたかん太を無下に突き返し、聞こえてくる単語を必死に拾う。
「固定砲台」「結局御輿」
誰の陰口か繋がりかけたが、この二単語がその糸を断ち切り――。
「青髪——」
決定的だった。
(——江弥華の話だ――!)
視界の端に浮かぶ三つの顔。目。口。嘲笑ってる。
揺らいだ。
江弥華が選んでくれたことが嬉しかった。式神であることに誇りを持っていた。オレを特別にしてくれる人はこの人だと思って、やってきた。でも――。
七大十の口の中で言葉が転がる。
「(江弥華って差別の対象だったんだ……)」
江弥華が甲板で立膝をついて、俯き加減に目を閉じている。
まるで学校の休み時間にハブられて寝たふりしている女の子みたいに。
話題が変わるのを、耐えてしのぶように。
必死に平常心を装って。
七大十の目には、十代のか弱い女の子に見えて仕方が……。
「……いや見えないな。普通に寝てるよな?」
七大十は江弥華を指差しながら、かん太に聞いた。
「うん。結構前から寝てるよ」
七大十が悠翼たちの会話を盗み聞きしている間に、工場地帯を抜けていた。
「江弥華様、起きて」
かん太が呼びかけると、江弥華の青い瞳が静かに開いた。
パシッとエンジンタンクに札を投げつける。
「纏・風肌」
眠そうな声で唱えた途端、舟が川も滑るように速まった。




