西関門桟橋前
根寝占村に続く稲勢藩の北側は田園風景だった。
西はまるで様相が違う。
数歩歩けば肌がべたつく、異常な湿度。
通りを木造アパートが挟み、肩幅ほどしかない路地は影を落として暗い。
道行く者は荷台をひいた男ばかり。追い越す者は空の荷台を、すれ違う者はずぶ濡れの野菜か表面を炙った肉か魚を積んでいた。
彼らがどこへ向かい、どこからやって来るのか。
乱立する煙突。垂れ流す黒煙と湯気。
灰色の霧の中に浮かび上がる巨大な影が、その先の景色を遮っている。
ただ道は、ひたすらに真っ直ぐ続いていた。
距離感が狂う。
歩けども歩けどもあの建物に近づかない。寧ろ離れて行っている気がする。
脳裏に根寝占村への道程がよぎった。なんだか足よりも腰が痛くなってきた。
「あとどんくらい?」
そう江弥華に聞こうとして、斜め前に視線を送った。
青い髪を掛けた耳の裏から一滴の汗が伝った。
「…………」
なんとなく視線を逸らした。
今日の天気は曇りだった。
ほどなくして、影の輪郭がはっきりしてきた。
その巨大な建物は土壁とレンガとトタン板が入り混じったチグハグな壁でできていた。
ただ、道の延長線上の建物だけが一段低くなっていた。
壁を赤いレンガで統一して、屋根の中央に円形ドームが鎮座している。
見上げるほど大きな鉄扉は固く閉ざされ、『稲勢藩西関門』と書かれた銘板がこちらを見下ろしている。
江弥華が道を逸れた。鉄扉横の磨りガラスの引き戸から詰め所へ入って行った。
七大十がついていく。
薄暗い室内に小さな小窓が一つあるだけだった。小窓の前に置かれたベルを江弥華がチーンと鳴らした。
小窓が開く。中から紙とペンが出てきた。
江弥華が慣れた様子でペンを走らせ「頼む」とペンを置いた。
小窓の中から白くて丸い手が伸びて、紙とペンを回収する。
女性のしゃがれた声が響いた。
「墨廼江弥華。一級。出藩期間は一週間で間違いないね?」
「ああ」江弥華が頷く。
「お通り下さぁい」
江弥華が詰め所の奥に向かう。
七大十が小窓の前を通る。
チラリと小窓の奥を見れば、太ったおばさんが弁当殻を片していた。癖毛の隙間から見える頭皮がやさぐれ感を増幅させている。
目が合った瞬間睨まれ、逃げるように江弥華を追った。
引き戸を潜る。
最初に目に飛び込んできたのは運河だった。大型船舶が余裕ですれ違えるほどの川幅。そこに野菜を積んだ舟や、肉の塊を吊るした舟など、何十隻と行き交っていた。
「おお……」
と声が漏れたとき、一隻の舟に視線が吸い寄せられた。
鬼の棍棒のような赤と黒のトゲトゲした穀物。
「……とうもろこしだ」
七大十はその舟を目で追った。
舟はこちら側の岸に舵を切って速度を落とした。そして黒煙と湯気を噴き上げる建物の中へ入った。
視線を上げる。壁に掠れた筆文字で『玉蜀黍』と書いてあった。
『大根』、『米』、『芋』、『葱』、『鶏』——。
読めなくなるずっと先まで食材の名前が並んでいた。
「……何これ?」
七大十が仰け反ったとき、背後から答えがとんできた。
「鬼素抜き工場だよ」
かん太だ。
「行こ。集合場所はすぐそこだから」
と手を頭の後ろで組んで歩いていく。
「供物も人の食べ物も元は同じなんだ」
歩きながらかん太が言った。
「生で食べれば供物、火を通せば食材さ。鬼素は熱に弱いからね」
「……え、じゃあ寿司とか食べれないの?」
「スシ……。あ、オイラ知ってるよ! おにぎりに生魚を乗せて食べるやつでしょ?」
「それ。ないの?」
「ないね。……いや、生で食べれる魚を育ててる漁師がいたな……」
むむむと、かん太が頭を捻った。
「昔ね、前世が寿司職人だった転生者がうちに入ったことがあったんだよ。おじいちゃんだから植林行きかなって思ってたんだけど、売れたんだよね。しかも陰陽師じゃなくて若い漁師が買って行ったんだ。珍しいお客さんだから覚えてるんだ」
「じゃあいつか食べれるようになるかもな」
「どうかなー」
腕を組んだかん太は懐疑的な目で上を見上げた。
「無理だと思うねえ」と小馬鹿して笑った。
「だってさ、鬼素が入らない生け簀に鬼素抜きした水が必要なんだよ? その時点で難しいのに、鬼素汚染されてない稚魚をどうやって捕まえるのさ? それってもう、鶏が先か卵が先かの正解を見つけるってことだからね」
そう言って、手のひらを上に向けて首を振る。その顔はどこか得意げだった。
(ああ……きっと、周りの大人が言ってたんだろうな)
それは可愛くもあり、同時に悲しくもあった。だから反論してあげたいと老婆心が芽生えた。
「――でもさ、生け簀と水の問題はクリアできるんじゃない? だって加牟豆美桃があるだろ」
瞬間、かん太がぐんと首を持ち上げた。瞳孔まで押し広げる勢いで七大十を凝視する。
わずかに開いた唇から
「――どうして……そう、思ったの?」
震わせた声が掠れていた。
七大十の右足が半歩後ろに下がった。
「え? ……だって、あの木って鬼素を弾くんだろ?」
言って気づく。
「もしかして、切ったらその性質なくなる感じ?」
しかしかん太は首を振った。
「切るなんて発想がない。加牟豆美桃は神木だから」
七大十の背中に
「え、江弥華めちゃくちゃ蹴ってたけど?! 大首狩りのときに」
その姿が想像できたのか、かん太が小さく笑った。
「それはギリギリ大丈夫。原木じゃないから」
そしてその場にしゃがみ込んだ。
「ちょっとごめん、靴紐解けちゃった。あそこに皆集まってるから先に行ってて」
とかん太が川の方へ指差した。
見れば、河岸の桟橋前に20人ほどの人が集まって、江弥華が合流しているところだった。
「あぁ、うん」と七大十が爪先を向けて、あれ?と立ち止まった。
かん太はサンダルじゃなかったか。
振り返る。
片膝をついたサンダルの革紐のベルトを摘んでいた。
あれを靴紐と呼んでいるのかな。
そう思ったが、かん太の顔の向きが微妙に手元からズレている気がする。まるで自分の影を見つめているような……。
考え事かなと小首を捻ると同時に、「かん太!」と野太い声が後ろから飛んできた。
大悟郎だ。
ふんと鼻息を立てながら睨んでいる。
「偉くなったな、ん?」
「すいやせん!」
ピシッとかん太が起立した。
その姿が可愛い見えて、思わず頬が緩んだ。
オレも急がなきゃ。
七大十はキレ良く身を翻した。
鎖を辿る。
江弥華の背中が見えた。その横からぬっと現れたマタギみたいな蓑笠姿の男が声をかけた。
(誰……?)
訝しんだとき、江弥華が男の名をつぶやいた。
「――渾蔵……」
低い声とひそめた眉。
(あ、嫌いなんだ)
と渾蔵の顔を観察した。
七大十の右手はポケットに、左手は腰に当てている。
(うわー、野良犬のブルドッグみてえ)
日焼けした肌に、極太の眉。顔の下半分に広がる青髭。不機嫌が染み込んだような仏頂面は若く見積もっても36歳だ。しかし頭に被った蓑笠が彼の外見を初老まで老け込ませていた。
渾蔵が眉根を吊り上げた。
「報告書は出したのか?」
腹に響くような声。横で聞いてるだけでもイラッとする。
江弥華がため息混じりに答えた。
「出した。佐天から聞いてないのか?」
「聞いていない……」
渾蔵が鼻息を立てた。わずかに俯いている。そのせいで顔のパーツが全体的に下がって見える。
(ちょっとカワイイの、やめろ)
七大十が内心思ったときだ。
渾蔵の背後から現れた人の手が、トンと肩に乗った。
「渾蔵さん、ドンマイ」
と渾蔵の横にジャージを着た少年が、最初からそこに居たみたいに立っていた。
励ますような柔らかな表情の真上には異様に尖った頭頂部が伸びていた。
赤いラインが入った紺色のジャージには『湯川高等学校2年畠山和彦』の刺繍が入り、その隣から伸びた鎖が渾蔵の右手に繋がっている。
(……いつからいた……?)
渾蔵の格好に気を取られすぎたのか。
しかしあのとんがり頭を見逃すだろうか。
七大十は頭を捻った。
「江弥華」と佐天の声がした。手招きしている。
「点呼のあとに君を紹介する。一言挨拶貰っていいかな?」
絶対断ると思ったが「ああ」と江弥華が頷いた。感情の読めない無表情。一体何を言い出すか、七大十はワクワクした。
佐天が名前を読み上げていく。
陰陽師が7人、自動的に式神も7人だ。
「はいッ」と背筋を伸ばす者や「はーい」とどこか別の場所を見ている者。
返事の仕方でこの同行指南にかける本気度が伺える。
「九葉悠翼」
佐天が八人目の名前を呼んだ。返事はない。
「……うん、まだ来てないね。じゃあ――」
佐天が名簿を畳んで振り返り、江弥華に視線を送った。
しかし、
「いまーす」
関門の方から声がした。
急ぐ様子もなく、ヘラヘラと手を振って歩いてくる。
白いパンツに白のジャケットを肩に掛け、紫色のシャツのボタンは外して鎖骨を見せていた。センターパートでウェーブがかった紫色の髪は濃淡がバラバラ。分け目から覗く黒い地毛から染めているのが見て取れた。
手足はすらりと長く、首と名つく部位を数珠型やアクセサリー型の護符で固めていた。
そして手ぶらだ。
札や供物団子を入れるポーチ類すら身につけていない。
唯一右手に持っているのは鎖だけ。
彼の後ろをマッチョなサラリーマンが付いて来ていた。
下はスーツなのに、上はタンクトップの肌着。
汗だくなのに暗い顔。
背中に担いだバックパックはパンパンに膨らみ、同じくらい大きなトランクケースを2つ、両手に提げている。
悠翼がへらへら笑いながら、三級陰陽師の輪に加わる。
点呼で特にやる気がない返事をした二人の陰陽師が、嬉しそうに悠翼を迎え入れた。
「悠翼さん、さすがにヤバいっすよ!」
「わりわり。今日が楽しみ過ぎて徹夜したんだけどな!」
「今日がじゃなくて昨夜がでしょ!」
小声のつもりだろうか。噛み殺した笑い声が聞えてくる。そして――。
「早く来いよ!」
悠翼が乱暴に鎖を引いた。
大きくつんのめった式神が大きく足を踏み出した。その反動で短く刈り上げた頭や顔から汗が飛び散った。
「今の、ヤバ!」と三人が笑い声をあげる中で、
「……すみません」
蚊の鳴くような声が聞こえた。
七大十はすこぶる気分が悪かった。
「……なんだアイツ……この指南受ける前に、人間になる指南受けて来いよ……」
唇の先だけが勝手に動いていた。
隣から小さく「フン」と鼻を鳴らした音が聞こえた気がした。
「出発前に今回の指南役を紹介しようかな。最短最年少で一級まで上り詰めた、墨廼江弥華だ。じゃあ江弥華、一言」
佐天が目配せする。江弥華が一歩前に出た。
3級陰陽師たちに緊張が走ったのが見て取れた。
悠翼も例外じゃない。目は見開き、開きかけた口がそっと閉じて――。
江弥華が口を開いた。
「助言する気はない。……いや出来ないが正しいかもしれないな」
そう自嘲気味に訂正し、江弥華が見下すように顎を上げた。
「私はいつも通りの仕事をする。適当に盗んでいけ。以上だ」
言い終わるや、江弥華が踵を返した。
この瞬間から、いつも通りなのだろう。
七大十はにやつく口元を手で隠しながら、その背中を見送った。
そして3級たちの反応を確認する。
ほとんどが真剣な眼差しで、江弥華の一挙手一投足を観察していた。
しかし悠翼だけは違った。
誰よりも早く江弥華から視線を切ったその瞳が「面白くない」と怨恨混じりに語っていた。
(……アイツ、何マジで……)
七大十が悠翼の背中を睨みつける。
どこまでの気分の悪い野郎だ。
しかし悠翼が初めてだと思った、江弥華に畏怖以外の視線を向ける下っ端は。
(要注意人物だな……)
七大十が内心で悠翼をマークしたとき、胸の鎖が強く引かれ、
「どわっ!?」
と片手を地面につけてしまった。
いわば主人が格好いい挨拶したせいでいつも以上に恥ずかしかった。
(一級陰陽師、墨廼江弥華の式神がアレかよって思われたらどうしよう)
その思考が熱くなってきた耳をより熱くさせる。
七大十が急いで江弥華を追いかけた。走るのはダサい気がしたから、早歩きで。




